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タグ社会派
Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしてもいいなどの風潮が社会に強くあるように感じて苦痛
この記事の担当 生きかたカエル

Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしても見捨てても何かを強要してもいいという風潮が社会に強くあるように感じて苦痛です。無職のまま過ごしたい方「も」心身ともに安心安全に暮らせる仕組みと風潮の社会の方が人間皆生きやすいのではないかと感じます。

A.カエルとしては、無職だろうが有職だろうが、誰だろうが馬鹿にしたり否定したり、悪者扱いしたり、見捨てたり、何かを強要していいというはありませんので、まずもってそうした扱いや風潮があるとしたら、そのものに異議を唱えます。
そして、誰でも心身ともに安心安全に暮らせる仕組みが必要だと思っています。そこには職があるかないかは全然関係ないことかなと思います。無職のまま過ごしたい方がどういった方かわかりませんが、仕事として給料をもらってやるかは別として、我々は協働的な社会で暮らしているので、どんな人でも何かしらの役割を果たすことは大切だろうと思っています。具体的にはこうして質問箱に質問することも立派な役割だと考えています。

update 2025/4/13
Q.「同性愛を認めるなら小児性愛も認めるべき」という意見をどう思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「同性愛を認めるなら小児性愛も認めるべき」という意見をどう思いますか?恋愛は両者の了承があって成立するので、それが正しく判断できない小さな子どもとの恋愛関係を認めないほうがいいと思います。でも、これも差別的な発言なのかなと思ってしまいます。

A.あなたの意見におおむね同意で、ウ・サギは、恋愛は対等な(適切にNOが言える)関係において成り立つものだと思っています。なぜなら恋愛は、心や体のパーソナルスペースに侵入する行為なので、十分な合意がないと、深いダメージを相手に与えてしまうからです。
フィジカル、経験、立場などに明確な上下関係がある場合、下にいる側は断りづらいですし、上に過剰に憧れて判断能力を失ってしまっているケースもあります。そういう意味では、小児性愛に限らず、認めないほうがいい恋愛関係というのは存在するとウ・サギは思います。
逆にいえば、対等であれば、どんな性別だろうがどんな形だろうが、誰が誰とどう仲良くするのも自由だと思います。

何に恋愛的・性的に惹かれるかの内心は自由ですし、選びようもないものなのかもしれません。
でも、大人が小児と付き合うのは、たとえ子ども側に恋愛感情らしきものがあったとしても、恋愛でなく暴力や支配だとウ・サギは考えます。
「小児性愛者」(人)をバッシングするのは差別になるかと思いますが、「小児性愛」(行動)を認めないのは差別ではないとウ・サギは思います。また、暴力的な行動に及びたくなる人に対しては、批判するのではなく、行動に移さないための適切なケアや教育が必要だとも思っています。

update 2025/4/13
Q.幸せ→お金(裕福)は違うけど、お金→幸せは間接的に、部分的に合っていると思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.幸せ→お金(裕福)
これは、違うけど、
お金→幸せ
これは間接的に、部分的に合ってると思いました。
語彙力がないけど、幸せってお金じゃ買えないと思うかもだけど、美味しいものや面白いもの、サービスを買えるから間接的に、幸せになるのかなって。
でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。

A.おそらく前のこのQ&Aを読んでの質問ですかね。
とてもいい指摘、論点だと思います。カエルが前に書こうかなと思って長くなりそうだと思って控えたところを突っ込んでくれて、ありがとうございます。
幸せを決めるのは「自由」だとカエルは考えています。そして、自由を得るために現代でとても効力を発揮している存在が「お金」ということだという理解です。
だから、お金→幸せ が間接的、部分的にあっているというのは全面的に同意します。「でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。」というのもその通りだと思います。
自由(幸せ)はお金で買えるものと、買えないものがありますが、今はお金で買えるもの、お金がないと買えない物事が多すぎやしないかい?と思うのでした。
カエルは自由を得るための手段があまりにもお金に頼りすぎてしまい、知らないうちにお金を得るために幸せを放棄してしまう逆転現象が起こっていることを危惧しています。なんとか「生きかたを変えなければ…」とカエルをやっているわけです。

update 2025/4/10
Q.「表現する性」について、こういう表現が女、こういう口調が男というの自体に違和感を感じる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間の性は4つあって、そのうちの1つが「表現する性」だそうですが、そもそもこういう表現が女、こういう口調が男っていうの自体に違和感を感じます。

