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記事の担当 ウ・サギ
Q.計算された可愛さを目の当たりにすると嫉妬してしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.計算された可愛さを目の当たりにすると、なんとなく嫌な気持ちになって嫉妬してしまう。あぁ、私は愛されないのにな、って。。。

A.「計算された可愛さ」というものがあるのですね。ウ・サギは可愛いの基準がどうやら周りとズレているので、そういった可愛さには何も気づかずに生きてきたかもしれません。

自分がほしいものを手に入れている人を見て嫉妬するのは、自然な心の動きだと思いました。でも計算された可愛さに「可愛い!」となっている人が、本当に相手を愛してるかというと微妙な気はします。愛の定義は難しいですが、ありのまま、それが「計算された」可愛さだというのも含めて愛していないと、愛ではないような・・・?

update 2025/2/12
Q.我慢って必要だと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.我慢って必要だと思いますか?我慢することで頑張っている自分を褒めたくなることもあるけれど、我慢なんてするんじゃなかったと後悔することもあり、難しいです。

A.それは「我慢」をどう定義するかによるので、難しいところですね…。ウ・サギは「しなくてもいい我慢はしないのが一番」だと思っていて、「本当に我慢が必要なときはした方がいいだろう」と思っています。
しなくていい我慢は、極端な例をあげると、体育会系のしごきのようなものです。上級生に理不尽に攻撃されるとか、科学的根拠もなく水を飲まないで走らせられるとか・・・。それを我慢し続けると悪しき風習が続いてしまうので、逆に、我慢しないことが大切になると思います。(ただ、NOを言うのは勇気やエネルギーが必要なので、我慢せざるえなかった人を責める意図はありません)
必要な我慢は、例えば災害があって水の量に限界があるときに、たくさん飲まないように我慢する、といったものです。あとは必要まではいかないですが、オリンピックに出たいとかであれば、目先の欲をほどほどには我慢できた方が結果を出せる可能性は上がりそうです。

まとめると、
・自分含めた誰かの生存や安全のためには、我慢することには価値がある
・誰かの欲望や思考停止の指示(勉強しろなどはこれに該当するとウ・サギは思います)には、我慢をしない方がよい
・どうしても叶えたい夢や出したい結果などがある場合には、我慢する力があった方が便利
というのが、ウ・サギの我慢論です。

update 2025/2/12
Q.通信制高校に通っていてほとんど家にいるが、何をしたらいいと思う?毎日暇です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.通信制高校に通っていて、年に何回かくらいしか登校しないから、ほとんど家にいるのですが、何をしたらいいと思いますか?まわりの大人に聞いたら、勉強とかバイトとか言われました。やっぱり勉強とバイトですか?毎日暇です。

A.なるほどです。ウ・サギとしては、何もせず過ごすのもいいとは思いますが、毎日暇だと感じているのなら、何かすることを探してみましょうか。

勉強とかバイトは、ウ・サギ的には「してもいい」くらいで、「したらいい」とはあまり思いません。なぜなら、責任や負荷のあまりない世界で、いろいろなものに触れることが、成長のためには大切だし、そういうのを思う存分できるのが子ども時代の強みだからです。

まず思いついたのは、何かボランティアや、興味のあるイベントや活動への参加です。「勉強とかバイトをしたらいい」と言わないような、自由な大人と出会う機会があると、あなたの世界が広がりそうだとウ・サギは思います。
一人で何かを突き詰められるタイプなのであれば、料理をやってもいいし、Excelあたりを触っておくのもいいですし、動画制作なんかも面白いですし、たくさん読書するでも、イラストを描くでも、とにかく何か興味の持てることをやるのがいいと思います。
誰かに強制されてやることよりも、なんとなくでもいいので自分で興味をもってやってみることの方が、のちのち役に立つとウ・サギは感じています(そのための時間を多くとれるのが通信制高校の強みだとも思います)。
やってみて「向いてないな」「興味ないや」とわかったら、それも一つの収穫です。

update 2025/2/12
Q.親は「遺伝子をのこす事がヒトの生きる意味」と言う。異性を好きになれない私はなんで生きてるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親は、「結婚や出産は絶対にするべき」だと言います。「遺伝子をのこす事がヒトを含め生き物の生きる意味なんだから」とも。それなら、異性を好きになれない私はなんで生きてるんですか、、?

