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記事の担当 生きかたカエル
Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事をみると不安になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事みると不安になります。正社員にならなきゃプレッシャーも少しあるのです。考えすぎですか?

A.そんな記事はどこの誰が書いたのでしょうかね。
おそらく世間知らずなのか、誰かの回し者として送りこまれ、不安をあおるために書いた記事なのかもしれません。

正社員にならないと人生が行き詰まるかどうかは、一人ひとりが自分で感じて、決めることであり、他の人があーだこーだと言うことではありません。ただ、正社員にならないことに不安を感じたり、ならなくてはとプレッシャーを感じることはあなた自身の大切な気持ちなので、それをなかったことにするのはよくないです。きっと、何かしらの不安やプレッシャーがあるのだろうと思います。本当は何に不安なのか、何が一体プレッシャーと感じているのか改めて考えてみるとよいかもしれませんね。

カエルとしては、一般論と個人的な事情は切り離して考える必要があると考えています。
一般論として、正社員の方が不安が少ないと言うことになっているかもしれませんが、正社員の責務が自分に見合わないとしたら、正社員になったことで安心するのではなく、逆に不安やプレッシャーを背負うこともあるでしょう。そして、正社員といっても、どんな会社の正社員になるかによって全然事情は異なります。

つまり、正社員になるかならないかということに思考のコストを割くより、どんな働き方なら自分の力が発揮されるのか考えることをおススメします。すぐに見つからないかもしれませんが、そういう思考をする人が増えると働き方も変わってくるようにカエルは思っています。

update 2024/11/21
Q.「甘えるな。あなたは仕事を選べる立場にない」という回答を理解したいがぶっ壊れそう
この記事の担当 生きかたカエル

Q.仕事が続かない・職歴の問題で仕事が決まらないと悩む人に対し「甘えるな。あなたは仕事を選べる立場にない。皆が嫌がるような辛い仕事でもやれ。」という回答を見て、理解したいけど今の辛さにさらに辛さをプラスしたら逞しく成長する前にぶっ壊れそうです

A.そんな迷回答はどこのどなたがしたのかわかりませんが、知らないうちに行き過ぎた能力主義、資本主義の奴隷になってしまっている方だとカエルは思いました。
人間は野生動物と異なり、お互いを尊重したり、支え合ったり、権利という概念をつくってそれを守ろうとしたり、文化的で社会的な生活をすることに合意しているはずなのですが、人間の人間らしさを通り越し、生産性を上げる機械として、経済発展の道具として扱う傾向がいつのまにやら高くなり、それが当たり前になりつつあるのがとても困ったことだとカエルは考えています。

人間が人間らしくパフォーマンスを発揮するために、一人ひとりに応じて能力や特性に合った環境で仕事をするのが大切なのは明らかです。
それを、機会や道具のように誰もがノルマや一定水準を達成することを求められると、それにそこに達しない人はまさにぶっ壊れてしまいます。

人が働くのは豊かに生きるためであり、個人が犠牲になるのは本末転倒なのだとカエルは思っています。
でも、現実はそうじゃないのですよね…だから、こんなにも死にたい気持ちになる人がいるのでしょう。

仕事が続かない・職歴の問題で仕事が決まらないと悩む人に対して、カエルは「あなたのポテンシャルを活用するだけの仕事の種類や環境が今の社会には用意されていないのです。焦らず、無理をしないでできる仕事を探してください。少ないかもしれせんがどこかにはあると思います。そして、見つからない間、経済的に困るのであれば、いろいろな支援策を活用することをおススメします。あなたに見合った仕事が用意されていないのですから、社会のサポートを活用することは自然なことです。あとは、雇用されるのではなく、起業をする道も検討してみてください。どんな仕事をどんなふうにするのなら働けそうか、既存の仕事の常識の枠から離れて考えてみてください。そういう考え方をする人が増えることが働き方が変わる第一歩だと思っています」と答えたいです。

