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記事の担当 ウ・サギ
Q.前まで死にたいと言っててそれを乗り越えた友達の冗談を聞いて苦しくなった
この記事の担当 ウ・サギ

Q.前まで死にたいって言っててそれを乗り越えた友達がね、他のクラスメートに冗談で「お前みたいなやつがいるから去年の若い世代の死因は自殺が1位なんだぞ〜w」って言ってて。そんな簡単なことじゃないだろって苦しくなった。

A.ウ・サギはこれまでずっと「乗り越えた」という言葉に何かもやっとするものを感じてたのですが、それは「簡単なことだったことにする」に近い意味に見えたからなのかもな、とあなたの話を読んで気づきました。
でももしかしたら、それを言っている友達も「簡単なことだった」と思い込みたいだけで、本当のところでは解決していないのではないか(今はうまく誤魔化せているだけ)、ともちょっと考えました。
そう考えると、なんか難しいですね…。でもこういう苦しみを抱えているとじわじわ削られるものがあるとウ・サギは想像しているので、質問に送ってくれて勝手ながら安心しました。苦しさは吐き出して、シェアしていきましょう。

update 2025/2/28
Q.ニキビがやばすぎて自分の顔が嫌いになりそう…なんでモデルとか周りの子達は綺麗な肌なの…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ニキビがやばすぎて自分の顔が嫌いになりそう…なんでモデルとか周りの子達はあんなに綺麗な肌で入れるんだろ…?割と意識して生活してるつもりなのに…

A.ウ・サギも身近な人を見て体感しているのですが、ニキビができるかは、体質に左右される部分が大きいです。ニキビができない体質の人は何も意識しなくても一つもできないし、できる体質の人は十分に意識してもできてしまう、というくらいの差があります。(その真ん中の人が多いは多いでしょうが)

だから、あなたの生活の意識が足りないとかの話ではない、とはウ・サギは伝えたいです。ただ、ニキビ対策にベストを尽くしたいなら、やはり専門家である皮膚科のサポートがあった方がいいので、皮膚科に行ってみるのはありだと思います。
皮膚のトラブルは感覚的な不快感もあるし、周りと比較しても苦しくなるし、やりきれないよなあ…とウ・サギは思います。

update 2025/2/28
Q.トランスジェンダーなのに性欲が強くて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.トランスジェンダーなのに性欲が強くて辛い。どうして性欲があるのか、なくなれば楽なのに…といつも思います。いつも自分の体を嫌悪したり、罪悪感や後悔の気持ちで一杯になってしまいます。どう考えを変えたらいいと思いますか?

A.悩みの切実さを感じ、しばらく考えこんだウ・サギです。
まずは、何の答えにもなりませんが、「睡眠欲」「食欲」「性欲」が人間の三大欲求とも言われる中、「性欲」だけはちょっと特別な場所に置かれているよなあ、とぐるぐる考えました。
眠いから寝る、食欲があるから食べる、性欲があるから(周りに迷惑をかけずに)解消する、どれも等しく、排泄と同じくらいに生理現象だという考え方はできると思いますが、どうでしょうか。

あと、人間は生命の危機や、さみしさ、不安を感じると、食欲や性欲が強くなることがあるようです。
あなたの性欲がどういったメカニズムのものかは、ウ・サギには測りかねますが、「自分は今後どうやって生きていったらいいのか」といった危機や不安からくる衝動、という側面はあるかもしれません。

あらゆる面で、自分の体と心がちぐはぐで、かなり苦しいだろうと想像しています。
でもとにかく、人間の欲は(とくに三大欲求は)、自分の意思や感情でコントロールしきれるものではないので、「自分の心がしていることではない」のだ、とはウ・サギは思います。

update 2025/2/27
Q.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきたが、生きていてほしいと言うのが正しいことなのか分からなくなった。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.高校3年です。自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきました。死にたい人に生きていてほしいと心から強く言いたいのに、それが本当に正しいことのか、良いことなのか分からなくなりました。死にたい人と向き合うことが怖いです。皆さんは怖いですか?

