こんにちは、生きかたカエルです。
最近、社会について語る記事をせっせと作成し、ブログの更新を頑張っているところです。今回は「『社会モデル』と『不作為責任』について」を、全3回で連載していこうと思います。
(第1回は「社会モデル」の話になるので、「不作為責任」が気になる方はひとまず検索してみてください笑)
社会モデルとは、主に障がい福祉の分野で使われる用語で「生きづらさ」は何なのか、どこからくるのか理解するための言葉です。
障がいを持つ人が生きづらいのはその能力の問題が原因なのだ(=「個人モデル・医学モデル」つまり、個人の責任)に対して、障がいがあるというだけで、持っている力を発揮できないのは、サポートが行き届いていなかったり、発揮するような機会がこの社会になかったりするから生きづらいのだという考え方のことを「社会モデル」というのです。
つまり、生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね、と言うこと。
カエルは何の疑いもなく、その通りだと思っているのですが、実際の今の社会はそうじゃないことだらけで嫌になってしまいます。
一方では、障がい福祉分野の人材育成の現場では「社会モデルがスタンダードです」と伝え続け、それを共有する仲間たちが、現場でも頑張っていますし、国が主催する研修や専門職養成の場でも社会モデルは当然の考えとして出てきます。
でもやっぱり、社会の中ではそれはスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあります。
全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きな要因の一つかなぁという気もしています。
<続く> → ②本当はつながっている