でも、こういった回答をすると、相談にあったように「甘えるな!」と言われてしまい、ふりだしに戻ります…苦笑
実は「甘えるな!」と言っている人たちも今の働き方がいいと思っていないのです。過剰な努力を強いられていてしんどいから、「同じように頑張れ、我慢すべき」という思考になってしまう側面があるのだろうと思います。
有限な人の力を出し合って、できるだけ多くの人たちが力を発揮できるよう、働き方や生き方を変える必要があるのです。
生きかたカエルの願いです。

update 2024/11/15
Q.家族と二度と会わなくていいなら生きたいと思うし、それが無理ならもう死にたい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたい気持ちでいっぱいのまま生きてます。家族と二度と会わなくていいなら生きたいと思うし、それが無理ならもう死にたいです。自分のペースで、とか1歩ずつとか言われても難しいって感じます。

A.家族と二度と会わなくていいと願うのなら、その願いをカエルは叶えたいと思いました。宇宙で暮らしたいとか、鳥のように自由に空を飛びたいとか、宝くじに当たりたいとか言われたら、「それはちょっと…」と思いますが、家族と二度と会わくていい方法は手続きを踏めば、不可能ではない願いだとカエルは思ってしまいます。これまで出会ったオタマジャクシたちの中にはそう願い、叶えた者たちはけっこういます。(こちらの記事では家族から抜ける手続きについて書いてあります)
未成年であれば、少し手間がかかりますが、あとは本気で応援してくれる存在が必要ですね。それを見つけるのが難しいのか…
最近、退職代行が流行っているみたいですが、家族と縁を切る代行とか、専門のセンターがあっても、カエルはいいと思っています。
家族脱退サポートセンターの所長になろうかな。

update 2024/11/13
Q.誰かが、何も考えずに放った言葉の矢を全て冗談と受け止められればいいのに、、、。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.誰かが、何も考えずに放った言葉の矢を全て冗談と受け止められればいいのに、、、。

A.なるほど
リフレーミングという言葉は知っていますか?
物事の見方を変えてみると意味が違ってくるということです。
例えば、コップに半分水が入っているのを「半分しか入っていない」と思うのと、「まだ半分も入っている」と思うのでは違うということです。
誰かが放った言葉が「傷つけるための言葉の矢だ」と思うのか、「単なる冗談だ」と思うか、別の見方をしたいということなのでしょう。
そう考えると「矢ではあるが、的は自分じゃなく、どっかに飛んでった」とか「矢はふにゃふにゃで刺さっても痛くないものだ(でも、痛いから『言葉の矢』だと思ったのかも…)」とか「この痛みを学びにして、今後に生かそう」とか、意味付けはいろいろとありそうなので、自分の好きな言い換えを探してみるのはどうでしょうか?
そして、何より「言葉の矢が刺さって痛かった」という痛みをしっかり受け止めてかみしめる方法もあります。痛みは痛いと意識することで和らぐという説もあります。私たちは、弱い存在なので、しばしば傷つきます。痛みを感じるからこそ、生きていけるという側面があるとカエルは思っています。

update 2024/11/12
Q.社会でいつも発言力を持った人たちが権力を握っていてすごく嫌
この記事の担当 生きかたカエル

Q.社会でいつも発言力を持った人たちが権力を握っていて、自分勝手に使っていて、すごく嫌です。大人も親も友達も助けてくれない。どうすればいいですか。

A.発言力を持った人たちが権力を握っているという真実に気づいてしまいましたか…人間界はいつの時代もそうだったのかもしれないとカエルは思っています。
カエル調べでは、発言力があり権限を握っている人は実は世間知らずで怖がりであるという研究結果もあります。広く見ることができないとか、周囲から攻撃されるのではないかとおびえて、自分の力を必要以上にふるってしまう傾向にあるのだろうと思っています。自分の意見を権力に関係なく、自由に伝え、誰かの意見にも耳を傾けるような対話の機会が人間界には少なすぎますね。
どうすればいいかというと、とにかく対話することです。ここに質問をくれたこと自体、何かしらの「問い」をあなたは投げかけていて、それにカエルがこうして考えて応答しています。
おそらく、大人も親も友達も対話の大切さに気付いていないのでしょう。あなたの近くに対話できる人がすぐに見当たらないとしても、実は意外なところにいたり、こうして生きづLABOでは何かしらの問いをいつでも待っています。

