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記事の担当 ウ・サギ
Q.何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に行くことや、勉強をすること、進路について考えることなど、何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。頑張るほど希死念慮を抱える自分を引きずり続けている感覚があり、つらいです。でも必要なことなのでやめられないです。

A.頑張ろうとすると死にたくなる、というのは、「死にたい」があなたの心身のSOSなのだろうとウ・サギは読み取りました。頑張りたくない、これ以上頑張れない、そんな声が聞こえてくるようにも感じました。
今いる環境であなたが生きのびるにはそれらを頑張るのが「必要なこと」であるのは理解した上で、ただ単純に人間が生きると考えたときに、学校に行くのも勉強も、頑張りも本当にそこまで必要なのか?と言うと、ウ・サギは違うと考えています。今の世の中では、誰もが(多くの人が)過剰に自分をすり減らしているような気がしてならないので、生きていくのに大事なものは何なのか、全員で一度立ち止まって整理しませんか…?と世に提案したいです。(でも、もう立ち止まる余裕もないのか……?)
頑張ろうとする自分を優先し、死にたい自分をいじめると、ウ・サギの経験的にはどんどんメンタルが大変になりました。頑張るのはやめられないかもしれませんが、生きづLABOが少しでも死にたい気持ちの憩いの場になればと思います。

update 2025/3/10
Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?

A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。

我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。

update 2025/3/5
Q.ふとしたことがきっかけですべてダメになった気持ちになるのはどうしたらいいですか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ふとしたことがきっかけですべてダメになった気持ちになるのはどうしたらいいですか

A.ウ・サギもその気持ちになることあるな・・・とまず共感しました。
過去も現在もいつもギリギリのところで踏みとどまっていると、はたからみるとちょっとのことでも、メンタルがぐらっと崩壊するときがあると感じます。ウ・サギは、細い柱で支えて積み重ねていた積み木が崩れるようなイメージで考えていて、これまた積み上げるの…?ていうかこんなことまでして生きる意味とは…?と、打ちのめされるような感覚があります。
どうしたらいいかは……本当は、根本的にそんな「ふとしたことがきっかけで」何かが起こる状態から逃れ、安定できたら一番いいいのですけどね…。なかなかそう簡単ではないと思うので、「私は今すべてがダメになった気持ちになりました!」と伝えられる先があると少し助けになるかなとウ・サギは感じています。
赤信号みんなで渡れば怖くないと言いますが、しんどい気持ちもみんなで感じれば、怖くないとは言わないけど、その辛い時間をやり過ごすだけの力はみんなの中にあるのではないかとウ・サギは思っています。

update 2025/3/5
Q.未成年のFTMで、自分の体が嫌で体全体を傷つけてしまいます。これからどうしたらいいと思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.未成年のFTMです。自分の体が嫌で、めちゃくちゃにしたいです。声が嫌で首をしめたり、包丁で胸を切り落としたい衝動が強いです。カッターで体全体を傷つけてしまいます。これからどうしたらいいと思いますか。耐えられないです。死ぬしかないですか。

A.苦しい気持ちがとても伝わってきました。
回答を考えるにあたって、改めてFTMについて調べてみて、(これまでもふわっとは知っていましたが)診断が精神疾患ではなく「性の健康に関する状態」となり、性同一性障害から「性別不合」へと名前が変更されたのをきちんと知りました。また、精神科で診断をもらうなら、性別不合に詳しい病院に行くのが大切そうだと感じました。
「性別不合」という診断で考えると、体の治療をせずに苦痛を緩和する余地はかなり少なくてしんどいな…と改めて想像しています。

なぜここまで身体で性別が決められてしまうのか、男女のどちらが割り当てられるかで、周りの扱いや求められるものがここまで違ってくるのか…。
体が合致するまで苦痛は完全に消えなくても、世の中の性別規範、無意味な男女分けがなくなるだけで、苦痛の頻度や重さが抑えられる余地はあるはずだ(苦痛がどれだけ軽くなるかは別として、望まないジェンダーから解放されるために周りができることはたくさんある)とは思い、もどかしい限りです。