A.自殺する人を止めたいと思うことで生き延びてきた、というのは、ウ・サギはあまり聞いたことのない生き延び方だったので、どうしてその思いが生き延びる軸になったのかが、とにかくまず気になりました。

ウ・サギは、死にたい=「自分らしく生きれないなら」死にたい=自分らしく存在したい、という意味があると思っているので、自分らしくありたい思いの支持・応援はしたいと心から思いますし、それが生きる道で叶ってほしいと願う気持ちはあります。
ただ、生きていてほしい、というメッセージは時と場合によっては、自分らしくあれない苦しみを尊重していない・受け止めていない態度に相手には見えてしまうこともあるので、取り扱いは難しいなと感じています。

死にたい人といっても、その「死にたい」に込められた思いや傷、背景は人それぞれだと思いますし、周りはその「死にたい」の背後に耳を傾けることしかできないとウ・サギは思います。
そして、相手の気持ちの背後にあるものに耳を傾けるためには、まず、自分の気持ちの背後にあるものをよく知るのが必要だとウ・サギは思っています。そうしないと、相手の声なのか、相手の声を聞いて出てきた自分の声なのか、混乱して、相手の声をうまく聞けないときがあるからです。

ウ・サギは、どんな人相手だろうと、自分に余裕がないときや自分の声(気持ち)がざわざわしているときは、人と向き合うのは怖いです。

update 2025/2/27
Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、帰ってきたらすぐに日常に戻って笑えるのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、笑って話したりできるのでしょうか。
なんでお葬式から帰ってきたらすぐに日常に戻って笑って生きることができるのでしょうか。

A.あなたにとって、違和感やもやもや、許しがたさのようなものを感じるお葬式を経験してきたのだろうか…と想像して、回答を考えています。(違ったらすみません)
また、「なんで」という気持ちを抱えたまま、それを消化できずに、苦しい状態にいると受け取っています。

それ以上想像に想像を重ねてもズレていくばかりな気もするので、ウ・サギのこれまでの経験から、死をネタにして笑って話したり、お葬式から帰ってすぐ日常に戻って笑ったりできる場合と、そうはならない場合の違いを考えてみますね。

一つは、(たぶん生まれつきの)タイプとして、今や未来に意識が向きやすいタイプと、過去や記憶に意識が向きやすいタイプがいると思っています。今・未来タイプの人は、死を深く悲しんでいても、「日常にすっと切り替わる」部分はあるかもしれません。
別のベクトルとして、じっくり考えてから話したり行動するタイプと、なんとなくのノリや感覚で行動するタイプがいるとも思っています。そして、ノリのタイプは、何かを簡単に「笑って」ネタにしてしまうときがある気もします。(たぶん多くの場合、そこに悪意はないとウ・サギは感じています)

あとは、人は居心地の悪さや不安を抱いたときに、何かをネタにして笑うときがあるとは感じます。
そう考えると、周りは死というものに動揺を抱いていたり、向き合うことができずに、逆に軽い態度をとってしまうのかもしれません。
的外れなことばかり書いてしまった気もしていますが、何かの参考になれば幸いです。

update 2025/2/27
Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう なんなんだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう
なんなんだろう

A.考えをして「しまう」と表現されていたように、自分自身の意思ではなく「そうなってしまう」ものなのだろうとウ・サギは思いました。

どのような考え方をするかは、時代や環境にかなり左右されるものだとウ・サギは感じています。
質問者さんの考えがどのようなものかわかりませんが、自分を追い詰めるような考えは、物事の責任や過失を自分に求めすぎる、努力や結果のプレッシャーをかける、周りの反応を気にしすぎてしまう、などかなと想像しています。
今の世の中は「自己責任論」や「競争主義・能力主義」という、個人の努力を過剰に求める考え方や、「集団・同調主義」とでもいえるような、周りにどう思われるかを重視する在り方が流行しているとウ・サギは思います。そして、私たちは知らず知らずに、または身近な人から直接的に、それを取り込んでると感じています。

