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Q.気分が落ち込みすぎた時、現実なのか夢なのかわからなくなって夢だと思い込む時があるのですがどうしたらいいですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.気分が落ち込みすぎた時、現実なのか夢なのかわからなくなって夢だと思い込む時があるのですがどうしたらいいですか?

A.夢だと思い込むというのも自分を守る一つの手段としてありだとは思いますが、現実なのか混乱したり自分を苦しめてしまうのなら、少し工夫したいところですね。

ウ・サギは現実感がなくなるくらい負の感情に呑まれてた時期は、現実の印みたいなものをいくつか(比喩的に、時に物理的に)握りしめてました。
感情・感覚は「これは夢だ」という世界に浸りつつ、片隅の理性で「でも現実にいるらしい」と一応自分は繋ぎ止めておいて、感情の波が去るまで耐え忍ぶイメージです。

お気に入りの人形やグッズでも、好きなお菓子でも、何か思い出の品でも、誰かからもらったメールでも、ノートに書いた自分へのメッセージでも、なんでもいいので、現実が分かるときに「夢か現実か分からなくなった私が少し現実感を取り戻せそうなアイテム」を備えておくのがおすすめです。

本当は、現実が自分にとって素敵なものであるのが一番なのでしょうけどね…

update 2024/3/25
Q.ふと急に心が辛くなることがあるのですがどうしたらいいでしょうか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ふと急に心が辛くなることがあるのですがどうしたらいいでしょうか?

A.心は正直ですから、きっと何か事情があるのでしょうね。
人間ってとても複雑だから、理由も意味も分からず「ふと急に」なんてことはあるあるのような気がしますよ。
「今、辛いんだな」って自分なりに受け止められたらいいのではないかとカエルは思うのです。
もし、一人では受け止められない時は「辛いんだ」と誰かに言うとか、声に出すとか、心の中でつぶやくとか、何かに書くとかして、何かしらの自己表現で外に出すのもおススメです。

update 2024/3/25
Q.自由時間になっても何かやりたいと思えない。うまく休みに休めなくなってしまった。
この記事の担当 うさえなが

Q.休日、勉強が終わって自由時間となったときに、特に何かやりたいと思えなくなってしまいました。ラジオ・音楽を聴くとか読書をするとかは、好きではあるんですがあまり休めたとか、癒しになるとかが思えません…うまく休みに休めなくなってしまいました。

A.休みなのに休めないのはつらい!「休みなのに休めない時は疲れてるんだよ」って、生きかたカエルは言ってた。

だから、休んだ方がいいよ…!って、あれ?休めなくて困っていたんだっけ…

update 2024/3/25
Q.相談しても辛くなくなるわけじゃない。でも相談できないときは辛くて、こんなことも自分で耐えられないんだって思う
この記事の担当 やみーペン

Q.中1のころから相談してる担任の先生。とても優しい先生です。その優しさに甘えて、中2になって担任じゃなくなっても相談し続ける日々。相談しても、辛くなくなるわけじゃない。でも、相談できないときは辛くて、こんなことも自分で耐えられないんだって思う

A.相談するは自分の中のモヤモヤを吐き出す作業ってやみーペンは思ってて、簡単に見えやすいけどめちゃくちゃ難しい!
つらい時の気持ちを誰かに分かってもらえるように伝えたり、話して受け止めて貰えたら、つらい分だけ頼りたい気持ちいっぱい出てくるし……。
相手のこと考えたりすると余計難しくなるし、でも考えるのやめれる訳じゃないし…。
普段から耐えてる中でこれ以上耐えるのはもう無理ー!ってなるのも当たり前だとやみーペンは思う!!

update 2024/3/21
Q.もう自分を消すしか無いという思いが子供の声を聞くと溢れ出してしまいます。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.もう自分を消すしか無いという思いが子供の声を聞くと溢れ出してしまいます。

A.子どもの声を聞いて溢れるのは、きっと過去のトラウマが悪さをしているのでしょう。

過去のつらい記憶があなたの中の情動脳(自分のコントロールできない原始的な脳機能です)を支配して、「もう、消えるしかないよ」とささやいているように感じました。ただ、それは本当に消してしまう方がいいというより、苦しみから逃れるには自分を消すしかないという切羽詰まった感情の生存戦略だろうと思います。
でも、こうして何とかしたいと質問をしているということは、あなたの理性脳がバランスをとろうとしている証だとカエルは思いました。

過去の記憶に支配された情動脳と仲良くするには、マインドフルネスとかタッピング、ヨガ、動物を戯れるなど、日常的にできることもありますので、よかったら調べて試してみてください。

update 2024/3/19
Q.ネット、特にSNSが怖いです。どうしたらネットの情報とうまくつきあえますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.ネットが怖いです。特にsnsが怖いです。悪口や差別発言、そして炎上など、あと、ちょっと違う意見を多数が寄って叩く、それらを見たくなくて、snsにあまり、近づかないようにしています。
どうしたらネットの情報にうまくつきあえますか。

A.怖いものには近づかない(みない)とい根本的な対応法はありますが、現実的ではないのなら、別の方法を考えましょう。
カエルとしては、真に受ける情報は直接見たり聞いたりしたものであって、「ネットの情報」はどちらかというとドラマや映画など、サンプル品のようなものだと思っています。

テレビや映画や漫画を見るような距離感を、ネット情報に適用するのがちょうどいいのかなとカエルは思っています。

update 2024/3/12
Q.リスカがやめられません。どうしたらいいですか?
この記事の担当 やみーペン

Q.リスカがやめられません。どうしたらいいですか?

