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記事の担当 生きかたカエル
Q.失敗しにくい死に方はなんだと思いますか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.失敗しにくい死に方はなんだと思いますか
リスクが怖くて行動にうつせないです

A.カエルは失敗知らずの方法を一つだけ知っています。
それは、老衰です。ただ待つだけで確実に死に至ります。
しかも、行動にうつす必要もありません。

あ、でもそういうことを知りたかったんじゃないですよね。
それ以外のお答えについては、カエルの専門外(おそらく、生きづLABOの所長室メンバーは専門外)なので、お役に立てそうもありません。
ごめんなさい。

ちなみに、カエルが若いころにちらりと読んだ哲学の業界で有名な本「死に至る病」というのがあります(キルケゴールというデンマークの哲学者が書きました)。
そこでは、『絶望』が死に至る病だという言い方をして、自分の存在や自分の気持ちと向き合う難しさや苦しさについて考えています。

もし、あなたが絶望に包まれているとしたら、すでに心は死に至っているのだから、身体も死んでしまいたいと思っているのかもしれませんね。
そう考えると、人間の心はとても脆く弱く、身体は頑丈なのかもしれません。
ただ、カエルとしてはそうはいっても、人間の心もそれ相当に強い側面もあり、身体もまたとても脆い存在でもあると思います。

update 2025/1/18
Q.ここの回答者のみなさんも生きづらいみたいだけど、それでも仲間がいて羨ましい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ここの回答者のみなさんも生きづらさを抱えた方みたいだけど、それでも仲間がいて羨ましいです。何もない自分はちょっと羨ましくて悲しくなりました。

A.ここに質問をくれる人はすでに仲間です。
所長代理同士もそれぞれ自由なキャラでめいめいバラバラで生きてるので、そんなに仲間として行動することってないんですよね…
生きづLABOの仲間とは、実際に会って何かするというより、お互いの存在や違いを尊重し合えるつながりだと思ってます。
だから、ここに自分の気持ちや疑問を届けてくれる人はみんな、生きづLABOの一人として仲間だと思っているのでした。
そして、仲間で活動できる方法を今、画策しています。
ブログにも書きました)

update 2025/1/14
Q.頭の中で「クズ」「ゴミ」など言われる。声が聞こえてるときどうやり過ごせばいいのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.頭の中でいつも子供の声で「死ねよ」「クズ」「ゴミ」など言われます。子供の声なのでクラスメイトが怖くなります。声が聞こえているときはどうやり過ごせばいいのでしょうか

A.頭の中の声は、なかなか厄介ですね。そして、クラスメイトが怖くなるというのもとても納得してしまいました。ただ、頭の中の声だと気づいたのはどうしたいきさつで、いつ頃からそういった声が登場したのか、深めてみたくなりました。
カエルとしていくつか方法を考えてみました。
①心の声に対して傾聴してみる
例えば、「どこのどなたかわかりませんが、死ねよとか、クズ、ゴミって言いたい気持ちなんですね」と心の声で返してみる 
②観察対象として記録をつける
いつどんな時に、どんなことを言われたのか、記録をつけて傾向や対策に備えてデータを取ってみる
③専門家に意見を聞いてみる
カエルは心の声の専門家ではないので、心に関する専門家(精神科の先生、カウンセラーさん、保健室の先生など)に聞いてみる
④同じような経験のある人に聞いてみる
頭の中で否定的な言葉をいう人がいるという話はほかにも聞いたことがあります。今度、似たような経験者がいたらリサーチしてみます

カエルも知り合いの精神科のお医者さんや似たような経験をした人にリサーチして、何かわかればブログでお知らせします

update 2025/1/14
Q.親に「お前なんて産みたくなかった」と言われた。これって虐待?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に「お前なんて産みたくなかった」と言われた。これって虐待?

