Q.生きるってなんでこんなにしんどいんでしょうか
A.それは、生きようとする何かしらの意志と物事を受け止めようとする感性をもっているからだと、カエルは思うのです。
Q.生きるってなんでこんなにしんどいんでしょうか
A.それは、生きようとする何かしらの意志と物事を受け止めようとする感性をもっているからだと、カエルは思うのです。
Q.私は家の宗教で悩んでいて、本を読んだり、歴史についてネットなとで調べたりして考えています。宗教の事件、宗教2世など騒がれていましたね
宗教についてどう考えますか?
A.ウ・サギは何の信仰ももっていませんが、宗教はよりよく・安定して生きるための「一つの手段」としては興味深いと思っています。
人間は、自分だけの力で自我を健康に保つのは難しいので、自分の考えを率直に話して公平なフィードバックをくれる相手や、自分なりの「どう生きていくか」の答えみたいなものは、あった方が便利だと思っていて。ウ・サギは前者は周りの人や、この人だったらこう言うだろうなという想定で賄って、後者は一応自分オリジナルの答えみたいなものはありますが、そこに神様や宗教を据えるのも全然ありだと思っています。
(こういった考えや発想自体が、失礼だったらごめんなさい……)
ただ、それが組織になった瞬間に(これは宗教に限った話ではないですが)、権力のある側が、権力もたないもの・迷えるものを支配したり搾取したりは、どうしても起こってしまいがちだと思うので・・・その部分で印象悪く感じてしまうときは、どうしてもあります。
それが宗教かそうでないかに関わらず、自分は何を信じるのか、相手は何を信じているのか、お互いにオープンに話して尊重し合える世の中で暮らしたいです。
Q.29歳、実家暮らしの無職です。なるべく見ないようにはしているのですが、SNSなどで「実家暮らしニートは甘え」「子供部屋おじさん(おばさん)」というような心に刺さる言葉が目に入ってくることがあります。これらの言葉に傷つくのも、甘えですか?
A.「甘えですか?」との最後の問いかけに、おそらく周囲から「あなたは甘えている」と言われることが多いのかなと推測しています。
「甘え」という言葉は、他の誰かに向かって使う方が多いように思います。どのような時に使うのか考えてみましょう。
おそらく、言っている人の期待や常識の枠では、相手のことがうまく理解できないときに「それは甘えだ」という具合に使いそうな気がします。
本当は、「私はあなたのことがわからない」「どうしてそうなるのか、自分の想像や常識では理解が難しいから、教えてほしい」とアサーティブに伝えてしかるべきだとカエルは思うのですが、力関係で押し付けてきたり、多数派の意見だったりすると、理解してもらえない側が一方的に悪いように扱われることはあるように思います。
自分が理解できないことを「教えてほしい」と言わずに、何だか相手が悪いかのように思わせる文化はカエル的にお行儀のよくないと思うのです(しばしば、強い者が立場の弱い者に使うことが多いので、特にお行儀が悪いです)。
何とかしようと思っていてもできない場合に「甘え」はないし、どんなことであっても何かに傷つくことも「甘え」ではないと、カエルは思っています。
わかったような言葉で丸め込むことは私たちの成長や創造を妨げます。
誰かが困っているときに「甘え」などとジャッジするのではなく、何が起こっているのかを一緒に研究できる世の中をつくりたいところです。
Q.自分のためにも他人のためにもならない無駄な日々を過ごしている自分が嫌です。
A.カエルは何かのためという感覚がよくわかりませんが、人間はしばしば何かのために…という、目的をもった行動や生き方をする傾向にあるようです。
しかし、ちょっと考え方を変えてみると、何にもなっていないと自分は思っていても、周囲から見ると何かのためになっていることもありますし、その時は自分のためになっていないことでも、後から自分のためになっていることもあります。
今、こうして無駄な日々を過ごしていることにはおそらく意味があり、それが自分のためにも、他人のためにもなることがあるとカエルは思うのです。
何もかもはつながっているし、巡り巡ってこの世の中は成り立っているのだといつも感じています。
Q.人間たらしめるものはなんだと思いますか。
A.感情と感覚、思考のコラボレーションだと思います。
Q.大人って、いっつも「フツウにしなさい」っていいます。
聞くけど、フツウってなんですか?