A.リスカって辛い気持ちを吐き出すための行動なんだろうなぁとやみーペンは思ってるんだよね。だからやめたいと思ってる時ほど辛いんだと思うから、どう付き合うかを考えれる場所があるといいなあって思った。
生きづLABOの「SOSの出し方ガイド」では、リスカは心のSOSかも、って話をしているよ。
またいつでも質問してね~。

update 2024/3/6
Q.察する自分に苦しんでいます
この記事の担当 やみーペン

Q.自分の「察する」ところ、「無駄にわかってしまうこと」。それに苦しむ私。自分の現状を、「私は抑うつ状態である」「私は気分変調症の可能性がある」と表現できる人が、苦しいんでいるわけがない、…そう思われると思う。私より辛い人がいるのはわかってる、自分のことそんなにわかってるなら重症じゃない、そんなのわかってるけど。ただ児童精神科医学に興味があっただけ。苦しいし、死にたい。自分の現状がわかってしまうこと、他の人の感情が自分に入り込んでくること。わかりたくてわかってるわけじゃないのに。

A.分かるとか感じてしまうことって難しいよねぇ。やみーペンも母ぺんぎんと暮らしてた時の名残で色々分からなきゃ!と強迫的になってる部分があるから勝手に分かるような気がしちゃってるよ。
でも辛いって、誰かや何かと比べられる物じゃないから、自分が辛いなら辛いでいいと思うんだ。比べるほど、さらに苦しくなっちゃわない?

辛い気持ちは1人じゃどうにも出来ないときもあるし、誰かに手伝ってもらいたいけど、自分を助けられるのは自分だけなのかも…ってやみーペンは最近思ったりもする。

誰かを助けることはできないけど、一緒に自分を助ける方法を考える仲間になら、やみーペンもなれると思うんだ。

update 2024/3/6
Q.大きなストレスがあって心が緊急事態のとき、どう過ごすのがいいと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大きなストレスがあって心が緊急事態のとき、どう過ごすのがいいと思いますか?

A.人それぞれなので、参考になるかはわかりませんが

(1)ストレスを何かの刺激で一時的にかき消す~漫画を読む、動画を見る、やむを得ない場合は身体的に自分を痛めつけるなど
(2)自分がリラックスできるもの、安心できるものになるべく触れる~好きな食べ物、好きな場所、好きな言葉、誰かにもらった嬉しい言葉など(元気なときにそういう好きアイテムをストックしておくのがおすすめ)
(3)感情やもやもやのエネルギーを発散する~カラオケ、散歩、ノートに気持ちを書くなど
(4)信頼できる人と話す(吐き出せたらベストだけど、ただ何気ない会話するだけでも一定程度落ち着く気がする) ※ただ、そもそもそんな人がいたら苦労してないというのはある…

といったいくつかのアプローチの種類はありそうです。

緊急事態はいつやってくるか分からないものなので(来ないに越したことはないですが)、備えは十分にしておいた方がいいなと、書いていて改めて思いました。

ウ・サギもそこまでストレス対処が上手ではないので、本当はもっといろんな人に聞いてみたいところです。

update 2024/2/22
「社会モデル」と「不作為責任」について③ 「不作為責任」を考える
この記事の担当 生きかたカエル

~これまでのお話~
①社会モデルとは?
②本当はつながっている

ちょっとカエルが注目していることに、精神医療国家賠償請求訴訟の活動があります。

精神障がいのある方たちが治療の必要がないのに、本人の意思ではなく、地域に受け入れ先がないなどの理由で長期入院を余儀なくされた方たちに対して、国が必要なことをせずに放置したことの責任を訴訟を通じて、問うているものです。

精神医療国家賠償請求訴訟研究会 | 鳥は空に魚は水に人は社会に (seishinkokubai.net)

この活動のことを聞いた時にカエルがすぐに考えたのが「家庭内の暴力被害も同じ状況だなぁ」と言うことです。

これだけ、家族や家庭というコミュニティの中で起こっている人権侵害があるにもかかわらず、それが放置され、子どもや障がい者、女性など、弱い立場の人たちが暴力被害にあい続け、その結果、長い期間その後遺症にも苦しみ続けるのに、それに対する治療法や支援策が本当に乏しいし、自己負担だったりするのが本当におかしいと思います。

これは「不作為責任」と呼ばれるものです。

このサイトでは不作為責任は以下のように説明されています。

不作為とは、あえて積極的な行為をしないことです。そのままでは不利益をもたらす事を知りながら、それを放置していた責任を不作為責任といいます。

国家賠償という言葉から、国が悪い!という発想になりがちですが、カエルは不作為責任は誰が悪いか、誰を責めるかと言うことではなく、一人ひとりが「あえて積極的な行為を少しだけやる」ことが大切だと思っています。

それ以上にカエルが大切だと思うのが、何もしないことではなくその前提となる「そのままでは不利益をもたらす事を知りながら」という点です。

精神科病院の社会的入院に関しても、そして、家庭内で起こっている暴力に関しても、「そのままでは不利益をもたらす事」があまりにも知られていないことが問題なのだと思うのです。

だからこそ、生きづLABOや連携サイトの死にトリのような情報発信はとても大切だと思っているのでした。

不作為によって、権利侵害を受けた人たちが率直に経験を語り、考えを発信し、問いかけていくことはとても貴重な機会です。

誰もが自分が生きているこの今の社会とのつながりが広がり、そして、自分たちがまだまだやれることやるべきことについて考えることがとても大切です。

現状は確実に「このままでは不利益をもたらす事」があります。

今後も、多くの人たちとそれらをより深く知り、受け止める機会を作りたいと思っています。

update 2024/2/8