A.なるほど・・・そのあたりは、難しいですよね…。それぞれが自分らしい表現を選んでいいし、本人が「自分の表現の性は男です」と言うならそれもいいですが、周りや社会が「あなたの表現の性は男なんですね」とか「これは女性の表現、これは男性の表現」と規定するのは違うよなあ、とウ・サギは思っています。
だから表現の性、心の性、好きになる性については、男・女・中性みたいに分かれる以前に、そもそも「性別の枠組みがある」人と、「性別の枠組み自体がない」人に分岐するのかも?とちょっと思いました。最近だと、ノンバイナリーというものが、たぶんそれに近しいものなのかなと認識しています。
性は4つという考え方も、あくまで整理の仕方の一つであって、絶対的な枠組みではないのだともウ・サギは思っています。

update 2025/4/7
Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?

A.カエルもオタマジャクシのころ、同じことを考えていました。これは推測ですが、知らないうちに「間違ったり、失敗することはよくないことだ、あってはならない」という呪いをかけられているからではないでしょうか。呪いのせいなので、そんな大人は自分のおかしさに気づくことができず、ひたすら自己正当化に走るのです。そして、質問者のような子どもたちに見抜かれる…悲しい現実です。
子どももやがて大人になります。呪いにかかることのないよう、子どものうちから「あ、間違ってた」「失敗しちゃった」「ごめんなさい」と素直に思える自分の心を大切にしましょう。
また、間違いや失敗はそもそも、見方を変えると「間違い」ではなく「違ったやり方、違った結果」かもしれないですし、「失敗」ではなく「学びの機会」「想定外だった」だけかもしれませんよ。

update 2025/4/7
Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた。なら不登校の子はどうなの?同じ理由で来てない子もいると思うんだけど?

A.親はわかってませんね…おそらく、義務教育の意味をはき違えているか、正しく理解したうえで、親の強権を濫用しているのかもしれません。どちらにしても、学校は行ってもいいし、行かなくてもいいところです。
義務教育は「子どもに学ぶための権利を保障する義務が大人にある」という意味の義務教育で、小中学校は「どんな子どもにも学びを保障するためにあるところ」といえます。ただし、日本の学校はいろいろな課題があり、学校に行くことが学びの保障にならず逆に子どもの権利が侵害されてしまう実態もあります。また、長い間、画一的、管理的な側面があったことから、一人ひとりの学びのニーズに応えることが難しく、学校に行っても学ぶことができない子どもたちもけっこういます。だから、学校が学ぶ場としてふさわしくない、勉強どころではなくつらい状況があるのであれば、無理をして学校に行くのは本末転倒なのです。
そして、明確な理由がなくても、「行きたくない」という気持ちは大切な気持ちで、その気持ちを受け止めたり、理解することなく、大人が力を行使して「行くものだ」と圧力をかけることは子どものことをわかってない…という判定をカエルは下します。
学校がもう少し子どもにとって安心安全で、多様な学びが可能なところになってもらいたい+学校以外の豊かな学びの場を子どもたちに用意する世の中にしたいと思います。

update 2025/4/7
Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。でも思いや考えを心だとするなら、心に性別は無いのにと思った。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分はトランスジェンダーのはずだった。自分は思いや考えを心だと思っている。けれどそれが心だとするのならば心に性別は無いのに、勝手に男女でわけて、私は心が男。とか言ってる自分たち当事者が1番性を決めつけているのでは無いかと思った。

A.※補足に、性別に苦しんでいる人を批判する意図は全くない、と書いてあったので、読んでいる方もそこを理解して質問を受け取ってもらえたらと思います。

興味深い質問ですね。
トランスジェンダー(の中でも、FtM、MtF)は、「男・女」という性別が「存在する」のが前提になっているものなのは確かにそうだとウ・サギも思っています。
ウ・サギは当事者ではないですし、当事者といっても様々だと感じますし、「トランスジェンダーとは~」なんて語ることはできないとは思いますが、「割り当てられた性別(によって受ける扱い)に違和感がある」というのを「トランスジェンダースペクトラム」と捉えるのはどうだろう?とちょっと考えています。
スペクトラムは「範囲」「連続体」といった意味なのですが、つまりトランスジェンダーか否かの白黒に分けるのでなく、違和があればいろんな個性や濃度があっても広く仲間だよね、みたいに考えたらいいんじゃないかな?と思っている感じです。

