Q.カテゴリー「ブログ」の「挨拶と自己紹介」で、ウ・サギさんの挨拶と自己紹介で“趣味はお絵描きと読書”、と書いてあるのを見て、ふと気になったのですが、ウ・サギさんは漫画を読むこともありますか?
A.いい勘をしていますね!漫画は好きで、よく読んでいます。
ちなみに、ジャンルとしては、青春群像劇系と頭脳スポーツ系が好きです。
Q.カテゴリー「ブログ」の「挨拶と自己紹介」で、ウ・サギさんの挨拶と自己紹介で“趣味はお絵描きと読書”、と書いてあるのを見て、ふと気になったのですが、ウ・サギさんは漫画を読むこともありますか?
A.いい勘をしていますね!漫画は好きで、よく読んでいます。
ちなみに、ジャンルとしては、青春群像劇系と頭脳スポーツ系が好きです。
Q.いじめにあってから、相手に嫌われたくなくていい子ぶりっ子してしまうようになった。それで「可愛いね」「本当にいい子で天使みたい」って言われるほど人と関わるのが怖くなります。どうしたらいいですか?
A.最初にいい子をして相手に好印象を与えてしまうと、いい子をやめようにもやめられず、どんどん自分は疲れてくるし、人を信じられる経験も積み重ならない・・・というパターンがウ・サギもあるので「わかる、どうしたらいいんだろう…」と考え込んでいます。
時々、「あ、この人は無理していい子をやっているな。無理しなくていいよ」と気づいてくれる鋭い人がいるので、そういった人と出会えるか、小さい子どもや動物相手にはいい子をしなくても認めてもらえるので、そういった経験を積んでいくかかな…?というのがまずは浮かびました。あとは、実は周りにいい子している仲間が潜んでいることがあるので、仲間同士だといろいろ気楽に話せるなとも思います。
いつもいい子にしてられる人間なんてどこにもいないとウ・サギは思っているので、「いい子を見たら、無理していることを疑え」と、大人(余裕のある人)たちには意識しておいてほしいとも思っています。
Q.家に(毎日ではないが)来て下さる先生がいて、その先生が私の肩を軽くポンポンしたり、頭を撫でてきます。(肩をポンポンは)痛く感じるのと、元々嫌なのと両方です。頭撫でてくる方は、嫌なだけです。嫌な事をその先生には言いたくないですが、自覚して欲しいと思っています。後、他にも私が嫌だと感じる言葉を言ったりしています。(今は少なくなりましたが)その先生のせいで私は前に死にたいと思った事もありました。その先生の事をウ・サギさんはどういう風に思いますか。私は酷いな。と思います。お返事、お願いします。
A.ウ・サギは昔から触られるのが大嫌いなので、それは酷い…!と共感し、先生にムカムカしています。
という個人的な気持ちもありますし、「同意なく触る」のは「身体のバウンダリーを侵す」行為なので、先生にはそれを自覚して改善してほしいし、先生という立場でバウンダリーを守れないのはとても困るよ、と思いました。厳しい言い方をすると、それは教育者としてアウトです、というレベルのことだとウ・サギは考えています。
バウンダリーというのは、自分と他人の境界線のことです。自分のこと(気持ち、体、持ち物など)をどう扱うかは自分で決める権利があり、いいですか?と聞かずにそれを侵略(勝手に触る、気持ちを決めつける、持ち物をとる…)するのは、相手を傷つけちゃう関わりになるから気をつけたいし、逆に侵略された場合はNOを言っていい、といった話がよくされます。
とくに、子ども(弱い立場)から大人(強い立場)へはNOが言いづらいので、大人側はバウンダリーによく注意する必要があるとウ・サギは考えています。
伝えるかはあなたの自由ですが、バウンダリーについてちゃんと知っている他の先生に伝えれば、指導・改善の入る事案だとは思います。
境界に入る行為は慎重に同意をとる、入られたと感じたらNOを言っていい。これは学校で一番に教えておきたいことだとさえ思うのですが・・・そうはなってない現状を大人を代表して謝っておきます。
Q.摂食障害のオンライン自助グループに参加したいなと思っています。安全な自助グループを見つけるためのポイントを教えてください。
A.なるほどです。安全な場を見つけるためのポイントというと難しいですが、危険に気づくためのポイントは、自分のもやもややフィーリングを大切にすることだと思っています。あれ?ん?と少しでも感じたら、違和感を研究してみるのをおすすめしたいです。
安全かを判断する材料がそろうまでには少し時間はかかるので、ウ・サギであれば、いつでも逃げる準備を整えつつとりあえず参加してみるような気はしましたが・・・違ったなとなっても、それはそれで一つの勉強、くらいに出来たらと思いつつ、傷が深くなったり逃げるのが大変だったら困りますしね・・・難しい。
ウ・サギの経験的には、期待する気持ちが強いと安全判定の能力が落ち、ほどほどに疑ってるとわりと適切に判断できると感じているので、あなたは自分の力で見つけられる気もしています。
Q.昔から、イライラしたり落ち込むとお腹が痛くなって胸らへんがモヤモヤして気持ち悪くなって、喉がきゅってしまる。最近ずっと辛くてそういうことが多い。涙も勝手に出る。けれどなんで辛いのかは分からない。
A.体も心も「辛いよ」とSOSを出してくれていると感じました。
辛いことがいっぱいすぎると、何が辛いのか、どうすればいいのか、ウ・サギは混乱して分からなくなります。その状態で人に頼るとか、相談するのも、そう簡単じゃないよなあ…(支援者は簡単に「頼ってね」「相談してね」と言ってしまうけれど、そもそも人を信じられたらそこまで困ってないし)とも想像しました。
もうそういうときは、あらゆるもの(重圧、感情、タスク…)から逃げて、ゆっくり休めたらいいのに・・・と心から思います。
生きづLABOで何か休憩所を作れないかな……
Q.学校に行くことや、勉強をすること、進路について考えることなど、何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。頑張るほど希死念慮を抱える自分を引きずり続けている感覚があり、つらいです。でも必要なことなのでやめられないです。
A.頑張ろうとすると死にたくなる、というのは、「死にたい」があなたの心身のSOSなのだろうとウ・サギは読み取りました。頑張りたくない、これ以上頑張れない、そんな声が聞こえてくるようにも感じました。
今いる環境であなたが生きのびるにはそれらを頑張るのが「必要なこと」であるのは理解した上で、ただ単純に人間が生きると考えたときに、学校に行くのも勉強も、頑張りも本当にそこまで必要なのか?と言うと、ウ・サギは違うと考えています。今の世の中では、誰もが(多くの人が)過剰に自分をすり減らしているような気がしてならないので、生きていくのに大事なものは何なのか、全員で一度立ち止まって整理しませんか…?と世に提案したいです。(でも、もう立ち止まる余裕もないのか……?)
