Q.学校で授業中に急に苦しくなるときがあります。つらいことを思い出したり、死にたいと思ってしまったらやめられません。授業も集中できないし、どうしたらいいですか。
A.それは、学校に行けるどころではありません。休めるのなら、お休みすることをお勧めします。そして、できるだけ心が落ちける時間とか空間、人を探したいところです。まずは、こういう苦しさについて共有できて、一緒に考えることができる環境を整えたいとカエルは思いました。
カエルの学校に転校できるとよいのですが…受け入れ体制はいつでもOKです。
Q.学校で授業中に急に苦しくなるときがあります。つらいことを思い出したり、死にたいと思ってしまったらやめられません。授業も集中できないし、どうしたらいいですか。
A.それは、学校に行けるどころではありません。休めるのなら、お休みすることをお勧めします。そして、できるだけ心が落ちける時間とか空間、人を探したいところです。まずは、こういう苦しさについて共有できて、一緒に考えることができる環境を整えたいとカエルは思いました。
カエルの学校に転校できるとよいのですが…受け入れ体制はいつでもOKです。
Q.自分の身体に納得がいかないので、ダイエットをしています。しかし、ストレス発散法が食べることしかなくて、うまくいきません。太りたくないのに食べ物に執着してしまう自分が情けないです。ダイエットってどうすれば上手くいくのでしょうか。
A.いくつかのポイントが考えられるので、整理をしてみます。
①自分の身体に納得がいかない
②ストレス発散法が食べることしかない
③ダイエットをしたいけれどうまくいかない
①に着目すると、納得いく身体への道がダイエットしかないのか?という論点を考えました。自分の身体への納得について深めてみましょう。
②に着目するとストレス発散のバリエーションを増やす、あるいはストレスを減らすことを考えるなどが考えられますが、どうでしょうか。
③に着目すると、シンプルに様々なダイエット法に関する知識や英知を活用する方法が考えられます
ダイエットに関しては摂取するエネルギーよりも使うエネルギーを多くすることだけですが、運動には限界があるので、やっぱり食べ物を工夫することになります。太りにくいものをひたすら食べるのはどうでしょうか。
いろいろ書きましたが、どちらかというとあなたの心がいろいろなことに納得いかない状況なのかなと思いました。
Q.家族とどうしていこうか迷っています。現実的に一人暮らしは難しいけれど、一人暮らししたいな〜と、気づけば考えてしまいます。色々してもらったから、距離を取るのもなんだか申し訳ない気がしています。でもほんとは距離を取りたい。
A.「ほんとうは距離を取りたい」という気持ちを大切にしてほしいと、カエルはまず思います。しばしば、家族への遠慮というのか、家族には感謝すべきみたいな風潮が個人の自由を束縛することがあるのですよね。
もちろん、支えあってお互いに感謝しあえるのなら、それはそれで全然いいのですが、そうじゃないこともあるし、家族だけど特別な感情はないとか、家族であっても嫌いだとか、感謝できないとかしたくないとか…あなたのように感謝はあるけど、離れたいとか、いろいろありだとカエルは声を大にして言いたいです。
Q.自殺対策に関わる仕事がしたいけれど、終わりのない泥沼に入っていくことになるのではないかと怖くて、覚悟が決まりません。みなさんはどのような思いで活動していますか?
A.カエルはそもそも泥沼で暮らしているので、泥沼はわりと居心地がいいです。しかも、覚悟なんて考えないうちに、気づいたら、ここにいます。
それよりも、質問者がなぜ自殺対策に関わる仕事がしたいのか、知りたくなっているカエルです。覚悟はせずとも、願いや思いを頼りに漂っていると、行きつくところに行くのかもしれません。それが、結果として泥沼だとしても、かえって息がしやすいときがあるものです。
Q.美味しいものをたくさん食べたいけど、太りたくない。こういった対立した感情のせいで、好きなことをのびのびとやる感覚がつかめません。どちらも本心なので、動こうにも動けず辛いです。何をすれば幸せになれるのか、わかりません。
A.カエルは葛藤こそが幸せの根源だと思っています。
なぜかというと、カエル的には幸せは「何かをする」ことでパッと得られるような単純なものではないと思うからです。
生きる中で経験するいろいろな物事から、心身に蓄積されていく葛藤や混沌が、何かの拍子で化学反応を起こして、幸せが生成されるイメージです。少なくとも、このような葛藤や対立した本心を抱き、苦悩することで、幸せのために必要な成分がかなり発生している気がします。それらの成分が活躍する日をカエルは願っています。
めんどくさく書きましたが、つまりは葛藤やわからないはそのままウェルカムということです。何の解決にもなりそうもない回答で申し訳ないです。(最近のカエルはタスクが多すぎで、頭の回転があまりよくない気がしています…脳みその使い過ぎなのか、昨日から猛烈にドーナツが食べたくなっています)
Q.家族間に流れる雰囲気がなんだか居心地悪いです。母、父、弟、それぞれとはうまくやれるのですが、全員が集まると不協和音です。でも、それをどうにかするのもなんだか面倒です。家族と離れる機会を増やそうかな、でもそんなことできるかな。迷っています。
A.複数の別の人間がいて、不協和音になるというのは、それぞれのある意味健康な自我の存在感が感じられます。おそらく、あなた一人だけが調和や平穏を重んじるとか、何かしら感じる力が強く、それに気づいているのだろうとカエルは推測しました。
ご自身で提案の「家族と離れる機会を増やす」というアイディアはとても建設的だと思いました。できるかどうか不安なようですが、やろうと思って見ると意外といろいろなアイディアや力が出てきたりすることがあります。家そのものから離れることもそうですが、同じ家にいながらも距離をとること、精神的な距離感(それはすでにあると思いましたが)など、今だけではなく今後にとっても、大切なことを学んだり経験するチャンスのような気がしています。
Q.「働けない人って、どういう人だと思う?」『病気の人とか?』
、、、精神疾患で苦しんでる人のことは、考えてないんだろうな。そもそもなんで苦しんでまで働く必要があるわけ?