A.ウ・サギとしては、親の考えは偏っているし、筋の通ってないものだと思いました。
人間社会というのは、本能(動物としての生きる意味)よりも理性や心を尊重するという理念で成り立っているものです。もしそうでないなら、それぞれが自分の欲求を最優先し、弱者は淘汰され、私たちのほとんどは安心して生きられなくなるでしょう。
だから生き物のロジックを繁殖にだけ適用しだすのは、変てこな話です。

ただ、子どもが産まれないと社会が存続しなくなるのも一つの事実です。しかし、だからといって「結婚や出産は絶対にすべき」というのは飛躍した論理だと思います。
とりあえず今のところは放っておいても、出産する人々・出産願望のある人は一定数いるようですし、社会の存続には「産む」ことだけでなく、「育てる」人やチカラ、それを支える環境(住まい、医療、学校、福祉…)も欠かせません。
もし人間の生きる意味を定義するなら、無理ない範囲でそのどこかを担うことかとウ・サギは思いますし、逆に、すでに無理なく社会が存続できているなら、たまーに必要なときだけ動くのんびりな人がいていいと思っています。
大人たちには、結婚やら成績やらの目先の何かにとらわれず、人々の心が守られる、持続可能な社会をつくることを真剣に考えてほしいと思います。

update 2025/2/12
Q.親が無職、精神疾患、いじめなどの話題を振ってくる。私にとっては他人事ではないのに…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親が引きこもり、無職、精神疾患、いじめ、自殺などの話題を私に振ってきます。「自分たちには関係ない、他人事」みたいなノリで。私は現在無職だし精神科に通院しているし、過去にいじめにあってるし死にたい気持ちもあるので他人事ではないのに…。

A.こっちへの想像をしている様子もなく自分が傷つく話題を振られると、メンタルをやられつつも何も言えなくなるウ・サギなので、その心の声が溜まっていく感じに勝手ながら共感しました。
そういう相手とは、物理的に距離を置けたらいいのですけどね…弱っていると働くのが難しい場合も多いので、離れたいにも離れられず、なかなか回復が進みづらい構造になっていると感じています。
気持ちを外に出すことで楽になる部分はあるかと思うので「○○なのに…」ともやもや、傷がうずいたら、この質問でもネットの他の何かでも、どんどん吐き出してほしい、とは伝えたくなりました。

update 2025/2/10
Q.偏差値でグループ分けされて上位のグループであるほど良いという風潮がつらい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.早慶とかMARCHとか偏差値でグループ分けされて、上位のグループであればあるほど良いという風潮がつらい。気にしないようにと思っても、先生や友達もその基準ばかりで、どうしても気にしてしまう。

A.偏差値は高いほど良いというのが「真実」だとみなすような人も増えてきた(と感じられる)世で、それを「風潮」「基準」と表現してくれる人がいるのに希望を感じたウ・サギです。

ただ、周りと基準が合わない、気にしないようにしても気にしてしまう、というのはしんどいだろうと想像しています。
自分の気持ちや価値観を安心して表現できる居場所がないと、心は弱っていくよなあ、と自分の経験も振り返りながら思います。

それにしても、偏差値が上の方が良い、というのは何をどう根拠にしてそう思っているのか?先生に聞いてみたいですね。
その問いにきちんと自分の言葉で答えられる人はいないとウ・サギは思うし(就職のためのちょっと有利な要素くらいになるとはいっても、たかが一つの要素になるだけだし、学歴がないのが貧困に結びつくならそれは社会が間違っているだけです)、根拠もないことを信じている人の言葉に、負けたくはない・・・でも、周りがみんな言っていたらウ・サギも気にしてしまう・・・とぐるぐるしています。

