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「社会モデル」と「不作為責任」について② 本当はつながっている 

この記事の担当 生きかたカエル

前回は、「生きづらさというのは、個人の問題じゃなく、社会のあり方の問題だよね」という「社会モデル」の考え方を説明しました。

しかし、それが社会の中ではスタンダードとは言えず、どちらかというと自己責任、個人責任が優先されてしまうところがあるということ、その要因としては、全体的に人間社会の中に余裕がないことが大きいのではないか、という話もしました。

今回は、その余裕のなさの背景を考えてみます。

今の人間社会では、何か現実的ではない理想や望みを、私たちが追いかけ続けようとしているのかもしれないと思うこともあります。

迷えるおたまじゃくしたちと関わっていても、お金がないと生きていけないとか、働かないとだめだとか、〇〇できないと、〇〇しないと…という焦りや強迫性を感じます。

でも、ふとカエルは思うのです。
「そんなに焦る必要があるのかな?」と。

必要だとか、ほしいという希望ではなく、「〇〇しなければ」「〇〇するしかない」が動機の中心になることは、とにかく我慢と忍耐でお金のために働く人を増やすためには、役立っているのかもしれません。でも、人を資本と考えた時に、人を育てたり、人の生活を豊かにしたり、人を大切にするという発想は置き去りになっていると思うのです。

その置き去りは、じわじわと知らないうちに私たちの生活の中から、大切なことについて考える機会を奪い、自分が知らないところで自分とつながって起きているはずのことを「他人事」にしてしまうと感じています。

今必要なのは、今この社会(地球規模でも)で起こっていることはすべてつながっていて、そのつながりについて私たち一人ひとりが自分なりに理解をしていくことだろうと思っています。(カエルの世界と人間の世界もつながっています!)

<続く> → ③「不作為責任」を考える

update 2024/2/5