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記事の担当 ウ・サギ
Q.自分は欠点が多いから、頭がいいだけで、どんな大学に行こうが社会に出ても何も出来ないと思ってしまう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.県内トップクラスの進学校に通っている高2です。自分は欠点が多いから、頭がいいだけで、どんな大学に行こうが結局社会に出ても何も出来ないと思ってしまいます。将来に対して後ろ向きにならないためにどうすればいいですか

A.なるほどです・・・なんだか今の世の中は「社会に出る」ことについて、「週40時間労働・マルチにいろんな業務をこなせる・強いメンタル」を兼ね備える必要がある、みたいな脅しをかけているとウ・サギは感じています。
でも実は結構いろんな生き方、働き方がありますし、コミュニティによって価値観も違います。

だからまだ「社会に出る」の正体が掴めていない中で、後ろ向きになるのはフライングかもしれません。
大学進学をする予定なのであれば、社会に出るまで猶予はあるので、いろんな生き方・考え方に触れるのをおすすめしたいです。

update 2024/5/16
Q.元不登校生です。自分を受け入れてもらえない環境から身を守るために、私には何が出来るでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.元不登校生です。私は私らしく生きていただけなのに、家庭内で余計な心配をされます。焦る親の気持ちや価値観も理解できるけど辛いです。自分を受け入れてもらえない環境から心を守るために、私には何が出来るでしょうか。

A.まず、あなたがあなたらしく生きようとする意志にとても共感、応援の気持ちが湧いています。

ウ・サギも元不登校生で、そのまま学校からドロップアウトしてここまで生きてきました。そのことによる不利益は実際いくつかありますし、不安なときもありましたが、今となっては「自分にとって適切なステップ、道だった」と心から思っています。
どうこう言ってきたり心配してくる人たちには、「誰もが結局は自分としてしか生きられないのだから、自分を抑圧する(無理をする、自分以外の何かになろうとする)道を行っても、その先には落とし穴が待っていると思うのです…」と、誠実に反論したいところです。

自分を受け入れてもらえない環境から心を守るためには、自分が受け入れてもらえる環境や価値観(人でも、本や漫画でも、ネットの何かしらのコンテンツでも…)に触れる時間をなるべく増やすのが最も手っ取り早い気がします。
不登校経験者でも、そうじゃなくても、その人らしく(いわゆる「普通」とは異なる)生きている大人が周りにいたら一番いいのですが…

update 2024/5/3
Q.家の宗教で悩んでいます。宗教についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は家の宗教で悩んでいて、本を読んだり、歴史についてネットなとで調べたりして考えています。宗教の事件、宗教2世など騒がれていましたね
宗教についてどう考えますか?

A.ウ・サギは何の信仰ももっていませんが、宗教はよりよく・安定して生きるための「一つの手段」としては興味深いと思っています。
人間は、自分だけの力で自我を健康に保つのは難しいので、自分の考えを率直に話して公平なフィードバックをくれる相手や、自分なりの「どう生きていくか」の答えみたいなものは、あった方が便利だと思っていて。ウ・サギは前者は周りの人や、この人だったらこう言うだろうなという想定で賄って、後者は一応自分オリジナルの答えみたいなものはありますが、そこに神様や宗教を据えるのも全然ありだと思っています。
(こういった考えや発想自体が、失礼だったらごめんなさい……)

ただ、それが組織になった瞬間に(これは宗教に限った話ではないですが)、権力のある側が、権力もたないもの・迷えるものを支配したり搾取したりは、どうしても起こってしまいがちだと思うので・・・その部分で印象悪く感じてしまうときは、どうしてもあります。

それが宗教かそうでないかに関わらず、自分は何を信じるのか、相手は何を信じているのか、お互いにオープンに話して尊重し合える世の中で暮らしたいです。

update 2024/5/3
Q.悩みを言うのも聞くのもどうでもいい。それなのに支援機関には「同じ悩みを持つ人」「共感」しか提示されず絶望している。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.共感性がなく、悩みを誰かに聞いてもらうこと(聞いてもらうこと自体を指す)も、誰かの悩みを打ち明けられることも心底どうでもいい、むしろ不快なのに、病院から支援団体までどこにいってももう「同じ悩みを持つ人」「共感」しか提示されず絶望しています

