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Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7
Q.選挙についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.選挙についてどう考えますか?生き辛い人ほど行かなければいけないような、でもそもそも投票所まで向かうのがかなり苦痛。ちゃんと選んで託すぞって気持ちが強すぎるあまり誰一人理解できる候補者がいないと怖くて誰にも入れたくなくて余計に億劫になったり…

A.選挙はウ・サギも「行かなきゃ」という気持ちはありつつ、出かけるのに結構なエネルギーが必要なことや、投票所の独特の雰囲気に緊張してしまうこともあり、行かなかったときの方が多いです。
選挙=一番の政治参加、みたいな風潮が社会にあるとウ・サギは感じていているのですが、それにどうしても違和感や息苦しさを感じます。政治(社会をどうしていくのかを決めること)は、一人ひとりの感じることを表現し、自発的に行動していく集積であるべきでは?とウ・サギは考えています。そう考えたときに、選挙に怖さや苦痛を感じつつもそれを言えない、理解できる候補者がいないのに誰かに入れる、というのはまっとうな政治参加とは言えないような気もします。逆に、自分の率直な感じ方を言葉にし、質問として送ってくれた行為は、一つのまっとうな政治参加の形だと思います。
選挙にどう関わるか・関わらないかは、自分の気持ちや感覚を大切に、自分が信頼できると感じる情報に触れながら(ここに質問してみるのも一つの情報収集ですね)、それぞれのペースで決めていっていいものだとウ・サギは考えます。

update 2024/11/6
Q.受験生なのに学校を休んでしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのに学校を休んでしまう

A.受験生「だから」学校を休んでしまう、という言い方もできるかもしれないと思いました。
つらいことで、自分が心からやりたいわけじゃないことなら、避ける(最低限のエネルギーでこなす)のが最適解だとウ・サギは考えています。ウ・サギの偏見と決めつけかもしれませんが、受験勉強を心からやりたいと思う人はいないし、経験的に、どこの学校に入るか(または入らないか)は人生をあまり大きくは左右しません。その場所で何をするか、自分がどれほどまともなコンディションで過ごせるかの方が、よっぽど人生を左右します。
つらいことの回避は、これからを生きるためにとても大切なことなので、休めるあなたには賢さと強さがあると言いたいです。
とはいえ、ストレスや葛藤は大きいかと思うので、何か手助けしてくれる存在は探したいところですよね……。
生きづLABOのこの記事では心の調子が悪いときに使える社会資源がたくさん紹介されているので、よかったら参考にしてみてください。

update 2024/11/6
Q.15歳です。家を今すぐ出たいです。大人を頼ってもダメでした。どうしたらいいですか。
この記事の担当 うさえなが

Q.15歳です。家を今すぐ出たいです。大人を頼ってもダメでした。どうしたらいいですか。

A.家を出るのは、生きかたカエルが詳しいよ!
生きかたカエル、教えてあげて!!

*生きかたカエルから補足*
児童相談所が正攻法なのですが、諸事情でそうはいかないときもあるのが実態です。
そもそも、家から出て違うところで暮らそうにも、社会的養護(親の代わりに育てる場所)の選択肢が少ないのが大きいように思います。

いずれにしても、子どもの権利条約で「子どもの意見を聞く」ことの重要性は明確なので、ちゃんと主張を聞いてくれる人に出会うことだろうと思います。
あなたがどこに暮らしているのかわかりませんが、近くに「子どもシェルター」という名の付くところがあるのなら、連絡してみてください。
弁護士さんなど子どもの権利を守る役割の人に相談することができるかと思います。

それでもダメだったら、カエルにまた連絡ください!

update 2024/11/6
Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか
この記事の担当 やみーペン

Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか

A.おかしいことなんて何もないとやみーペンは思う。リスカとか髪を抜くことが今は必要だからやってるのだし…。でも罪悪感が出ちゃうときはあるから、世の中の大人が毎日ビール飲むよりコスパいいよね。って思うことにやみーペンはしてるよ。

update 2024/11/6
Q.道徳は答えがないというのに、社会では「正解」が用意されていて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.道徳は答えがないというのに、社会で当たり前だと思われている「正解」が用意されていて辛い。

A.正解はないといいつつ、正解が用意されている・誘導されているという理由で、ウ・サギは道徳にとても違和感があります。
自分の思ったこと・感じたことには「正解」「間違い」はないはずで、もしそこに正解が用意されているなら、それは洗脳に近い行為だと思っています。ウ・サギは、学校では「はいはい、これが先生の求めてる答えでしょ」という気持ちで、道徳や感想文で嘘ばかりついてましたが・・・苦笑
あなたの苦しみは、洗脳されずに、自分らしく生きているから起こるものだと感じました。正解に息苦しくなったら、またいつでも質問をください。

update 2024/11/1
Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?