心というのは、一体何なのでしょうね・・・。心の性という表現が実はちょっと雑で、アイデンティティの性、という表現の方が適切なのかもしれないとも思いました。アイデンティティは「自分が自分であること、さらにはそうした自分が、他者や社会から認められているという感覚」だそうですが、どうでしょうか。
生きづらさに名前をつけるのも大切で、意味あることですが、こうやっていろいろと考えるのも大切だとウ・サギは思っています。質問ありがとうございました。

update 2025/4/5
Q.私が自殺することは社会貢献になると思ってしまうのを、生きかたカエルさんに反論してもらいたい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.障害者である私に対して提供されている金銭的・人的支援をマジョリティの人々に回せば、より多くの人が幸せになるかつ、経済的にも発展するはずであり、私が自殺することは社会貢献になると思ってしまいます。生きかたカエルさんに反論してもらいたいです。

A.カエル指名の反論希望とは、とても嬉しく思います。カエルは反論が大好きですから、自分を理解された気持ちになりました。
さて、カエルの反論のポイントは2つあります。

1つは、あなたの論の前提になっている「幸せがお金(経済的な発展)によってもたらされるものだという」点です。
お金や経済のない昔や地域では人は幸せになれないわけでもなく、お金に関係なく生きている赤ちゃんや子どもも、幸せを感じることはできるでしょう。また、我々が感じる幸せもすべてお金や人によってもたらされるものではありません。特に経済的な発展と幸せは連動しない(むしろ、経済発展が不幸や悲劇をもたらすことも大いにある)ことを考えるとあなたの論には偏りがありそうに思います。

次に、あなたの論では幸せが一人ひとりの願いや状況に応じた個別的なものではなく、誰かに譲れるようなものであると考えている点に反論します。
あなたが、自分が金銭的・人的支援を受けるか受けないかは自由だと思うのですが、それによって他の人(より多くの人)が幸せになるかどうかは全く別問題だとカエルは思います。

カエルの反論のポイントは以上の2点ですが、何らかの障がいがあるあなたが自らの権利を守ることに後ろめたさがあり、自分のことを社会のお荷物的な迷惑な存在だと思っているのであれば、その理由を一緒に考えて、反論ではなく、ともに新しい論をつくりたい気持ちです。
まずは、一人ひとりが自分の権利について考えることが、社会貢献の土台であり、周囲の人たちの権利や幸せのことについて考えるための第一歩と考えています。反論になったかなぁ…
というより、この質問をくれただけで社会貢献率120%という気分のカエルでした。

update 2025/3/29
Q.体の性は女性で心の性は男性だけど、可愛い服も好き。これっておかしい?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私(俺)は体の性は女性で心の性は男性ですが、スカートも履けないわけでもないし、特に(ネットで言う)天使界隈やサブカル地雷系等の可愛い服も好きです
これっておかしいですか?

A.いえ、何もおかしくないと思いますよ。心の性は「どんな性別で扱われたいか/扱われたくないか」が一番のポイントだとウ・サギは理解しているのですが(あくまでウ・サギ的理解なので、違ったらごめんなさい)、男性として「周りに扱われたい」ことと、可愛い服が好きなことは両立するものだと思います。ただ、相手が服装で性別を認識しちゃうタイプの場合だと、女性として認識される、という不本意な扱いを受けるリスクはあるのかな…?とちょっと想像はしました。
おかしいものがあるとしたら、性別で着る服が決められてしまう風潮であると思います。どんな人の「好き」も「こうありたい」も、おかしいことは何もなく、その人らしさなのだとウ・サギは思っています。

update 2025/3/26
Q.地元の将来が不安しかない 自治体が財政難なんだけど
この記事の担当 生きかたカエル

Q.地元の将来が不安しかない
自治体が財政難なんだけど
ニュースやネットで報道されるんですよ
どうしようもないんですが

A.自治体が財政難とは、全国各地でけっこう当たり前なことだと思います。そもそも、日本という国の借金も相当にすごいですからね。カエルは財政というもの(お金があるかないか)をあまり重要視していないので、お金がなくても、人々(カエルも含めて)がそれなりに幸せに暮らせる社会を作りたいと思っています。財政難はどうしようもないかもしれませんが、生きかたや豊かさの中身をカエルことはできますからね。

update 2025/3/26