PAGE
TOP
記事の担当 ウ・サギ
Q.体の性は女性で心の性は男性だけど、可愛い服も好き。これっておかしい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私(俺)は体の性は女性で心の性は男性ですが、スカートも履けないわけでもないし、特に(ネットで言う)天使界隈やサブカル地雷系等の可愛い服も好きです
これっておかしいですか?

A.いえ、何もおかしくないと思いますよ。心の性は「どんな性別で扱われたいか/扱われたくないか」が一番のポイントだとウ・サギは理解しているのですが(あくまでウ・サギ的理解なので、違ったらごめんなさい)、男性として「周りに扱われたい」ことと、可愛い服が好きなことは両立するものだと思います。ただ、相手が服装で性別を認識しちゃうタイプの場合だと、女性として認識される、という不本意な扱いを受けるリスクはあるのかな…?とちょっと想像はしました。
おかしいものがあるとしたら、性別で着る服が決められてしまう風潮であると思います。どんな人の「好き」も「こうありたい」も、おかしいことは何もなく、その人らしさなのだとウ・サギは思っています。

update 2025/3/26
Q.いつも死にたくなりますが、理解されません。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつも死にたくなりますが、理解されません。原因が分からないと解決しようがない、とも言われますが、原因はもう分かりません。不安なことで頭が一杯になるのも、考え過ぎだ、と。早く楽になりたいのですが、どうすれば良いでしょうか。

A.解決や苦痛の緩和のためには自己理解(&周りからの理解)がポイントだとウ・サギは感じているので、理解されない中では、楽になるきっかけはなかなか見つかりづらそうです。
ウ・サギは、死にたくならない人にむしろ「なんで死にたくならないの?」と聞きたいと常々思います。それくらい、世の中は理不尽と負担に満ちていて、何度か傷つけられたり、味方がいないと感じれば、死にたくなるのもおかしくないと思っています。
だからどうすれば良いかといえば、話すことで自己理解が進むような、対話の相手がいれば一番話は早いのですが……。あとは自分の生きづらさについて、適切な理解が進む本や理論が見つかることで、少し楽になった話は周りから聞いたことがあります。
生きづLABOで研究会や勉強会を開きたい、という気持ちが日々強まっていきます・・・。

update 2025/3/26
Q.自分の中で揺らぐ気持ちとどう付き合えばいいかわかりません。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分の中で揺らぐ気持ちとどう付き合えばいいかわかりません。きっぱりと白黒つけたい気持ちがありますが、それも難しくて…どうすれば良いでしょうか。

A.なるほど、揺らぐ気持ちとの付き合い方ですか。揺らぎや矛盾の中でバランスを取りながらやっているウ・サギとしては、「それはウ・サギの専門ですね!」と前のめりに回答する気にはなったのですが、どうしたらいいでしょうね…。(自分のことならわかりますが、自分と相手がどこまで同じかはわからないので、難しいところです)
経験的には、白黒はつかなくても、「とりあえず今のところはこの落としどころでいいかな」というのは定められる感じはしています。どういう色のグレーなのか、または白黒ボーターのようになっているのか・・・白か黒かの結論にはならなくても、ある程度きっぱりした形にはなる気がするのです。つまり簡単にいえば、心の整理、みたいなものかもしれません。
そのためには、語る機会、フィードバックをもらう機会があるのが有効だと思います。世の中はそういうのを「相談」と呼びもしますが、「一緒に揺らいで、バランスを探すプロジェクト」みたいな関わりが大切なのかなとウ・サギは思っています。

update 2025/3/26
Q.トランスジェンダー当事者です。割り当てられた性別で苦痛なく生活できる治療があればと思うのですがどうですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.トランスジェンダー当事者です。カウンセリングや薬物治療によって、割り当てられた性別で苦痛なく生活できばいいのにと感じます。性自認を尊重する考えが広まっていますが、本人が望んでいる場合、こういう治療の是非についてどう思いますか?

A.本人が心から望んでいるのであれば、どんな治療をするのもいいとウ・サギは思います。
性別移行をしても、最初からその性別だった人と完全に一緒にはなれない部分はどうしてもあるかと思いますし、諸々負担も大きいので、割り当てられた性別で苦痛なく生活できるならその方が楽なこともあると思います。でも、カウンセリングや薬物治療でそれが出来るのか?というと、たぶん違いそうだし、倫理的にも問題がありそうだとウ・サギは思いました。
性自認に限らず「自分を何者だと思うか」を、誰か他の人の力や薬によって変えるのは、出来るのでしょうかね・・・?例えばウ・サギが「あなたはウ・サギじゃありませんよ、ただのサギです」と誰にどう説得されても「そうですね」とはならないし、それを「治療」なんて言われたら、もう大パニックです。
ウ・サギとしては、性別であれこれ分けすぎる社会に治療を施し、割り当てられた性別で扱いが変わる機会が限りなくゼロに近づけるのが、一番まっとうな解決法なのかなと思っています。体に男女がある以上、完全にゼロにはならないかとは思いますが、今は分ける合理性も必要性もないのに分かれているものが多すぎると感じます。
性別が限りなくフリーな社会になったら、そもそも性自認というもの自体ほとんどなくなるのでしょうかね…?ちなみにウ・サギは性別ウ・サギだと思っています。

update 2025/3/24
Q.とある作品のキャラを見て、自分は「親の負の感情から生まれた呪い」かも…と思った。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.とある作品に「人の負の感情から生まれた呪い」のキャラが出てきて、それを見て私は自分のことを「親の負の感情から生まれた呪い」かも…と思いました。人間の中には、自分の感情を誰かに押しつけて楽をする人がいる気がします。