A.カエルは「働けない人」というのはいないと思っています。
どちらかというと、「働くチャンスをもらえない人」とか、「働く環境がすぐにはない人」ともいえるかもしれません。
カエルもそもそも、苦しんでまで働く必要はないと思いますし、「働く」=お金を稼ぐことともあまり思っていません。
こうして「働くこと」について考えて、疑問を投稿することも、カエル的には働くことだと思っています。自分たちの暮らす社会について考えて、自分なりにアクションを起こすことは「働く」ことにつながっていると思います。むしろ、与えられたことだけ考えもせず、こなすだけになるのならそれは「働く」のではなく、「こなす」「作業をする」ということになり、この量が増えると、社会は生きづらくなるというのがカエルのリサーチ結果であります。もっと、働くことについて考えていくのが大切だと思うのです。
Q.大人は子供より嘘つき。人生を長く生きて、嘘の上手なつき方も知ってる。なのになぜ児相とかで、親が謝ってきたら、その子を家に戻してしまうのだろう。なぜ子供の声を守らないのだろう。その子が帰った先で、どれだけひどいことをされるか想像も出来ないのか
A.あなたの訴えをカエルがあちこちで普及したいぐらい、もっともな意見だと思いました。カエルも、似たような話を何度も聞いたことがあり、悔しい限りです。
少なくとも、子どもが「帰りたくない」と言ったのなら、それを尊重して、別のところで暮らすことができる保障をしてくれること、また、親の前で「帰りたくない」とは言えない事情もあるので、たとえ帰りたくないと言わなかったとしても、ひどい目にあったときにすぐにSOSを出せて、確実に助けてもらえる保障が必要です。
また、子どもを守るところが児童相談所に集中していることも一つの課題だと言われています。児童相談所は子どもも親も対応するため、どうしてもどちらか一方を優先させなければならない事態になりがちです。本来は優先される方が「子ども」であってほしいのですが、残念ながらそうならない現状もあります。
だから国連子どもの権利委員会からも注意されているように、子どもだけの味方をする独立機関の設置が求められます。また、子どもの意見を代弁する専門機関が必要だと思います。「子どもアドボカシー」という言葉があるので紹介します。全国で子どもアドボカシーについて考えているところがありますよ。NPO法人全国子どもアドボカシー協議会
Q.上手な休み方を教えてください。ただ家にいるだけでは手持ち無沙汰な感じがして、心の居心地がよくなくて、困っています。
A.上手な休み方はカエルもよくわからないので、お役に立てるか心配です。
ただ、家にいるだけでは手持ち無沙汰ということなら、お散歩なんてどうでしょうか。お散歩は太陽の光を浴びたり、風を感じたり、何よりも一人の世界にいるような気がして、いったん心が空っぽになる感じが好きですね。
あとは寝ることはどうでしょうか。カエルは寝るのが得意なので、休むといったら寝ることをお勧めしたくなります。
Q.「辛かったら休んでいいよ」「自傷する前に相談してね」と言われても、上手くできないです。衝動的に自傷するから、その前とか無理だと思ってしまいます。心身がこの状態なら休む・相談するみたいな指標があったらいいのにと思ったのですが、ありませんか?
A.いやいや、まずは自傷こそが立派な指標だとカエルは思いました。
人間界のトイレトレーニングも、出てしまってから「出たぞ」と気づいて、次に「出たよ~」と誰かに教えられるようになり、その先に「一人でできるようになる」と進みます。
それと同じようにまずは、「つらいことに気づかない」から「つらいから、自傷した」と認めて、それを誰かに「つらいから自傷しちゃったよ」と開示することが大事で、それはもうできているぞとカエルは思いました。
指標を知りたいという動機を持ち、こうして質問ができるのですから、やがて指標は見つけることができるでしょう。