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記事の担当 ウ・サギ
些細な事を気にして疲れる。気にしすぎずに済む方法はある?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.いつも、些細な事を気にして、凄く疲れます。気にしすぎずに済む方法はありますか?

A.ウ・サギも些細なことを気にして消耗していくタイプなので、わかるという気持ち、本当にどうしたら気にしすぎずにいられるのだろうか…と一緒に悩んでしまう気持ちで読みました。

自分もあまり実践できていないので、あくまで理論上の話になりますが、方法には、
・「気にする」を減らす
・「気にする」の後のストレスを減らす 
という2つの方向性があるかなとは思いました。

「気にする」を減らすのは、意識を思考以外に向ける工夫をしてみることです。
トイレに行って深呼吸をしてみるとか、何かしらフィジカルにアプローチするのが一番合理的なのかなとは思います。

「気にする」の後のストレスを減らすのは、思考を整えてあげることで、相手の感情は相手の感情だから心配しても意味がないとか(自他境界、バウンダリーという言葉を調べてみてください)、この人はこういう仕事なのだから頼むよりも我慢される方が相手には迷惑なはずだとか、「仕方ない」「大丈夫だ」みたいな考え方を確立することです。
でも「気にする」というのは感情の問題なので、思考ではどうにかならないのかも・・・?どうなのでしょう。

気にする気持ちはきっと、不安から生まれている部分があるのかな…とは思います。
だからその不安がどこからくるのかを一度振り返ってみたら、何かヒントが見つかりそうな気もします。

update 2024/11/21
Q.「人として・・・」とよく言われる。どうすれば言われなくなる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「人間性がない」「人として・・・」とよく言われるのですが、どういう意味で言っているのかも、どこをどう直せばいいのかも、わかりません。どうすれば言われなくなると思いますか?

A.「人間性がない」「人として・・・」といった発言は、相手への想像力を放棄し、自分が正しいと思っているときに出る表現な気がします。そのような、自分の方が正しいんだモードになっている人の言うことは、とにかく聞き流すことをおすすめしたいです。

言われなくなる方法はちょっとすぐには浮かばないのですが、ウ・サギであれば心の中で(本当に人間性がある人は、他の人に人間性のことをああだこうだ言わないんだよなあ・・・。あなたも人間性を磨くために頑張ってくださいね)と思いながら聞きます。
ニンゲンは良くも悪くも、テキトーに自分の言いたいことを言うことの多い生き物です。論破するか、適当に合わせるか、逃げるか、対処法はさまざまですが、誰かのテキトーな言葉はあまり相手にせずに、自分が真剣に思うものを信じていきていきたいところです。といっても、ウ・サギもあまりそう出来ずに、振り回されたり傷ついたりしているんですけどね…

update 2024/11/17
Q.自殺対策でよく特集される有名人の体験談を見るたびに辛いです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自殺対策でよく特集される有名人の体験談が大嫌いです。ごめんなさい。でも、見るたびに辛いです。守られた場所からどんなお言葉を貰っても、そうはなれない自分が余計に惨めで苦しく思えるからです。悔しさをバネにして飛べたらいいけど、力尽きています。

A.「守られた場所からどんなお言葉を貰っても」という表現と、「悔しさをバネにして飛べたらいいけど、力尽きています。」の表現がグッドだと思いました。
また、この大嫌いの話を伝える先に、生きづLABOを選んでくれたのも感謝です。あなたの「大嫌い」は、強い違和感の表明、という色合いがあると感じているし、違和感はこの社会について考える上でとても大切なものだと思っています。