もちろん、それだけが全てではないと思いますが、自分を追い詰めるような考え方をしてしまうのは、自分を追い詰めるような考え方が流行しているせいだ、という要素は大いにあるとウ・サギは思います。
なぜそんな流行がおこってしまったのか、どうしたら過剰なそれらから抜けられるのか・・・みんなで考えていきたいところです。

update 2025/2/27
Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう

A.幻聴があること自体は、ウ・サギはそんなに大ピンチとは思わないのですが、幻聴が幻聴であるとわからない、幻聴の言うことに強く振り回される、となってしまうと大変かと思うので、幻聴に影響を受けすぎないように、あなたの幻聴を一緒にモニタリングしてくれる存在がいたら(幻聴についてフラットに相談できる人がいたら)いいなあと思いました。
そんな人はなかなかいないかもですが……。ピンチだと感じたら、この記事なども参考にして、相談できる先を探してみてほしいと思います。

update 2025/2/19
Q.中学までが義務教育なのに、なんで高校大学に行かないと就ける職業が減って給料も良くないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中学校までが義務教育なんでしょ?なんで高校まで、大学まで行かないと就ける職業が減って、給料も良くないの?だって、中学までの内容が生きていくのに最低限度なんでしょ?だったら、もっと教育を皆が受けられる期間を長くすればいいじゃん。

A.教育と職業との関係性は、もっと議論と改良の余地があるし、変えるべきだとウ・サギも思います。
あまりウ・サギも詳しくはないのですが、外国のそのあたりの仕組みを色々見てみると興味深いです。どこかでは、大学はそもそも基本が「一回社会人になってから入るところ」で「入るのは簡単だけど卒業するのは大変」というものになっていると聞いたことがあります。あとまた別の国では、中学校くらいまでは共通のプログラムで、それ以降は手を使う方の職業にいくか、頭を使う方の職業にいくかで、全然別の学ぶ内容になる、というのも聞きました。(どちらもうろ覚えなので、違ったらすみません)
どのような制度にするのがいいのか、ぜひ一緒に考えましょう。

update 2025/2/19
Q.安楽死についてどう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.安楽死についてどう思いますか。
海外では認められているところもありますね。
でも、色々問題があるなと思いました。
安楽死はいいのか
家族が反対した場合どうするのか
誰でもいいのか(末期がん患者などに限定するのか)
難しいですね。

A.安楽死については、いくつか、かなり議論しないといけないポイントがあると思っています。
まず、安楽死は、このまま生きていてもよい見込みがない(と感じる)ときに魅力的に見えてくる選択肢だと思うのですが、その「よい見込みがない」の判断について、支援があれば変えられる(緩和できる)ものではないのか?というのは、絶対に欠かしてはならない視点だと思っています。
適切な社会のあり方やサポートがあれば緩和したり乗り切れるかもしれない苦痛を、安楽死という形で解決させてしまうなら、それは弱者は淘汰される世界になるとウ・サギは感じるので、そういった運用になってしまうなら安楽死には反対です。ただ、今は弱肉強食のような社会になってしまっている部分もあるので、「それならせめて安楽死させてください」という気持ちは自然なものだし、その叫びには真摯に向き合うべきと考えます。
まだまだ語ろうと思えば延々と語れそうなのですが、「安楽死を求めている人がいる」という現実について、安楽死を導入するとかしない以前に、何が起こっていて何が必要なのかをしっかり考えていきたい・・・と、日本での安楽死議論については思っています。
もっとフラットに、今の社会問題抜きに安楽死を考えるなら、最後は死なれてしまう側(周囲の人)の気持ちとの兼ね合いになってくるのかなと思っています。

update 2025/2/19
Q.楽しいことが何もありません。どうすれば楽しく過ごせますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.楽しいことが何もありません。どうすれば楽しく過ごせますか。

A.まず、ウ・サギも楽しく過ごしているかと聞かれるとYESともNOともいえないあたりなので、あまりうまく回答はできないかもです・・・お役に立てなかったらすみません。
ただ、あなたにとって楽しいことが何もないことが苦痛(とまではいかないかもですが、変えたいこと)なのだろうとは読み取っています。
楽しいことが何もないのは、一体どこから生まれている状態なのかわかれば、対応も見えてきたりしないですかね…?ストレスや疲労から感情麻痺状態にあるなら負荷を減らす必要があると思いますし、自分の意思や感性がわからなくなってしまっているのであれば、色んなものや人に触れるのがよいかもしれません。
ちなみにウ・サギは「楽しい」や「幸せ」を目指すと絶望してくるので、暇にならないことだけを目指して生きています。

update 2025/2/19