A.ウ・サギも、人間界で「共感」がもてはやされていることには否定的なタイプです。
でも、自分と似たような「感じ方」の人がいると少しうれしくなります。これは「同じ悩み」とも「共感」ともちょっと違っていて…「違和感」をシェアできる相手みたいなイメージです。また、湧きおこる違和感やもやもやを誰にも吐き出さないでいるとしんどくなっていくので、それを打ち明けたい(シェアしたい)とは思います。
質問者さんも同じような気持ちで、ここに質問を投げてくれたのかな、と勝手に想像しています。
自分とフィーリングの合うもの(人でも、芸術でも、環境でも、動物でも)に触れる時間を増やすこと、合わないものから逃げること。これがないと、治るものもなかなか治らないとウ・サギは経験的に思っているところです。
あなたのフィーリングにやさしいものに、あなたが巡り会えますように。(という願い自体がズレてたらすみません…)

update 2024/4/12
Q.気分が落ち込みすぎた時、現実なのか夢なのかわからなくなって夢だと思い込む時があるのですがどうしたらいいですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.気分が落ち込みすぎた時、現実なのか夢なのかわからなくなって夢だと思い込む時があるのですがどうしたらいいですか?

A.夢だと思い込むというのも自分を守る一つの手段としてありだとは思いますが、現実なのか混乱したり自分を苦しめてしまうのなら、少し工夫したいところですね。

ウ・サギは現実感がなくなるくらい負の感情に呑まれてた時期は、現実の印みたいなものをいくつか(比喩的に、時に物理的に)握りしめてました。
感情・感覚は「これは夢だ」という世界に浸りつつ、片隅の理性で「でも現実にいるらしい」と一応自分は繋ぎ止めておいて、感情の波が去るまで耐え忍ぶイメージです。

お気に入りの人形やグッズでも、好きなお菓子でも、何か思い出の品でも、誰かからもらったメールでも、ノートに書いた自分へのメッセージでも、なんでもいいので、現実が分かるときに「夢か現実か分からなくなった私が少し現実感を取り戻せそうなアイテム」を備えておくのがおすすめです。

本当は、現実が自分にとって素敵なものであるのが一番なのでしょうけどね…

update 2024/3/25
Q.大きなストレスがあって心が緊急事態のとき、どう過ごすのがいいと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大きなストレスがあって心が緊急事態のとき、どう過ごすのがいいと思いますか?

A.人それぞれなので、参考になるかはわかりませんが

(1)ストレスを何かの刺激で一時的にかき消す~漫画を読む、動画を見る、やむを得ない場合は身体的に自分を痛めつけるなど
(2)自分がリラックスできるもの、安心できるものになるべく触れる~好きな食べ物、好きな場所、好きな言葉、誰かにもらった嬉しい言葉など(元気なときにそういう好きアイテムをストックしておくのがおすすめ)
(3)感情やもやもやのエネルギーを発散する~カラオケ、散歩、ノートに気持ちを書くなど
(4)信頼できる人と話す(吐き出せたらベストだけど、ただ何気ない会話するだけでも一定程度落ち着く気がする) ※ただ、そもそもそんな人がいたら苦労してないというのはある…

といったいくつかのアプローチの種類はありそうです。

緊急事態はいつやってくるか分からないものなので(来ないに越したことはないですが)、備えは十分にしておいた方がいいなと、書いていて改めて思いました。

ウ・サギもそこまでストレス対処が上手ではないので、本当はもっといろんな人に聞いてみたいところです。

update 2024/2/22
ウ・サギのナラティブ講座② 毒親とナラティブ
この記事の担当 ウ・サギ

こんにちは。お久しぶりです。ウ・サギです。
ナラティブ講座の2回目をやっていきます。といっても、自分でさえ前回の内容を忘れているのですが…(苦笑)

前回→①ナラティブとは

簡単に復習をしておくと、ウ・サギの理論におけるナラティブは、「その人の感じていること」というのが本質で、体にも、その人の慣れ親しんだ生活環境や文化も含まれます。
※このナラティブ理論はウ・サギオリジナルなので、他の理論や本などに出てくるものとは定義が少し違うかもしれません
そして、否定されたり禁止されたりすると傷つくものほど、自分にとって大事なナラティブなんだ、という話を前回はしました。

では、例えば大事なナラティブってなんでしょう?

