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記事の担当 生きかたカエル
Q.期末テストのことで喧嘩して「もう成績の話はするな」と言われ全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.この前期末の国語のテストで1問だけミスしたんだけど、そしたら「あんたは本読んでる割に頭悪い」とか言われんの!そんでイラついて言い返したら喧嘩になって、「もう成績の話はするな」って言われたから全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?

A.会話がかみ合ってませんね…
カエル的には人間界が成績の話題にいろいろナーバスなのは気になっています。少なくとも、子どもの成績については子どもの問題なので、依頼があるまでは介入すべきではないというのが基本的な意見です。よくても悪くてもどちらでもよく、子ども自身がどう思うのか支持するだけでいいと思うのです。
だから、あなたが頑張ったと思えばそれでいいし、悔しいと思えばそれでもいいし、成績の話をしたいのなら、あれこれ言わずに受け止めるのが、わきまえのある大人のふるまいだとカエルは思います。難しくないはずなのに、難しい…現実があります。子どもはそんな大人に怒ってもいいと思います!

update 2025/3/5
Q.ニキビに悩んでいて、ずっと苦しくてイライラしている。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ニキビに悩んでいます。食事の時マスクを外すのが怖いです。メイクの練習をしていますが、うまくいかず憂鬱です。ずっと苦しくてイライラしています。こんな内容で申し訳ないです。ごめんなさい。

A.ニキビって本当に困りますよね。カエルにはニキビはないのですが、人間の仲間たちが思春期に攻撃されて悩まされたことはよく聞きます。ただ、今では結構効く薬もあったりするのか、昔よりもニキビを見かけることは少なくなった気がします。ただ、どうにもならないところがあるのも確かなので、苦しくイライラしたらまた質問箱でも見に来てください。

update 2025/3/2
Q.学校の授業で先生に当てられるのが怖くて、学校に行けません。何かいい方法はありますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校の授業で先生に当てられるのが怖くて、学校に行けません。何かいい方法はありますか。

A.先生に「当てられるのが怖いです」と言うのは難しそうですよね。カエルも音楽の時間にみんなの前で歌を歌うのが嫌でしょうがなかったので、そういうのをパスする仕組みがあってもいいと思いました。怖くて学校に行けないのなら本末転倒だとカエルは思うので、悪くない提案だと思うのです。
人にはわかりにくい苦手や恐怖があるのに、学校ってそういうのに無頓着すぎると思います。子どものころに無用な恐怖や不安体験するのって、一つもよいことがなさそうです。
言うのが難しければ、手紙に書いてもいいし、誰かに代わりにいってもらってもいいし、先生に伝えることはできないでしょうか。この回答を先生に見せてもらってもいいかも?

update 2025/3/2
Q.疲れて自傷してしまい辛い。どうやって相談したらいいか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.疲れて自傷してしまいます。
どうしても辛いです。
どうやって相談したらいいですか

A.なるほど、どうやって「相談したらいいか」という質問ですが、相手が誰かによって相談の方法は違いそうです。うまい相手を選ぶことができたら、どうやって相談してもおそらくそれなりにうまくいくと思いますが、相手を間違うとどうやってもうまくいかないというのがカエルの意見です。
だから、まずは相手を選びたいものです。身近にいなければ、匿名の相談がよいかもしれません。そして、質問に書いてくれた「疲れて自傷してしまいます。どうしても辛いです」と伝えていいと思います。それか、相談の際に思い浮かんだことを何でもいいので伝えてみください。

そうはいっても、相談は難しいですよね。相談が難しいことはSOSの出し方ガイドで流さレンジャーグリーンが教えてくれています。

update 2025/3/2
Q.生きづlaboのみなさんはいつも人の負の感情が多い話ばかり聞いていて、辛くなったりしない?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きづlaboのみなさんはいつも人の負の感情が多い話ばかり聞いていて、辛くなったり嫌な気持ちになったりすることは無い?いつも本当にありがとう!皆さんの贈ってくれる言葉のおかげで日々頑張れます!

A.カエルは生きづLABOに届く声を負の感情だと思ったことがないです。どちらかというと、生きづらさの研究のための貴重な素材だと思っています。そして、生きづらさと一緒に向き合う仲間からのメッセージだと思っているので、つらくなったり、嫌な気持ちになることはなくて、いつも励まされたり、考えさせられたりしています。これからも、よろしくお願いします。

update 2025/3/2
Q.授業中寝ちゃいけないというけど、学ぶ権利をどう使うかは自由だから、邪魔しなければ何をしても良いと私は思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.授業中寝ちゃいけないとかいわれるけれど、学ぶ権利をどう使うかは子どもの自由だから、周りの学びたい子供たちの邪魔をしなければ何をしていても良い。それが私の意見なんですけど、どう思いますか。

A.その通りだと思います。授業中に寝ちゃいけないということもカエルとしては必ずしもそうではないと思えます。どうしても寝ちゃうときや、寝なければならないときもあると思いし、寝るか授業を受けるかは周囲の権利を著しく害さない限り、選択してもよいと思います。
ただ、授業をやる教員の立場としては、寝ている人を見ながら授業をするのはなかなかしんどいことではあるので、授業を受けないのならどこかに行って寝てほしいという気持ちはあります。(カエルも経験があるので、ちょっとそんな事情も理解してもらえるとありがたいです)

update 2025/3/1
Q.死にたい 生きるのつらい 誰に助けを求めたらいいの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.死にたい
生きるのつらい
誰に助けを求めたらいいの?