FTM、MTFが本来の(自認の)性別での居場所・扱いを得るために、ウ・サギが最近興味深いと思ったのは、ネットや配信者としての活動です。
声に自信がなくてもボイチェンを使えますし、立ち絵=その人そのものになる色合いが強く、顔出ししている人でもイラストの方を本体にウ・サギは感じます。

役に立たない回答だったらすみません。

update 2025/3/4
Q.悩みを気にしない、もしくは悩みとうまく付き合っていく方法ってあるのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.悩みを気にしない、もしくは悩みとうまく付き合っていく方法ってあるのでしょうか。いままで悩みを解決しようと奔走してきたけど、それももう疲れてしまいました。

A.その悩みが心の悩みであれば(その想定で回答します)、心の悩みは完璧に解決できるものの方が少ない気がするので、確かに解決を頑張るよりも付き合い方の習熟を目指した方が楽になるときはありそうだな、と思いました。
でも、世の中は時々簡単に「気にしなければいい」と言ってくれますが、気にしないができたら苦労しないわ・・・!とウ・サギは内心いつもムカムカしています。(話がズレてすみません)

付き合い方の習熟は2つのアプローチがあるとウ・サギは考えていて、
①悩みを整理したり話すことで、悩みが暴れるパワーを弱らせる
②現在目の前にある刺激に気を取られる場面を増やして、悩みが心に登場する隙をほどほどに奪う
の両方がスキルアップすると、徐々に楽になると経験的には思っています。
そのためには、、自分研究会、みたいなのをもっとみんなでやる機会があればいいのになと思いました。生きづLABOで開催してみたいところです。

update 2025/3/2
Q.言葉が少し聞き取りづらくなっていて、会話のテンポが遅くなってしまいずっと怒られる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大分前から言葉が少し聞き取りづらくなってしまって、耳鼻科にも行ったけれどなんともない。けれど普段やっぱり聞いてから自分の中で(こう言ったかな?)と考えながら会話しているからテンポが遅くなってしまってずっと怒られる。

A.聴覚ではなく、情報を処理する方の回路に不具合というかバグ?みたいなものが生じている状態なのかなと理解しました。
ちなみに、ウ・サギは生まれつきそれが苦手で、これまでの会話経験や、何か書いてる情報があればそれを総動員しながら、言葉を聞き取っている感覚があります。(なので知らない単語だと、聞き取った日本語が間違っていることが多いです)
だからきっとそんなに変なことでもないし、何かで補って対処していけばいい話のはずなのに、テンポが遅くなってずっと怒られる、というのはなかなか困った事態ですね・・・。目に見えない困りごとは伝えても理解されづらくて、ウ・サギも日々嘆きたくなることがあります。相手にも体験させられたら一番話は早いのですが…早くそういう装置でも開発されないかなあ。

update 2025/3/2
Q.嫌な夢を見ると1日中気分が沈む。嫌な夢を見た日はどう過ごせばいいか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.嫌な夢を見ると1日中何となく気分が沈んでしまう。過去が綺麗じゃないから、嫌な夢ばかり見るのかな。嫌な夢を見た日は、どう過ごせばいいのでしょうか。