頑張ろうとする自分を優先し、死にたい自分をいじめると、ウ・サギの経験的にはどんどんメンタルが大変になりました。頑張るのはやめられないかもしれませんが、生きづLABOが少しでも死にたい気持ちの憩いの場になればと思います。
Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?
A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。
我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。
Q.ふとしたことがきっかけですべてダメになった気持ちになるのはどうしたらいいですか
A.ウ・サギもその気持ちになることあるな・・・とまず共感しました。
過去も現在もいつもギリギリのところで踏みとどまっていると、はたからみるとちょっとのことでも、メンタルがぐらっと崩壊するときがあると感じます。ウ・サギは、細い柱で支えて積み重ねていた積み木が崩れるようなイメージで考えていて、これまた積み上げるの…?ていうかこんなことまでして生きる意味とは…?と、打ちのめされるような感覚があります。
どうしたらいいかは……本当は、根本的にそんな「ふとしたことがきっかけで」何かが起こる状態から逃れ、安定できたら一番いいいのですけどね…。なかなかそう簡単ではないと思うので、「私は今すべてがダメになった気持ちになりました!」と伝えられる先があると少し助けになるかなとウ・サギは感じています。
赤信号みんなで渡れば怖くないと言いますが、しんどい気持ちもみんなで感じれば、怖くないとは言わないけど、その辛い時間をやり過ごすだけの力はみんなの中にあるのではないかとウ・サギは思っています。
Q.未成年のFTMです。自分の体が嫌で、めちゃくちゃにしたいです。声が嫌で首をしめたり、包丁で胸を切り落としたい衝動が強いです。カッターで体全体を傷つけてしまいます。これからどうしたらいいと思いますか。耐えられないです。死ぬしかないですか。
A.苦しい気持ちがとても伝わってきました。
回答を考えるにあたって、改めてFTMについて調べてみて、(これまでもふわっとは知っていましたが)診断が精神疾患ではなく「性の健康に関する状態」となり、性同一性障害から「性別不合」へと名前が変更されたのをきちんと知りました。また、精神科で診断をもらうなら、性別不合に詳しい病院に行くのが大切そうだと感じました。
「性別不合」という診断で考えると、体の治療をせずに苦痛を緩和する余地はかなり少なくてしんどいな…と改めて想像しています。
なぜここまで身体で性別が決められてしまうのか、男女のどちらが割り当てられるかで、周りの扱いや求められるものがここまで違ってくるのか…。
体が合致するまで苦痛は完全に消えなくても、世の中の性別規範、無意味な男女分けがなくなるだけで、苦痛の頻度や重さが抑えられる余地はあるはずだ(苦痛がどれだけ軽くなるかは別として、望まないジェンダーから解放されるために周りができることはたくさんある)とは思い、もどかしい限りです。
FTM、MTFが本来の(自認の)性別での居場所・扱いを得るために、ウ・サギが最近興味深いと思ったのは、ネットや配信者としての活動です。
声に自信がなくてもボイチェンを使えますし、立ち絵=その人そのものになる色合いが強く、顔出ししている人でもイラストの方を本体にウ・サギは感じます。
役に立たない回答だったらすみません。
Q.悩みを気にしない、もしくは悩みとうまく付き合っていく方法ってあるのでしょうか。いままで悩みを解決しようと奔走してきたけど、それももう疲れてしまいました。
A.その悩みが心の悩みであれば(その想定で回答します)、心の悩みは完璧に解決できるものの方が少ない気がするので、確かに解決を頑張るよりも付き合い方の習熟を目指した方が楽になるときはありそうだな、と思いました。
でも、世の中は時々簡単に「気にしなければいい」と言ってくれますが、気にしないができたら苦労しないわ・・・!とウ・サギは内心いつもムカムカしています。(話がズレてすみません)
付き合い方の習熟は2つのアプローチがあるとウ・サギは考えていて、
①悩みを整理したり話すことで、悩みが暴れるパワーを弱らせる
②現在目の前にある刺激に気を取られる場面を増やして、悩みが心に登場する隙をほどほどに奪う
の両方がスキルアップすると、徐々に楽になると経験的には思っています。
そのためには、、自分研究会、みたいなのをもっとみんなでやる機会があればいいのになと思いました。生きづLABOで開催してみたいところです。