A.誰かが他の誰かを助けることはできないとカエルは思っているので、助けを求める相手は自分自身だと思います。そして「死にたい 生きるのがつらい」と発信していることが、すでに自分に助けを求めている証だとカエルは考えます。自分が自分に助けを求めて、それに「自分を助けたい」と思ったから、こうやって質問がきたと思うのです。
自分を助けるためには、例えば、一緒に考えてくれる人、安心できる居場所、困りごとの解決を手伝ってくれるところ・・・など、きっといろんな力を借りることになるとは思います。でも、周りがどんなに手助けをするとしても、それはその人の本来もつ力を発揮するための手伝いで、助けるのは自分自身なのだとカエルは思っています。

update 2025/3/1
Q.知り合いとマスクなしで会って顔を見られるのが不安。逃げられないので立ち向かう方法を教えてほしい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.今度、知り合いとマスクなしで会うのですが、顔を見られることが不安です。今メイクの練習をしていますが、可愛い!と可愛くない!!を行ったり来たりしています(自分の中で)。逃げられないので、立ち向かう方法を教えてください。

A.ここ数年マスク顔がデフォルトだったので、マスクなしは服を脱いでいるような気持ちがするのでしょうかね。カエル的には逃げられないとわかっている時点で、すでに覚悟はできているように感じました。
ただ、マスクなしの顔を見せるのが不安な気持ちは、顔に何か要因があるのではなく、別の何かに不安のもとがあるような気がしています。だから、メイクや可愛いだけでは不安は払しょくされないと感じました。一番効き目があるのは、マスクなしで会ってしまう経験で、それはすでに逃げられないこととしてやってくるわけですから、その確実な第一歩をどうぞお迎えくださいという気持ちです。

update 2025/2/28
Q.障害者だから仕事につけなかったり収入が低いのは仕方ないことなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害者だから仕事につけなかったり収入が低いのは仕方ないことなんですか?

A.障がい者だから~という考え方はカエルとしてはあまりしたくはないです。
もしもカエルが誰かに「カエルだから、はける靴がないのは仕方ないよね」と言われるととても嫌な気持ちになります。なぜなら、カエルと言っても、それぞれ違うからです。そもそも、カエルがみんな靴をはきたいと思っているわけでもないですし、はける靴があるカエルもいれば、そうじゃないカエルもいます。ただし、相対的に見て、人間よりもはける靴は少ない(まぁめったにお目にかかれません)ことは確かです。でも、それをもって「カエルは〇〇だから、仕方ない」と周囲に決められるのは違うような気がします。
それと同じように、「障がい者」といっても、一人ひとり違って、働くことに対してもそれぞれだと思います。それを、「障がい者だから」というまとめ方をすることには、(社会に向けて)異議を唱えたいです。

そして、次なる論点は「仕事につけない、収入が低い」という部分です。
カエルは「仕事に就く」ことと「収入が高い低い」は本来は別のことだと思っています。しかし、今の日本社会(人間界)が資本主義を採用していることから、仕事をすることと、収入を得ることがほぼ同義で扱われてしまい、しかも、収入が高い=立派な仕事をしていると勘違いしている節があります。
その勘違いが、「障がい者は仕事ができない、収入が低くて社会的地位が低く扱われている」という理解を生み出しているように思います。
本来の「働く」ことはお金以上の価値を生み出すことがあります(代表的なものとして、家事や子育て・介護、社会活動など)。また、労働をしなくても存在そのものが価値を生み出すことも当たり前にあります。資本主義の影響力が強いために、人間界がお金にだけ特別な高い価値があると思ってしまうのではなく、お金と並行してお金以外のものの価値をもう少し可視化したり、分かち合うような文化や仕組みができたら、障がい者だから…だけではなく、他の〇〇だから…仕方ないというまとめ方をせずに、大切なことを語り合えるような社会になるだろうとカエルは思っています。

さらには、そうした資本主義の中で金銭を稼ぐことがどうしても難しい人のためにどういう仕組みがあるのがいいかは別に考えていく必要はあると思っています。
カエルは現金じゃなく、住むところ(水道光熱費付き)と食べるものは現物で保障したらいいのにとかねがね思っています。その人なりの「働き(広い意味での)」に対して生活保障してくれたら、生活のために心身をすり減らして働かなければならないということはなくなると思うのです。(この辺は長くなるので、次の機会にとっておきます)

update 2025/2/27
Q.おなかか胃かわからないけど、痛くなります。テストも近いのにどうしたらいいですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.おなかか胃かわからないけど、痛くなります。テストも近いのにどうしたらいいですか?

A.まずは、おなかと胃を分けて考えるあなたのセンスを興味深く思ったカエルです。(カエルはおなかも胃も一緒に考えていました)
おなかでも、胃でも、頭でもどこでも「痛い」ということは何かのサインだと思います。文脈から推測するに精神的な苦しさから派生する痛みのような気配がするので、まずはここで「痛いんだ」ということを開示できたことが、痛みから解放される第一歩として分かち合いたい気持ちです。
テストが近いとのことですが、カエル的には長い目で考えたときに1回のテストを重要視する必要はないと思います。自分の「痛い」という感覚への対処を優先し、テストはちょっと優先度を下げておくのはいかがでしょうか。(人間界ではテストなるものを優先しすぎるとカエルは常々憂いております)

update 2025/2/27