誰が決めたものですか。
答えられますか。
こんな質問をするのは私が傲慢だからでしょうか。
A.実にいい質問です!
こんな質問をするのはあなたが賢くて、本質をちゃんと考えられるからだとカエルは思います。
「フツウ」は「シコウテイシ」の主な症状ですが、「シコウテイシ」に陥っている本人に自覚がないのが特徴です。残念ながら、人間界の大人の間で「シコウテイシ」はかなり蔓延していると思われます。
Q.自分がどのキャラなのかわかりません。
かわいそうぶっているのか、本当に病んでいるのか。
どっちなんでしょう。
自分でもよくわかりません。
A.我は「かわいい」キャラだよ。
でも生きかたカエルには「おまぬけ」キャラって言われた!
キャラって不思議だね~
*生きかたカエルから補足*
キャラは便利に使い分けるためにあるものだとカエルは考えます。
したがって、どっちでもよく、どちらでもなくてもよく、キャラを捨ててもいいし、増やしてもいいのです。
あなたはあなたです。
Q.「世の中なんとかなる」「結局はなるようになる」という言葉を私は何回か聞いたりしましたが、どんなに辛い状況でも本当になんとかなるのでしょうか?
A.人間のいう真理のような言葉は、自分と自分の見聞きした経験のみをソースにした、その人の持論だとウ・サギは思っています。だから誰かの言う「~は~である」という言葉にウ・サギはいつも懐疑的です。
「世の中なんとかなる」は、「なんとかなった人」「生き残った人」の持論では?と突っ込みたい気持ちはあります。
ただ、ウ・サギの経験についていうと、昔詰みだと心底絶望していた状態、そのときに考えていた「世の中はこういうものだから」「自分はこういう存在だから」というネガティブな考えは結構的外れで、実際のところは詰まなかったので、なんとかなったと言えるのかもしれません。
だから隕石が降って来てあと数日で人類が滅亡とかでない限り、どんな状況も「今の自分の目線では」辛くて何もかも無理に見えても、なんとかなる余地は多かれ少なかれあるものなのだろうとは思います。
「結局はなるようになる」は、自分の予想や感情が真実とは限らない(どちらかといえば真実とかけ離れていることの方が多い)ので、自分で結論をつけすぎず感情に押されすぎずに何かしら動いてみよう、という意味の言葉なのかな…?とは思ってきました。でも簡単にそうできたら苦労しないですよね…とも思いました。
Q.生きかたカエルさんがこれまでに読んできた本などで、今の考えに役立っているものがあれば、教えてほしいです。
A.「今の考えに役立った」というオーダーはちょっと悩ましいですが、高校生の頃に読んで、今でも印象に残っている一冊を紹介します。
三木清さんという哲学者の「人生論ノート」です。
一度、読んでみてください。
特に「幸福について」が印象に残っています。
Q.どうやったら大人になれますか。
どうやったら普通になれますか。
大人にも普通にもならずに生きる抜け穴はありませんか。誰か助けてください。
A.抜け穴はあります。
自分として生きることです。
カエルは大人でもなく、普通でもなく、カエルです。
普通や大人はアイデンティティの一種だと思うので、なりたい人はなればいいですが、なりたくない人はならなくてもいいのです。
そして、アイデンティティは自分がそうだと思ったら何にでもなれます。
あなたはおそらく、大人にも普通にもなりたくないと思っているように感じました。そう思っているだけで、すでに自分として生きているということになります。カエルはそれで(それが)いいと全面的に支持をしたいです。
ただし、世の中が過剰なほどに大人や普通を求めてくる、大人圧力や普通圧力が存在する実態はよく分かります。
この圧力を減らすために、自分は自分として生きるという認識がもっともっと広がってほしいとカエルは願っています。