A.虐待は、虐待か虐待じゃないかというグレーゾーンがたくさんあって、こういわれたから「はい、虐待認定です」というものではないのですよ。そのうえで、ポイントをお伝えすると…
①言われた子どもの気持ちやダメージ
②どういう状況でどういった文脈で言われたかの意味合い
③言った親側の事情
あたりが関係してくるかなと思います。

一番大事なのは
①でそう言われて子どもが深く傷つき、そのことが後にも引きずるようなダメージを受けているのなら、それは心理的な虐待にあたるとカエルは思います。
子どもがそんなことを言われても全然へっちゃらで気にしないのなら、虐待には当たらないこともありますが、だからといって言ってもいい言葉ではないと思われます。

また、②に関連して、ふざけている場面だったり、演劇のセリフとして言ってるのなら虐待にはならないこともあります(ふざけていても、子どもにダメージを与えるのなら、それは不適切だと思います)。

そして、③ですが、親と言っても一人の弱い人間なので、追い詰められたり、心の余裕がなかったり、自分自身もそういったことを言われてきた経験など、事情があり言ってしまうこともあると思います。親が追い詰められているからと言って子どもを否定したり、尊厳を傷つけることが許されるわけではないのですが、そのようなことを言ってしまう背景には、子育てを不当に親に丸投げしている現状もあることはカエルとしては心配しています。

update 2025/1/14
Q.将来自殺予防に関わる仕事がしたく、生きづLABOの活動に興味がある。皆さんの仲間になるにはどうしたらいい?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.私は将来、自殺予防に関わる仕事をしたいと思っています。特に、生きづLABOの活動に興味があります。皆さんの仲間になるには、どうしたらいいですか?

A.我々の活動に興味をもってくれるとはありがたい限りです。
ぜひ、一緒に活動をやりましょう。
今、仲間を増やす方法を考え中です。ブログにも書きました。
(思わず、飛び跳ねながら回答をしています)

update 2025/1/11
生きづLABOが居場所と仲間になるために
この記事の担当 生きかたカエル

こんにちは、生きかたカエルです。

久しぶりにブログを書きたくなりました。

というのも、所長室の質問箱にコンスタントに質問が寄せられ、地味に回答しているのですが(目下のところ、質問箱だけが生きづLABOの活動になりつつあります…苦笑)、回答しながら、いろいろと考えることがあり、「そうだ、ブログを書こう!」という気持ちになりました。

質問箱に来る質問は、カエル的にはとてもいい質問がやってきます。

何がいい質問かというと、「世の中についていいところを突いてくる」質問という意味です。

そして、比較的、若いというのか幼いというのか、小学生とか中学生ぐらいと思しき子どもたちからの質問も多い印象です。

我々所長たちは、生きづLABOを開設したときに、そうした年齢層と「生きづらさ」とか「死にたい」とかそういうことを一緒に考えられるサイトになることを意識したので、子どもたちが来ることはとてもうれしいことです。(もちろん、どんな年齢層も大歓迎ですが、既存のサイトで子ども向けのものが少ないのでは?という課題意識があったのでした)

ただ、質問からは子どもたちがとても苦しい思いをしていることも伝わってきて、それは悲しくもあり、歯がゆくもあり、理不尽でもあります。

しかし、子どもたちが素直な気持ちで「生きづらい!」とか「おかしい」とか「苦しい」など問いかけてくることには頼もしさがあり、「その違和感や苦しさはとてもまっとうだ」と思い、「無駄にはしたくない」と思う気持ちになります。

最近、「仲間になりたい」「居場所がほしい」という声もあり、生きづLABOを通じて仲間づくり(まずは所長たちと仲間になれたら…)や居場所づくりをしていけないかと野望を抱くカエルでした。

カエルとしては、家出についてこれまでも書いてきているのですが、子どもが自分の家庭(ホーム)の環境を選べたり、改良したり、何かしらの効力を持つ方法がないかとずっと考えています。

子どもはいつも大人(特に親)の都合で、どこで誰とどのように暮らすかという大切なことが決められてしまいます。ホームは子どもが生きる上でいろいろな意味で重要な要素を持つため、ホームが選べないことは、ずいぶんと権利を奪われてしまう状況といえるのです。

子ども時代に権利を奪われると、持っている力を伸ばす機会を失い、同時に自信も失ってしまいます。大人になって自分らしくそれなりの力を発揮しながら、社会の中で生きていくことがいろいろな意味で難しくなります。