今は幸せになれました系の発信は、自分の立場と他の人の立場の違いを十分に知らずに(社会的優位性に無自覚に)語られている場合が多いので、ウ・サギは見ないようにしています。どうして自分はできないのだろう・・・自分はダメなのかな・・・?と思って、元気を失ってしまうので。
生きづLABOとしても、見ることで余計に惨めになったり苦しくなるのではなく、少しでもほっとできたり本来その人のもつ力を取り戻せる情報発信をしていきたいところです。

update 2024/11/15
Q.どこにいても何をしていても緊張します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どこにいて何をしていても緊張します。警戒心が解けません。もちろんそれが良い面として出る場合もあるけど、家の中に一人でいても緊張し続けながら生きるのは結構しんどいです。適度に外に出たほうが楽になったりする経験もあるけど、やっぱり外は怖い。

A.ウ・サギも緊張の強いタイプなので、あなたの大変さは自分のつらさをさらに濃縮させたものなのかなと想像していますし、そりゃしんどいよな…という言葉が出てきます。
緊張は、何かイヤなことが起こるのではないか…これまでこんな恐いことがあったしな…という経験則や予想(時に妄想?)から生まれる側面がありそうだとウ・サギは思います。それがわかったところで、緊張をゆるめる方法がわかるわけではないのですが…
自律訓練法など、フィジカルの方のアプローチはどうでしょうか。あとは気持ちが不安定だと警戒心も強くなる気がするので、何か人生や住環境などにストレスがあるなら、そこを徐々に変えるのが効果的かもしれません。

update 2024/11/15
Q.毎日、ふとした瞬間に心がズキズキと痛みます。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.毎日、ふとした瞬間に心がズキズキと痛みます。何となくですが、今まで見ないようにしてきた心の傷つきが一斉に痛んでいるような感じがします。そして、痛みを消そうとするのも違う気がします。どうしたらいいのでしょうか。

A.心が痛んだとき、ウ・サギは「そうかそうか、自分はつらかったんだな」と自分を労って、なるべく涙を流してあげるようにしてました。あとは痛みは「気づいてほしかった、見てほしかった」とズキズキしてるようにも思ったので、話せる範囲で人に話したり、紙に書いたりもしました。痛みも大切な自分の一部なので、なるべく優しくしてあげたいとウ・サギは思います。

update 2024/11/13
Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
どうしても嫌いな人がいるんです。そして嫌いな人=親なので離れられないんです。

A.好きになる努力は不要だとウ・サギは考えます。
そもそも好き嫌いなどの「感情」や「感覚」は努力で変えられるものではない気がするのですが、どうなのでしょうね・・・(ウ・サギは嫌いじゃないと思い込むことに成功して、結局は最後もっと嫌いになった経験ならあります)

でも嫌いだという気持ちが膨らみすぎると疲れるので、疲れない工夫はあった方が楽かもしれません。愚痴を言えるところで思う存分言って、なるべく親と物理的に距離を置くことをおすすめしたいです。
生きかたカエルは、合わないと思った相手を「観察対象」として見て、「ふむふむこういう生態なんだな」という分析に目を向けて、そもそも好き嫌いの対象外にするそうです。

update 2024/11/13
Q.ただ話を聞いて欲しいと思って話すと相談と受け止められて結論を求められる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ただ話を聞いて欲しい、愚痴を聞いて欲しいと思って誰かに話すと、大概相談と受け止められて、あなたはどうしたいのという結論を求められることが多いです。
それがわからないから話してるのになと思います。

A.ウ・サギは昔それをやってしまって怒られたことがあるので(相談だと思って論理的に回答したら、そういうのじゃない!!と)、こころの中で冷や汗を流しながら読みました。
自分だけではわからない、気づけない、整理できない何かがあるから、人は誰かに話をするわけで、「どうしたいの?」と結論を求めるのではなく、想像して一緒に悩むのが大切なのか・・・とわかるまで時間がかかりました。