A.夢は記憶の再整理をしている現象だという話だったかと思うので、記憶の中に嫌なことが多い人は、嫌な夢を見る確率は高くなってしまうのだろうとは思っています。
つまり嫌な夢は、現実の記憶とリンクしたものであるわけで、それは見た時に気分がいくら沈んでも仕方ないよなあ、とウ・サギは思います。
でもなかなか参ってしまいますよね……どう過ごせばいいのか…。質問の答えにはなってないですが、気分が沈むのも、それはそれで大切なことなのだとウ・サギは思います。嫌なことがあったときに子どもが泣くように、嫌な記憶があるならそれが憂鬱な感情をもたらすのは当然だし、(もっと)泣きたかったー!という叫びでもある気がしています。
とはいえ1日中気分が沈むのもしんどいと思うので、気分転換や気を逸らすことを考えると、自分の脳が何に騙されやすいかを知るのかがポイントだとウ・サギは思います。ウ・サギは目の前のタスクに夢中になりやすいのと、漫画を読むとのめり込むので、気が逸れやすい部分があるのですが、あなたの脳は何に集中しやすいでしょうか…?
あとは嫌な夢を見ただけで心は疲労状態だと思うので、「今日もよく頑張っている、お疲れさま」と自分を労わる気持ちで1日過ごしてもらえたら…とは伝えたくなりました。

update 2025/3/2
Q.子供の頃に戻りたい気持ちは一体どんなところから来ている?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.子供の頃に戻りたいなぁと思う気持ちが、最近大きくなっています。こういう気持ちって、一体どんなところから来ているのでしょうか。

A.ウ・サギも最近その気持ちが大きくなってきているので、仲間が見つかってちょっと嬉しくなっています。
ウ・サギの場合はですが、自分が子どもの頃と比べて(気持ちが)不自由になってしまった自分、そしてそれが完全には戻ることのないことに、気づいてしまったからなのかな…と感じています。つまり、今の自分の未練や望みや痛みと向き合える力が出てきたときに、子どもの頃に戻りたくなるのではないか?というのがウ・サギの説です。だからそれは主観としては良い気分じゃなくても、本質的には自分という存在が回復してきた証なのだと捉えています。
とはいえあくまでこれはウ・サギ説で、まだまだ不完全な仮説かと思うので、他の人の考察も聞いてみたいです。

update 2025/3/2
Q.先生が「これを見て、君たちにこういう思いを持ってほしい」と言うけど、何を学ぶかは私たちの自由じゃないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.先生が、「これから動画を見せるけど、君たちにこういう思いを持ってほしいんだ」とか言います。でも私たちがそれを見て何を感じて何を学ぶか、学ぶか学ばないかって私たちの自由じゃないんですか。

A.ウ・サギも、120%それに同意です。今首がもげるほど頷いています。
何を感じ学ぶかは、その人の自由だし、押しつけられた学びは本当の意味で学びではなく、調教や洗脳に近いものだと思っています。
ちなみに、ウ・サギはおおむね学校というものは好きじゃないですが、「こういうのは正しくないな」「ちょっと違うな」という例をいっぱい見れた部分は学びになったと感じています。

update 2025/3/1
Q.不幸せでも生きてゆく方法ってなにかあると思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.不幸せでも生きてゆく方法ってなにかあると思いますか?辛い状態が長く続いていて、正直生きるのが苦痛なのですが、楽に生きるにはどうすればよいのでしょう。幸せに生きるか、死ぬかのどちらかなのかな。

A.幸せじゃなくても、死にたいままでも、それなりに平穏に生きていくことはできる(ウ・サギはその状態なので)とは思います。
でも、「不幸せ」「辛い状態」というのは、幸せじゃないという次元ではなく、積極的に苦痛のあるものかと想像しています。そして、苦痛は周り(身近な人、周りの価値観、社会のあり方)との関係性の中で生じるものであり、辛い状態=環境が合わない状態、という側面が強いと思っているのですが、あなたはどうでしょうか。相手が悪いわけでないとしても、この人と関わっても、ここにいても、頑張るだけ不幸になっちゃうな・・・という場所はあるとウ・サギは感じています。
自分を変えられる幅は小さいですが、付き合う人と環境は、理論上は大いに変える幅があります。
どこで生きるかの選択肢が手軽にたくさんあったら、生きるか死ぬかではなく、さあ楽に生きれそうな場所を探しに行こう、という話になる気がします。そんな世界になってほしいです……。

update 2025/2/28