よくあるのは、何が好きか(何に自分にとっての価値があるか)、何を考えて行動したか、あたりかもしれません。
これをないがしろにされたら、どう思うでしょうか?

自分が好きなものを、「恥ずかしい」「そんなもの価値がない」と言われる。やりたいことをやめさせられる。比べて否定される。
自分なりに考えて行動したことを、その考えも聞いてもらえずに否定される。または逆に「偉いね」などと、考えを聞かずに肯定(評価)されることも、時にはダメージになるかもしれません。

自分の親をいわゆる「毒親」だと感じる人は、親のナラティブ(何に価値を置くか、子どもの考えや行動をどう解釈するかなど)に、自分のナラティブを押さえつけられてきたのではないでしょうか。

そして、今の社会は巨大な「毒親」と呼んでもいいと思います。

本人なりの考えや事情が本当はあるものを、「甘え」「努力不足」と意味づける。
何を求めて生きるのか、何に価値を感じるかは人それぞれなのに、「向上していくこと」「貢献すること」「社会的に認められること」などが正解として用意されている。
能力の形も、自分に合うライフスタイルも多種多様なはずなのに、「他の人と同じように出来ること」「普通に働くこと」を求められる(そういうプレッシャーをかけてくる、残念なことにそうしないと暮らしていけない場合もある)。

なんだか書いているだけで…気持ちが弱ってきます。

この社会からのナラティブの押しつけが、まさに「死にたい」を作り出している犯人だとウ・サギは思っているのですが、続きはまた今度。

【今日のつぶやき】
ナラティブ講座は毎週金曜に更新していく予定です。あくまで、予定です。

update 2023/4/14
ウ・サギのナラティブ講座① ナラティブとは
この記事の担当 ウ・サギ

ウ・サギは長い間、生きづらさや暴力の本質を考えてきました。
何が人の力を失わせ、心を病ませていくのか。どうすれば人は力を取り戻し、心を回復させていけるのか。人々が尊重し合う社会にするためには、どうしたらいいのか。考えて考えて、最近自分で作り上げた仮説が、ナラティブ理論です。

このシリーズでは、ナラティブ理論について、解説していきたいと思います。

ナラティブは、「物語」「語り」を意味する英語です。

でもウ・サギのナラティブ理論で使うナラティブはもう少し広い意味で、その人が感じていることが本質になります。代表的なものでいうと、何が心地よくて、何が耐え難いほど苦痛で、何を愛したり大切にしていて、何に違和感を抱いているか…等です。だから言葉をもたない人も等しくナラティブをもっています。また、ナラティブは心だけではなく、体にも宿りますし、その人の慣れ親しんだ生活環境や文化も含まれます。

つまり、ある日何の説明もなく交渉の余地もなく、「それはダメなものだからもうやめなさい」と禁止されたり、「それは俺が好きにしていいものだ」と支配や管理されたときに、大きいダメージを受けるだろうものほど、自分の大切なナラティブといえるかもしれません。

人は生きている限り誰しも、ナラティブをもっています。そして、人が病まずに生きるためには、ナラティブが周囲に認識されて、対等に尊重されることが必要です。

じゃあ何が対等で尊重なのかという話は、長くなってしまうので、ひとまず今回はここで。

ナラティブ理論について、疑問やもやもやがあれば、ウ・サギの質問BOXにどうぞ(公開になりますが、回答します)

【今日のつぶやき】
いつも文章が長く難しくなるのが悩みです。ウ・サギはこれでは文章が短すぎて物足りないのですが、やみーペンにはこのくらいが限界と言われました…

update 2022/6/24