何が上だとか下だとか、良いとか悪いとかではなく、人間は一人の感じ考える存在であることが、等しく価値のあるものだとウ・サギは思います。

update 2025/2/10
Q.外見コンプレックスがひどくて苦しい。どうすれば救われるのか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.クラスメートや親戚からの扱いで、自分に自信を無くしました。特に外見コンプレックスがひどく、鏡を見たり自撮りしたりするのを、本当は面倒なのにしてしまいます。その感覚が苦しいです。どうすれば救われるのでしょうか。

A.周りからの扱いの後遺症でコンプレックスに囚われてしまうのは、ウ・サギも周りでも苦しんでいる人がいるので、う~ん悩ましい・・・と感じました。
あなたも「感覚」と表現しているように、感覚や感情の話だと思うので、これを意識しようとか、こういう理屈で考えようとか、思考の方で対処しようにもなかなか難しいかと思います。

周りからの扱いでコンプレックスが生まれるなら、逆に外見を気にしない扱いをされたら、少しずつ変わってくるものがあるかも?と思ったのですが…どうでしょうか。
例えば、赤ちゃんや動物などは、外見なんて全く知ったことではありません。あとはコミュニティによって優先される評価指標は変わるので、アウトドアでは火起こしをできる人が一番偉かったり、子ども相手では面白い遊びを生み出せる人が一番好かれたり、生きづらい人の世界であれば、コンプレックスを経験している人が周りへの思いやりを持てて、評価されるかもしれません。

誰かとの関わりで生まれた傷は、誰かとの(それはネット上かもしれないし、人間以外かもしれないし、本などかもしれないです)関わりによって癒される部分が大きいとウ・サギは感じています。
完全にコンプレックスから解放されなくても、鏡を見ている自分に、もう一人の客観的な自分が「外見を気にしちゃうのもまあ仕方ないことか」「それだけ傷ついたもんね」と優しくする感じになれたらいいな…なんて想像をしました。的外れな回答だったらすみません。

update 2025/2/10
ウ・サギの過去質問箱一覧
この記事の担当 ウ・サギ

所長たち個別のXアカウントを削除するため、質問箱(Peing)で回答していた質問をまとめました。
(一部、当時のXの内容を見ないと流れが不明なものや、固有名詞の出ているものなど、載せていない質問もあります。ご了承ください)

Q.切なさを感じた事ありますか?
A.切なさ…悲しさ、寂しさ、恋しさなどで胸がしめつけられる気持ち、ですか(調べてみました)。
あまり感じた記憶はないのですが、あえて感じないように自分を麻痺させているような気もします。
 
Q.自分は、親に私自身のナラティブを確立しない様に望まれながら生きてきたのだろうな、と思いました。現在、自分のナラティブと呼べるものを頭に描いたときに、「よいもの」「悪いもの」「大切なもの」「恥と思うべき事」「適切」「大げさ」など様々な基準のイメージが襲い掛かってくる気持ちになります。1つの基準に決めるのを妨げようとされてる感じです。「間違ってるんじゃないの」というようなイメージの揺さぶりも思ったりします。自分のナラティブ、自分で決めていいよ、とイメージして不安をおさめています。ナラティブは大切なものなのに、それを構築させまいと望む人は、一体何が目的だったのでしょうか。分からずに質問させていただきました。もし何か一般的なものがありましたら、教えてください。よろしくお願いします。
(注:ウ・サギのナラティブ講座を読んでの質問だと思われます)
A.記事を書く時間がとれないので先に短く答えます。ナラティブを構築させまいと望む人は、自分のナラティブが未熟な人なのかもしれません。成熟したナラティブは「人の数だけ正解や真実がある」のを受容できますが、未熟であると「世界の(正しい)物差しは一つだ」と信じてそれを人に押し付けがちです。
 