A.とても、よい質問だと思いました。
嘘をついてはいけないことなんて、ありません。
「嘘をついてはいけない」というフレーズは、支配したい者が支配したい相手にかける洗脳の言葉だとカエルは思っています。
大人から子どもへ、先生から生徒へ、上司から部下へ…嘘をつくなと言うことはよくありますが、その逆で言うことはほぼないと思います。
つまり、「嘘をついたらダメ」というのは相手をコントロールするための抑圧の手段なのです。だから、嘘をつくかつかないかは本当はどうでもよいことだとカエルは思っています。そもそも、忠実に事実だけを語る人はいないので、誰もがいつも嘘つきであり、本当のことを言っているとも言えます。
また、いわゆる嘘として、わかっているけれど本当のことを言わない、あるいはわざと別のことを言うことはありますが、それでも「そう言いたかった、そう言わざるを得なかった事情」というものが含まれる、大切な自己表現なのです。
それを、支配したい側が自分の都合で「嘘」というレッテルを貼りいかにも正当な行為のようにして、弱い者を操作しようとすることがあまりにも多いのでカエルは「嘘をついたらダメだ」キャンペーンには賛同しかねます。

ただ、カエルも誠実に他者と付き合いたいという希望はあるので、嘘によって混乱したり、困ることはあります。そんな時は「嘘をついてはダメだ」ということではなく、「あなたは今そう伝えたかったのですね。でも、私には別のように思えます。本当のことを教えてもらいたい」とお願いすることはあるかと思います。ただし、お願いしたとしても、本当のことを言ってもらえるかは相手次第のことです。それでも、事実ではないことを言われたとしたら、関係性がまだ本音を言い合えるところに至らないのだろうと理解します。

したがって、「嘘をつくかどうかは自由」であり「嘘をついてはダメ」という台詞を言う人には気を付けた方がいいでしょう。というのがカエルの結論です。

update 2024/11/1
Q.どうして「生きる権利」は保障されて「死ぬ権利」は保障されないのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして「生きる権利」は保障されているのに「死ぬ権利」は保障されていないのでしょうか。

A.今の世の中では、「生きる権利」が実際には保障されていないのではないか・・・?と、この質問を読んでまず思いました。
もし本当に生きる権利が守られていれば(これは、自分の生活・身体・精神を脅かされない、というのを想定しています)、自分の本当に望んでいるものを知り、それをある程度叶えられるはずです。つまり、本当に死というものを目的にするなら、個人の自由として行動に移せますし、もし死という手段で逃れたいと思うほどの苦痛があるのだとしたら、それを死以外の方法で叶えるように行動できることになります。

だからこの質問は、「生きる権利を保障しないなら、せめて死ぬ権利を保障するべきでは?」という問いかけのようにも感じました。(全然違ったらすみません・・・)

update 2024/11/1
Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?日本生まれ日本育ちの中国人ですが日本人が中国人を悪く言うのが理解できません。たまに中国へ帰るのですが気さくでいい人ばかりです。非常識なのはごく一部で、中国は人口が多く色々な人がいるからだと思ってます。

A.国によって文化や風土は存在するので、「日本は同調圧力が強い国だよね」と言われればウ・サギは頷いてしまいますが、「日本人は同調圧力が強い」という言葉には抵抗があります。だから「○○人」というくくりでイメージを語るのはそれだけで失礼だったりナンセンスなのだろうと思います。(と質問者さんも感じての質問かなと読み取っています)

だから中国人のイメージは無回答とさせてもらいたいのですが、中国と聞くと「中国製」のイメージが浮かんだのは事実です。ただ、粗悪なものもあるのが事実だとしても、それは「安くて高品質なものがほしい」と都合のいい欲望や幻想をもった人がいるゆえに起こっていることな気がするので、悪いのは中国という国ではなくこの世界の構造にあると感じます。

日本の風潮として(それこそごく一部の人だと信じたいですが)、中国に悪いイメージをもち、それを堂々と言うみたいなのはあるとは感じています。ウ・サギは比較的多様性のあるコミュニティに属してきたので、実際に身の周りでは聞いたことはありませんが、ネットを見ているとそれは思います。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もあるように、実際に何かイヤな思いをした経験がある人のヘイトが、相手だけでなく属性にまで向くことがあるのは、人間の心理的にはある程度仕方ないのかもしれません。
ただ、非常識という言葉で批判するのは、自分の常識を一方的に押しつけている行為だし、(ネットも含め)公的な場で「中国人は~」と悪口を言っているならそれは差別だとウ・サギは思います。

日本では、力を持った人が「そんなの普通じゃない」と自分の常識を一方的に押しつけたり、「だから○○は~」と属性でくくって何かを蔑むことをしがちです。そして人間は、残念なことに、やられたことと同じことをしてしまう場合があります。
そういった抑圧の再生産、負のループの中で、何かしら下の属性を探して叩きたいくらいに孤独や鬱屈が生まれたとき、「人種」「国」で序列をつくって矛先を向けることが起こってしまうのでしょうかね・・・。

また、あまり深く考えずに、ジョークの一つとして差別発言がされる風潮もあると感じます。それは日本の同調圧力や、実際に多様なものに触れる機会がないことなどから生じている気がします。

総合すると、日本人が中国人を悪く言うのは、自分が尊重される機会も多様なものに触れて学ぶ機会もないから、というのがウ・サギの私見です。(その矛先の一つに中国が選ばれてしまう理由や背景については、知識がないのでわかりませんが、何があろうとターゲットにして叩いていい理由にはならないはずです)
いろいろと考えて言葉にする機会になってよかったです。
質問ありがとうございました。

update 2024/11/1
Q.とっくに成人していますが「自分は大人だ」という実感が持てません。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.とっくに成人していますが「自分は大人だ」という実感が持てません。子供のまま時が止まっているような感じです。一生このままなのでしょうか。何だか怖いです。

A.事実として「成人である」ということと、「自分が大人である」という自認は別問題だとカエルは思うので、食い違っていても問題はなく、あなたの感覚は自然なものではないかと思われます。
実際は私は私だというだけで、自分を何者だと思うかは流動的であると思っています。だから、怖いことではないと思うわけです。
ただ、怖いと思う気持ちがあなたにはあるのでしょうから、それは別の何かに対して恐怖を抱いているように思っていますが、それは何でしょうね。

update 2024/11/1