それは、人の成長や発達の過程を考えると当たり前なことなので、いろいろな子どもたちがいる中で、それぞれに合った育つ環境を得ることができるよう、選択の幅を広げていくことが必要なのではないかと思うのです。

同じように、学校に行きたくないという質問がたくさん来ています。

学校についても、子どもにとってかなり大きな影響力のある存在であるのに、その特殊性(多様性や自主性がとても限られている、子どもの選択権が少ないなど)は相変わらずで、課題が多くあると思っています。

家庭と学校がもっと子どもたちのためのところになるように…という方向性もあるのですが、それはそれで限界があるので、家庭でも学校でもない居場所がもっと多様に増えていくという方法もありじゃないかと思っています。

だから仲間や居場所の作り方について、生きづLABOでみんなと一緒に考えてみたいです。

一緒に考えることができたら、そのプロセスが仲間づくりになったり、居場所になったりするとカエルは思うのでした。

だから、質問をくれている人たちはカエルの中ではみんな仲間だと勝手に思っています。

update 2025/1/11
Q.両親がよく喧嘩して私はほぼ毎日怒られていた。これって虐待っていうのかな。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.両親がよく喧嘩をしていた。ひとりっこの私はほぼ毎日怒られてた。小学生高学年から中学生ぐらいの間そうだった。今はだいぶおさまったとは思う。でも苦しい。これって虐待っていうのかな。

A.カエル的な判断では、心理的虐待だと認定してもいいと思います。
そもそも、日本の「虐待」という表現はあまりよろしくなくて、海外では「マルトリートメント(不適切な養育)」という表現が使われることがあります。マルトリートメント概念で行くと、あなたが両親にされたことは間違いなく、マルトリートメントに認定されます。
また、カエルは虐待かどうかというより、あなたが「苦しい」のが重要なことだと思います。子どもの苦しい思いを、親に限らず大人が受け止めて、苦しさが少しでも軽くなるような手助けができる仕組みをつくっていく必要があると思っています。
今はだいぶおさまったと聞いて少し安心していますが、「前よりまし」という基準で大丈夫じゃないことも、「大丈夫」と思ってしまうこともあります。苦しいことは苦しいと思ってもいいし、言ってください(少なくとも質問箱では大歓迎です)。

update 2025/1/9
Q.生きたくない。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きたくない。冬休みになって学校は休み。でも2週間もしたらまた始まるし、今も家にいるのがしんどい。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。

A.もうそろそろ、学校始まっちゃうころかな
相談できないのも気持ちはわかるし、こうなったら体力尽きてしまったら、ことが起こるかも?と思ってしまったカエルです。
本当なら体力が尽きる前に何とかできたらと思うのですが、カエルが出会った子どもたちも、相談したり助けを求めることができずに、とりあえず動けなくなったり、有事が起こってから、物事が動くことってわりとあります。
自分から相談するのは難しいけど、相談してもいいタイミングが向こうからやってくることもあるから、そのチャンスを逃さないのは大切だと思います。
それにしても、子どもが自分から安心して助けを求められる独立機関がなかなか整備されないし、そういうのが活用される準備も進まないのは歯がゆいカエルです。参考までに「子どもコミッショナー/オンブズパーソン」というものが具体例なので、参考になるサイトを紹介します。
子どもコミッショナー/オンブズパーソンについて|こども基本法プロジェクト

update 2025/1/9
Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか

A.居場所って家とか学校とか、物理的な空間や場所を指すわけではないのですよね。だから、家にも学校にも居場所がない場合ってわりとあることなのかなと思います。(残念ながらですが)
ただ、居場所がないとか、友達も信用できないと感じられる感性はとても大切だとカエルは思いました。
あなたの感性や気持ちがちゃんと働いて、警戒したり、疑ったり、迷ったり、こうして質問箱に送ったり…していることは支持をしたいです。
だから、カエルの気持ち的には「どうすればいいですか」という問いには「居場所がなくてもそのままでいいです」と答えたいのですが、肝心なのは居場所ですもんね。
所長室でよければ居場所にしてください!!

update 2025/1/9
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6