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タグ社会派
Q.歴史上の人物はほんとにいたのか、過去の真実は誰にもわからないんだと思う。
この記事の担当 うさえなが

Q.歴史上の人物って、ほんとにいたか分かんないと思う。だって、証拠品だって、誰かが妄想して作り上げたものなのかもしれないから。過去のことなんて、誰にも真実はわからないんだと思う。

A.ん~、そうかも!

*ウ・サギから補足*
確かに、何を証拠や根拠として、真実と妄想を分けているのかは詳しい人に聞いてみたいですね…。
なんなら現在のことだって、テレビやネットの情報も、誰かの捏造や妄想の可能性もあります。だから疑うのも信じるのも、自分で判断し、自分なりに確かめていく姿勢をもちたいとウ・サギは思っています。

実際に、人物の話ではないですが、2012年に、鎌倉幕府の始まりが1192年から1185年に変更になったこともあります。
ただの知識の詰め込みだけでなく、「どうしてこれが真実だと思われているのか?」を学校で話せたら勉強が面白そうです。

update 2024/12/28
Q.制服でトランスジェンダー向けのズボンは増えてきたけど、スカートはなぜ少ないのか。悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、トランスジェンダー向けのスーツや制服などが増えてきたように感じます。ですが、ほとんどFTM向けのズボンです。スカートはなんで少ないんでしょうか。悲しいです。

A.自分の望む装いが叶わないのは(あなたはスカート希望なのかなと推測しています)、ほんとに悲しいですね…。
見た目も自分の大切な一部でアイデンティティなので、そこで自分らしさが叶わないのは、人格や心の一部を不当に奪われているに等しい気がします。(逆に、それが平気な人は、見た目があまりアイデンティティと結びついてないのかもしれません)
誰がスカートだろうとズボンだろうと誰に迷惑をかけるでもないはずですし、そもそも制服を着ない自由もあるべきだし、選択肢は多ければ多いほど社会は健全だと思うのですが、選択肢が少ない社会で残念です…。

スカートの制服を割り当てられた人がズボンを穿くよりも、ズボンを割り当てられた人がスカートを穿く方があまり進んでいないのは、なぜなのでしょうね…。
私服でシス女性でもズボンは一般的で、シス男性のスカートはまだ一般的とは随分距離があるので、何かしら感覚的な抵抗を感じる人が多いとかはあるのでしょうか。倫理的な問題がなくとも、「感覚的な」抵抗をもつ人が多いほど(感覚で誰かの自己表現を制限されても困るのですが)、選択肢を増やす足取りは重くなる気はします。

こうやって率直に、「なんで?」「悲しい」という発信をしてくれることは、みんなが考えるきっかけになるので、とても大切だと思います。

update 2024/12/29
Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」そんな世間での「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。
この記事の担当 うさえなが

Q.「誰でも、生まれたときは喜ばれたはず」っていう人がいる。でも、子どもを愛せない人だっている。それを無視して、無条件にそういうこと、世間でいう「フツウ」を言ってくる人が大嫌い。

A.フツウってよくわかんないよね~
カエルはフツウより変な方が好きって言ってた!

*生きかたカエルから補足*
それは、無視をしているのではなく、無自覚なのです。そして、教養やわきまえのない人だとカエルは思います。残念ながら、人間は自分が見てきたこと、知っていることを基準に「フツウ」という言葉を使っていることが多いですね。
そのことに気づいて、「大嫌い」と感じられるあなたの理性と感性に拍手を送りたい気持ちです。

自分の知らないことは永遠にたくさんあって、知らない自分を謙虚に受け止めることがいろいろな人たちがお互いの権利を守る基本だとカエルは思っています。

update 2025/1/6
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6
Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?

A.何もダメなことはないと思います。今調べたのですが、憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてあり、心の中で何を考え何を思うかが自由であることが保障されています。

そもそも何を思うかは、「思ってしまう」「感じてしまう」「考えてしまう」という自分の意思でコントロールしきれないものだと思うので、ダメだと言われても困っちゃう気がします。
とくに死にたいについては、何かしらのつらさや違和感や虚しさのもたらすものかと思うので、思う側ではなく、そう思わせてしまう社会(死にたい人の周りにあるストレス、理不尽な現実)に目を向けるべきだとウ・サギは考えます。

update 2025/1/6
Q.「戦争はだめ」という一方で、戦国時代や武将がかっこいい風潮があるのはなぜか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.近代史の授業では「戦争はだめだよね」みたいな話を何度もするのに、戦国時代とか武将とかがかっこいいという風潮があるのはなぜなのでしょうか。どっちも悪くない人を無意味に殺しているという点では変わらないのに。昔も今も結局変わらないですね。

A.なかなか鋭い視点に頷いているウ・サギです。
ただ、近代の戦争のように安全な空から爆弾をおとして罪なき市民を殺す行為と、武士同士で殺すか殺されるかの戦いをするのとでは、多少違いはあるかもしれません。

人間の暴力性について、昔も今も結局変わっていないのは同意です。歴史から学ぶためには、暴力を「誰か悪い人がしたもの」みたいに外の問題として語るのではなく、「自分も起こしうるかもしれないもの」として、その本質やメカニズムに目を向ける必要があるとウ・サギは考えます。

「アウシュビッツ 子どもたち」という、そのことをよく表現してくれている、深くてわかりやすい詩があります。
生きづLABOの協力者のブログで全文が紹介されているので、ぜひ読んでみてほしいです。

update 2025/1/14
Q.自分を貫きたいです。けれどもそれが怖い。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分を貫きたいです。けれどもそれが怖い。