A.去年完結した、某有名漫画ですかね…?
という話は置いておいて、人間は生きる上で、多かれ少なかれ感情の押しつけ合いをするものだとウ・サギは感じています。ただ、それがお互い様だったり、ちょっと今日は押しつけさせてくださいと合意していればいいのですが、無断で押しつけまくってくる人(関係性)があるのが問題だと思っています。
とくに大問題なのが、強い(親)側が弱い(子)側に押しつけることで、この場合抵抗するのも逃げるのもとても難しいです。だから、押しつけられた&押しつけられたことによって生まれた負の感情を、十分に発散したり癒したり消化したりする暇もなく、体内に溜まった毒のようなものを抱えてしまうことになるのかなと感じています。
でもあなたは人間なので、あなたが「呪い」というよりは「呪われてしまった状態」にあるとウ・サギは言いたいです。解呪の術を探す会なんてやったら、参加希望者が集まりそう…?なんて想像しました。

update 2025/3/22
Q.ルッキズムや学歴格差など社会問題をどうにかしたいのに、自分も波に飲まれてしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中途半端な自分が嫌です。ルッキズムや学歴格差などの社会問題をどうにかしたいと思っているのに、自分もその波に飲まれていることに気づきました。どう生きていったらいいのでしょうか。

A.気づくことからしか何も始まらないと思うので、自分の気持ち、現状を理解し、「どう生きていったらいいか」と問いかけていることは中途半端ではないとウ・サギは思いました。むしろ、自分を生きる道を着実に一歩ずつ積み重ねて、しっかり飛ぶために助走している印象を受けます。
社会問題をどうにかしたいと思っている人が存在している、というだけでウ・サギは勇気や元気をもらえました。だから、どのような形でもいいので、同じように社会問題をどうにかしたいと思っている存在と関わることが(この質問もその一つですね)、自分にも周りにも自由や解放を生み出していくのにつながる気がします。
世間の波は強大で、個の力だけで抗うのは難しいので、どんどん仲間を増やしていきたいところです。

update 2025/3/19
Q.褒めてほしい、応援してほしいと思うのは、自立できてないからでしょうか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大学受験を乗り越えたこと、引っ越しの手続きなどを自分で調べて1人でしたこと、過去のつらい記憶と闘ったことを、褒めてほしいです。できればこれからを応援してほしいです。誰かにそう思うのは、自立できていないからでしょうか。

A.「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるのですが、ウ・サギもそう思っていて、自立=頼らないではなく「頼り上手になること」だと思っています。
だから、褒めてほしいなら、褒めてくれそう&あなたを褒めることを負担に感じない相手に、褒めてほしい!と言えるようになるのが自立だと思います。(相手のチョイスと伝え方がどんどん洗練されていくとなお良し、というイメージですが、褒めるだけでいいならわりと誰相手でもいけそうです)

大学受験、引っ越しの手続き、お疲れ様でした。過去のつらい記憶との闘いも、ウ・サギも自分なりに経験しているので、同志として健闘をたたえたいです。
生きづLABOで、お疲れ様パーティを開きたい気持ちになりました。

update 2025/3/19
Q.ストレスを避けてるが、物事を避けてばかりも辛くて、ストレスに強くなりたい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ストレスへの対処法がわからなくて、強いストレスを避けてしまいます。けれど物事を避けてばかりいるのも辛くて、ストレスに強くなりたいです。なにか方法はないでしょうか。

A.ストレスに強くなるというのは、ストレスの自覚と解消が上手になることだとウ・サギは思っているので(齢や経験を重ねると徐々に鈍くなったり開き直れるようになってストレス自体が少なくなることもありますが、それはすぐに変われるものではないと感じています)、その方向性で方法を考えさせてもらいますね。

ウ・サギもあまりストレスコントロールが上手ではないのですが、
・ストレスがかかるとわかっている物事の後に回復期間や癒しグッズをあらかじめ用意しておく
・強いストレスが少しでも軽減するように、事前に配慮をお願いしておく
・ストレスを感じた時に吐き出せる先を準備しておく(身近にいない場合は、ネットの掲示板などもいいかもです)
あたりが比較的手軽にできる工夫かな…?とは思っています。

ただ、物事を避けてばかりが辛いといっても、ストレスが自分の限界を超えたらもっと辛いとウ・サギは思います。
日常的にストレスがすでにギリギリで、物事を避けている可能性もあるので、その場合はまず環境を変えてからチャレンジしないと、危ないかも・・・?とちょっと心配もしています。

update 2025/3/19
Q.自分の延長線上に加害があると考えても、加害に至る理由の解像度が粗いと的外れな自己否定に終わってしまうのではないか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何かの加害者を自分とは縁遠い人物とするのではなく、自分の生活の延長線上に加害があると考えられると、意図せず行なっている加害に気づく事ができるのではと思います。ただ、加害に至る理由の解像度が粗いと的外れな自己否定で終わってしまうと思いました。

A.(注:Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手ですの記事を読んでの質問とのことです)
そうなのですよね・・・想像し理解することが大切というのはわかっても、解像度が一定以上にならないとズレてしまうので、じゃあどうすれば解像度は上げられるのか?というのは延々悩んでいるところです。
色々な人に出会うこと、話を聞くこと、そして自分の感じていることを話すこと。多様なものに触れるのと、率直に語る場をもつのがポイントだとウ・サギは感じているのですが、今の社会は多様性の乏しいコミュニティで、仮面をかぶって話す機会の方が多い気がするので、自己理解も他者理解も難しいのかなと感じています。
悩ましいです。

update 2025/3/19