update 2024/11/12
Q.ふとしたとき、ずっと死にたいと思ってしまう。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ふとしたとき、ずっと死にたいと思ってしまう。死ぬのは怖いのに。どうしたらいいんだろう。今生きている環境が怖いです。

A.死について考えるというのは、とても自然なことです。
そして、自分の「怖い」という気持ちに気づくことも、とても大切な過程ですね。
どうしたらよいのか…それは簡単にカエルがお答えできることではないですが、自分の「怖い」がわかるあなたなら、どうしたらいいのか、あなた自身が実はわかっているのかもしれません。
でも、いつも何かをしなければならないわけではなく、何もしなくてもいいこともわりとあると思っています。

update 2024/11/12
Q.組織に属さずに働く方法はありますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.組織に属さずに働く方法はありますか。

A.ありますよ。
個人事業主って方法があります。
なぜ、組織に属したくないのかの理由にもよりますが、世の中には属しても苦にならない組織もありますし、自分で運営する組織ならそんなに不自由じゃないこともあります。
まぁ、カエルも組織は得意じゃないので、組織に属さず、所属は「青い池」とか「広い湖」とか「地球」とか言っちゃってます。

update 2024/11/9
Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
私は何をもって、自分が自分であることを確かめればよいのでしょうか。

A.とても哲学的だとカエルは感じました。
カエルも哲学が好きですが、もっと哲学に詳しい仲間にアドバイスをもらいました。そのまま紹介します。

(※生きづLABOの質問BOXでは、質問について、サイトには公開されない補足の内容を書くことができます。補足の内容を汲んでの回答になりますので、質問の本文のみ見ている人には若干話が見えない部分もあるかと思いますが、ご容赦ください)

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「普通の人」とは異なる問いに悩んでいる疎外感と、そのことについての少しばかりの誇らしさを感じました。例示や不合理な帰結の導出など、哲学的な議論の仕方に慣れておられるようにも見えましたので、なぜ生きづLABOに尋ねたのか、何を期待しているのか聞いてみたいです。

これらの問いは「生きづらさ」の問題として見るか、哲学的な問いとして追究するかでアプローチが変わると思います。生きづらさの問題として受け止めるのなら、自分という存在の不確かさがどうして「普通の人」よりも切迫しているのか、その背景に何があるのか、どうしたら楽になるのかという観点から答えますが、そういう答えでこの方は満足するのでしょうか。「根拠」や「規定」という言葉から、むしろこの方が哲学の問いとして概念的に突き詰めたいのではないかと思いました。哲学の問いとして考えるのなら、おそらく誰もが納得できる絶対的な答えはありませんので、自分で言葉を鍛えながら探究するほかないと思います。論証や議論がしたいのならば、ほかに相応しい場所はありますので、そちらでやっていただければよいと思います。(永井均や中島義道の本を読んだのでしょうか?もしまだ読んでないのなら、面白く読めるかもしれません。)

あるいは二つの側面を切り離さずに、実存的な問いとして引き受ける道もあると思います。その場合には、他者の感じ方や考え方に触れて視野を広げたり、全く別の問いや課題に取り組んでみたり、幅広い人生経験が役に立ちます。抽象的な問題を考えるよりも、自分や身近な人の具体的な困りごとに寄り添うような経験を積むことです。いずれにしても誰かに答えを「教えて」もらうような問いではないと少なくとも私は思います。