A.一文の中に端的な真実が書かれているように感じました。
この世の中に、自分を貫くことをよしとしない、歓迎をしないような要素を感じているのでしょう。おそらく、その怖さを感じる人は少なくないとカエルは思います。
カエル的には怖さを前に、しり込みすること、ためらうこと、自分を貫けないこともそれはそれでありだと思います。
でも、こうして質問箱に気持ちを送ってくる行動は「貫きたい」という強い決意の表れだとカエルは感じ取りました。
貫くことで嫌な思いをしたり、大変なこともあったりするかもしれませんが、貫くことは、今あなたが感じている「怖さ」の要素を軽くするアクションだとカエルは思うのです。つまり、あなたがささやかな社会変革の主体となることを意味します。
だから、カエルは自分を貫きたい人を応援したいと思うし、自分も貫きたいと思っています。

update 2025/1/20
Q.母が精神科やカウンセリングにかかる人を馬鹿にしているが、私は努力してる人だと思っている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.母が精神科とかカウンセリングにかかる人を馬鹿にしてるのですが、私はそういう人は今ある状況を打破したくて努力してるすごい人だと思ってて、ここの人なら共感してくれるかなと思ったんですけど率直にどう思いますか?

A.あなたの意見に賛同です。(そして、共感してくれると思ってくれたことに光栄な気持ちになったウ・サギです)

精神科に行くのでも、引きこもるのでも、自傷行為をするのでも、自分を自分で助けようとしてやっていることだとウ・サギは思います。もっとよい方法がありそうな場合は提案し、一緒に考えていけたらいいとは思いますが、馬鹿にする要素も馬鹿にする権利も、どこにもないはずです。

ネットで調べただけの情報ですが、アメリカでは、心の調子を整えるために気軽にカウンセリングを使うそうです。日本でいうと、整骨院とかマッサージとか、そういう感じに近いのかな?とウ・サギはイメージしています。

それに比べると、日本ではカウンセリングは「病んだ人が行くもの」といったイメージがあると感じるので、あなたの母はそういった風潮に影響されているのでしょうかね……。

自分の力だけで対処するのが大変な体の痛みがあったらマッサージを使うように、自分の力だけで対処するのが大変な心の痛みがあるならカウンセリングを使うのは、自然で健全な選択だとウ・サギは思います。

ちなみに、命に関わる危険があると判断されない限りは、カウンセリングを利用していることも、話した内容も周りにバレないはずなので、使いたいときは使って大丈夫とも伝えたいです。

update 2025/1/22
Q.学校にいると思う。なんで受験なんてもので人を比べるんだろうって。嫌な社会の仕組みだなぁ。
この記事の担当 うさえなが

Q.学校にいると思う。なんで受験なんてもので人を比べるんだろうって。嫌な社会の仕組みだなぁ。

A.ほんとだなぁ。我もみんなも、賛成!

*生きかたカエルから補足*
カエルも学校にいたときに同じことを強く感じていたのに、周りはあまり感じていない(というより、受験に真剣になっている人の方が多かった)ようで、一匹で違和感強くいたので、仲間がいて勝手に喜んでます。
本当に嫌な仕組みなんですよ。
そんなに必要なら大人になってから大人の仕組みとしてやってくれと思います。子どもという貴重な時間で思い切り遊べたり、好きなことに没頭したり、心身を健やかに成長させる時期に子どもの意思を飛び越えて受験という仕組みに巻き込んでいるような今の状況は、考えた方がいいと思います。

実際に、日本の教育は国連子どもの権利委員会から、子どもの発達を考えても過度な競争はよくないから、改善しなさいと勧告を受けています。
参考までに、日弁連からパンフレットが出ているので、見てみてください。
パンフレット「国連から見た日本の子どもの権利状況 国連子どもの権利委員会第4回・第5回政府報告書審査に基づく同委員会の総括所見(2019.3)を受けて」
これの13ページ『教育への権利』の(2)に「社会の競争的性質により発達を害されることなく子ども時代を過ごせるよう求めたところを前提に,過度に競争的な システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するための措置の強化を求めました」とあります。
ほかにも大切なことがたくさん書いてあるので、ぜひ読んでみてください。

update 2025/1/24
Q.家族を作る方法は結婚しかないのか。ライフステージと共に色々と変わっても繋がりが続く人間関係の中で暮らしたい。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家族を作る方法は結婚しかないのでしょうか。
生活習慣や価値観、趣味がライフステージと共に変わっても、繋がりが続くような人間関係の中で暮らしたいです。でもどうしたら作れるのかわかりません。

A.とても、自然で自由な発想であり、カエルは全面的に賛同します。
カエルの周りにはいわゆる支援という機会に出会ったオタマジャクシたちがたくさんいます。オタマジャクシたちと結婚もしていませんし、養子縁組もしていませんが、カエル的には困ったときには何となくお互いに緩く助け合い、気に掛けるような関係だと思っています。
また、オタマジャクシたちのほとんどは、従来の家族とのつながりから逃れてきた人たちもいるので、新たなつながりを作ろうと模索しているところもあり、あなたの質問とまさにぴったりのテーマだったので、ちょっとびっくりしました。
実は、このテーマについてカエルは一つ考えている方法があるので、近いうちに「みんなで資源開発ラボ」のコーナーで具体的な提案をしようと思っています。その際はぜひ、ご意見をください。

update 2025/1/27