Q.男女の恋は成立すると思いますか?
A.恋は性別関係なく(人によっては性別が影響することも多いですが)成立すると思います。
でもウ・サギは大切な関係性には「恋」という名前をつけず、オンリーワンを目指していきたいです。
 
Q.心が行方不明になりました。どうやって探したら見つかってくれるんでしょうか…
A.もし可能なら、誰かと一緒に探すのがいいかも?と思いました。でも相手を間違えるとさらに行方不明になりそうな気もします(苦笑)
 
Q.カレーのポップコーンが食べたいです
A.いいですね。ポップコーン作って、それにカレー粉まぶせば完成でしょうか。この前少し久しぶりにポップコーンを作ったら、フライパンと蓋の組み合わせが悪くて、10粒くらい無駄にして悲しかったです。他の粒が爆ぜて飛ばされた子が、隙間から逃げていきました。
 
Q.勉強に辛くなると、絵を描いたり、音楽を聴いたりなど現実逃避をしてしまいます。時間があっという間に過ぎてしまうので、何か対処法はありますか?
A.絵を描いたり音楽に没頭する時間があることが、あなたが勉強を続けるために必要なようにウ・サギは感じたので、対処法は….難しいですね。そのままでいいとウ・サギは思ってしまいました。勉強お疲れ様です。
勉強はしたくなかったらしなくていいし、しなくても生きられるよ、ともすごく言いたいです。
でも質問者さんが「勉強をしたいorしなくてはならない」事情があるように感じたので、この回答をしました。
update 2025/2/10
Q.働いてるけどひかれものばかりで生活が苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.働いてるけどひかれものばかりで生活が苦しい
生きるって大変すぎるしにたい

A.短い文章から、疲労や切迫感がありありと浮かんでくるように感じられて、どうしてこんな世界なのか・・・と悔しく、もどかしくなりました。

税金が高いことなどをこの質問で言っていると読み取ったのですが、税金は本来「みんなが互いに支え合い、共によりよい社会を作っていくため、この費用を広く公平に分かち合うことが必要」なものであるはずなのですよね…。(財務省のサイトから抜粋)
だとすると、今は本末転倒で、何かおかしいことが起こっていそうです。

しにたい=生きるのが大変すぎる、というのは一つの真理かもしれないと感じました。
これだけ「しにたい」と思う人が多いのは、生きるのが大変すぎる世の中になっている、という警鐘だと改めて思います。

update 2025/2/7
Q.ちょっとADHDかな?と自分に思うのは、トクベツになりたいのかADHDなのか、どっちだと思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっとADHDなのかな?って思う部分が自分にある。でも親は本気でそうは思ってないらしくて。多分、私は、自分が何かトクベツなものになりたいの。何かトクベツな枠に当てはまりたい、ただそれだけなのか、ほんとにADHDなのか、、、どっちだと思う?

A.自分が何者か(=アイデンティティ)というのは、生きる上で大切な、でもとても難しいテーマだとウ・サギは感じます。

あなたがADHDかどうかはウ・サギにはわかりませんが、トクベツなものになりたい気持ちは、周りに何かしら馴染めない、自分は周りとどこか違う気がする、という感覚から生まれたものだと想像しました。
だとしたらその感覚は信じていいと思いますし、ADHDに当てはまらなくても、何かそのトクベツに自分で名前をつけていいと思います。

ウ・サギは周りとどこか違うと感じてきた民ですが、自分はトクベツではなく、「すごく極端なだけの当たり前の存在」だと思っています。傷つくポイントは変わっているけど、きちんと傷つくし、求めている関わりの質はマニアックでも、誰かと関わりたい気持ちはある、といったニュアンスです。

update 2025/2/7