個人の意見としてですが、私は自分自身(身体や過去の自分)との繋がりや、外界(社会やその外側の宇宙)との繋がりを感じられるとき、自分らしさや、自分が自分であると思えます。一言でいえば、「疎外された自分の一体性の回復」です。よって、現時点の自分の構成要素を分析するというやり方では「自分らしさ」に到達できないのではないかと考えています。もしこのような見方が正しければ、感じ方の異なる「普通の人」との共通の地平を探ることが一つの手掛かりになるかもしれません。また、補足の内容が思弁に偏っているように見えましたので、身体性を取り戻すことも効果的かもしれません。例えば、身体を大事にする、身体にとって快適な状態を作る(お風呂などで温める、柔軟体操や軽い運動をする、リラックスする)のはどうでしょうか。また、存在感や自己感覚の希薄さは、幼少期の深い傷つきやトラウマの経験と関わっている可能性もあります。
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update 2024/11/8
Q.特技も運もない自分はこの先、生き延びることができても楽しい人生なのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.引きこもりでもパソコンやITに強いとか、障害があっても芸術の才能があるとか、それを見つけて支援してくれる人と巡り会える運を持ってるとか、そういう特技も運も何も無くただダメな自分はこの先、生き延びることができても果たして楽しい人生なのかな

A.いやいや、生きづLABOというサイトを見つけてきた運と、こうして所長の質問箱に質問できる実力があれば、生きのびられるとカエルは思います。

そもそも、何が楽しい人生なのかは一律ではないので、特技や運が人生の楽しさと直結するものではないとカエルは思います。
カエルの仲間でも、井の中の蛙は楽しいことを見つけるのが得意ではないけれど、広い海に出ていくと価値観が変わり、楽しいことも変化することはよくあります。
出ていくといっても、物理的に外に出ることだけではなく、いろいろな価値観や人生があることを感じ取る機会があることが大切かと思います。
サイト情報も一つの手段ですが、視野を狭くする情報もたくさんあるので、情報を選ぶのが難しいですね。

update 2024/11/7
Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?

A.とても、よい質問だと思いました。
嘘をついてはいけないことなんて、ありません。
「嘘をついてはいけない」というフレーズは、支配したい者が支配したい相手にかける洗脳の言葉だとカエルは思っています。
大人から子どもへ、先生から生徒へ、上司から部下へ…嘘をつくなと言うことはよくありますが、その逆で言うことはほぼないと思います。
つまり、「嘘をついたらダメ」というのは相手をコントロールするための抑圧の手段なのです。だから、嘘をつくかつかないかは本当はどうでもよいことだとカエルは思っています。そもそも、忠実に事実だけを語る人はいないので、誰もがいつも嘘つきであり、本当のことを言っているとも言えます。
また、いわゆる嘘として、わかっているけれど本当のことを言わない、あるいはわざと別のことを言うことはありますが、それでも「そう言いたかった、そう言わざるを得なかった事情」というものが含まれる、大切な自己表現なのです。
それを、支配したい側が自分の都合で「嘘」というレッテルを貼りいかにも正当な行為のようにして、弱い者を操作しようとすることがあまりにも多いのでカエルは「嘘をついたらダメだ」キャンペーンには賛同しかねます。

ただ、カエルも誠実に他者と付き合いたいという希望はあるので、嘘によって混乱したり、困ることはあります。そんな時は「嘘をついてはダメだ」ということではなく、「あなたは今そう伝えたかったのですね。でも、私には別のように思えます。本当のことを教えてもらいたい」とお願いすることはあるかと思います。ただし、お願いしたとしても、本当のことを言ってもらえるかは相手次第のことです。それでも、事実ではないことを言われたとしたら、関係性がまだ本音を言い合えるところに至らないのだろうと理解します。

したがって、「嘘をつくかどうかは自由」であり「嘘をついてはダメ」という台詞を言う人には気を付けた方がいいでしょう。というのがカエルの結論です。

update 2024/11/1