もし相手が昔のウ・サギのような人なら、「これは相談ではなく、ただ話を聞いて欲しいんです。自分でもどうしたいかわからなくて話しています」と最初から伝えることで解決する可能性はあります。でも、そう伝えてみてもうまく伝わらない相手なら、話す相手を変える必要があるかもしれません。
ウ・サギはネットの世界も利用しながら、腹が立ったときの愚痴向け、優しく寄り添ってほしいとき向け、気持ちを整理して一緒に解決策を考えたいとき向け、みたいに話し相手を使い分けています。そういえば、最近はAIも聞き役としてなかなか優秀らしいです。

update 2024/11/12
Q.病んで来ていつリスカするか分からない。どうしたらいいか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.現在中1です
夏休み中にリスカを辞めることができて10月まで1度もやっていませんでした。しかし後半に入って病んで来てしまい、いつリスカするか分かりません
どうしたらいいでしょうか。

A.リスカは依存行為の一種だと思うのですが、依存については「人は苦痛を避けるために依存をする(強い刺激にふける=脳内麻薬を出す)のではないか。つまり依存は、自分で自分の落ち込んだ気分を直そうとする、いわば『自己治療』なのではないか」という有名な仮説があります。風邪を引いたときに薬を飲んだり休養するように、心が病んできたときに治療をするのは自然なことで、必要なことだとはウ・サギは思います。
だからもし今のところ自己治療の方法がリスカ以外見つからないなら、辞めようと無理をすることはおすすめしません…が、他に自己治療の方法があるともっと便利ですよね。大人はお酒を飲んだり、暴飲暴食をしたり、ドライブに行ったり、その他いろいろな自己治療の選択肢があるのですが、中1は選べるものが少なくて本当に大変だと思います。
中1でもできることで考えると、運動は脳内麻薬が出る一つの方法です。また、深呼吸、美味しいものを食べる、好きなぬいぐるみを抱きしめる、お風呂に入るなどは、エンドルフィンという幸せホルモンを出す効果があります。

あとは休養ができれば(夏休みはストレスが少なかったからリスカを辞めれたのかもしれないと想像しています)もっと楽になれそうですが、なかなか環境的に難しいのかなとは思っています。
こうやって質問してみたり、相談することで心は少し休めるかと思うので、相談できる人や先を探してどんどん使うのはおすすめです。
リスカ以外の自己治療を探して試してみつつ、なるべく休める部分は休み、それでもどうにもならないときの最終手段として時々リスカを活用する、みたいな感じでどうでしょうか。

update 2024/11/9
Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちのせめぎ合いに苦しんでいる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちとの強烈なせめぎあいに毎日苦しんでいます。どうやったら自分とうまく付き合えるでしょうか…?

A.ウ・サギは自分と付き合うスキルはやっと中級くらいの自覚なのですが、所長たちの中では一番付き合いの難しい自分の持ち主なので、回答させてもらいます。

自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ち…その2つがほどよく折り合いをつけれたとき、バランスのよい自我像(至らない部分もあるが、大切な存在である)ができるのかもしれない?とちょっと思いました。
いつも不信感をもつのも大変ですしアンバランスですし、自分を庇いすぎるのもアンバランスで時に周りに迷惑をかけそうですし、その2つがせめぎ合うのはまっとうな現象であるように思います。でも「強烈な」と表現してくれているように、自分の中での振れ幅や軋轢が大きいと、生きることが闘いだというくらいに大変かと想像しています。

ウ・サギは、変化や刺激を求めて頑張りたい自分vs落ち着いた生活を求める自分、情緒的で感性を重んじる自分vsロジカルで事実を優先する自分、周りへの強烈な憎しみvs人の弱さへの慈愛、助けてほしいと泣いている自分vs平気なふりをする自分、などとたくさんの対立を抱えて生きてきましたが、仲裁役になったつもりで、双方の主張を書き出して整理することをわりとしていました。
基本的に双方の合意ができたことはありませんでしたが、主張を聞いてあげたことで、どちらも少しすっきりしたというか、強烈さが弱まる感覚はあった気がします。
また、もしかしたらもっと解体してみて、自分を嫌悪する自分、何も信じられない自分、自分を応援してげたい自分、人のせいにしたい自分、みたいな4者会談をしたら何かヒントが見つかるかもしれません。(その4者会談、見てみたい……)

update 2024/11/8
Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7