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タグ人間関係
Q.期末テストのことで喧嘩して「もう成績の話はするな」と言われ全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.この前期末の国語のテストで1問だけミスしたんだけど、そしたら「あんたは本読んでる割に頭悪い」とか言われんの!そんでイラついて言い返したら喧嘩になって、「もう成績の話はするな」って言われたから全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?

A.会話がかみ合ってませんね…
カエル的には人間界が成績の話題にいろいろナーバスなのは気になっています。少なくとも、子どもの成績については子どもの問題なので、依頼があるまでは介入すべきではないというのが基本的な意見です。よくても悪くてもどちらでもよく、子ども自身がどう思うのか支持するだけでいいと思うのです。
だから、あなたが頑張ったと思えばそれでいいし、悔しいと思えばそれでもいいし、成績の話をしたいのなら、あれこれ言わずに受け止めるのが、わきまえのある大人のふるまいだとカエルは思います。難しくないはずなのに、難しい…現実があります。子どもはそんな大人に怒ってもいいと思います!

update 2025/3/5
Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?

A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。

我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。

update 2025/3/5
Q.テストがあった日、親に「どうだった」と聞かれるが、なんという答えを望んでいるのか
この記事の担当 うさえなが

Q.テストがあった日、帰ると親に「どうだった」と聞かれる。自信ないと言うとえぇと云われ、嘘ついて出来たよ!と答えると、ひどいテストが返ってきたとき「できたって言ったじゃん」と云われる。なんという答えを親は望んでいるのか

A.え~困ったねえ・・・
なんにも話したくなくなるよ~

*ウ・サギから補足*
日々カエルさんも嘆いていますが、人間界は学校の成績というものに価値が置かれすぎていて、困りますね……。ウ・サギは、あなたの親は成績に過敏になりすぎている、心を支配されている状態とでも言いたい気持ちになりました。
過敏になりすぎている、心を支配されている状態の人は、そのトピック(今回ならテスト)について妥当なやり取りは難しいとウ・サギは考えます。なぜなら、その人が見ているのは目の前の人間ではなく、自分の中の理想や不安だからです。
だからもうなるべくテストの会話を避けるしかない……?成績に価値が置かれすぎる状態、そんな世の風潮を、どうにかできたらいいのですが…むむむ…

update 2025/3/10
Q.お母さん、私の事嫌いなんだろうな…そう思って毎日家に帰るのが苦痛。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.お母さん、私の事嫌いなんだろうな…そう思って毎日家に帰るのが苦痛。

A.そう思ってしまうってことは、何か実際に思い当たることがあるのでしょうか。
確かに自分のことが嫌いな人と一緒に暮らすのは苦痛だろうし、もしも本当は好きでいてほしい相手だとしたら、とても苦痛なことだろうと想像しました。

好かれたい相手に嫌われたり、そうじゃなくても誰かに嫌われたりするのはそこそこしんどいことだろ思うのですが、一方で自分以外の気持ちや好みはどうにもならないことだなぁとカエルは思っています。いや、自分以外だけではなく自分の気持ちや好き嫌いも、実はどうにもならないことなのかもしれません。

もしも、好かれなければとか、好きにならなければという「~べき」があるとしたら、カエルとしては親子とはいえそれぞれの好き嫌いはあっても仕方ないものだということは伝えたいです。そして、身近な人間関係って、好きとか嫌いというより、好きでも嫌いでもないぐらいがちょうどよいと思ったりします。

とはいっても、家に帰るのが苦痛な日々は何とかしたいとカエルは思いました。家以外に家みたいに帰れるところがあるといいなぁと思います。
所長たちはいつでもウエルカムなので、いつでも遊びに来て(帰ってきて)ください。

update 2025/3/10
Q.先生に肩をポンポンされたり頭を撫でられるのが嫌。嫌だとは言いたくないが自覚してほしい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家に(毎日ではないが)来て下さる先生がいて、その先生が私の肩を軽くポンポンしたり、頭を撫でてきます。(肩をポンポンは)痛く感じるのと、元々嫌なのと両方です。頭撫でてくる方は、嫌なだけです。嫌な事をその先生には言いたくないですが、自覚して欲しいと思っています。後、他にも私が嫌だと感じる言葉を言ったりしています。(今は少なくなりましたが)その先生のせいで私は前に死にたいと思った事もありました。その先生の事をウ・サギさんはどういう風に思いますか。私は酷いな。と思います。お返事、お願いします。

A.ウ・サギは昔から触られるのが大嫌いなので、それは酷い…!と共感し、先生にムカムカしています。
という個人的な気持ちもありますし、「同意なく触る」のは「身体のバウンダリーを侵す」行為なので、先生にはそれを自覚して改善してほしいし、先生という立場でバウンダリーを守れないのはとても困るよ、と思いました。厳しい言い方をすると、それは教育者としてアウトです、というレベルのことだとウ・サギは考えています。
バウンダリーというのは、自分と他人の境界線のことです。自分のこと(気持ち、体、持ち物など)をどう扱うかは自分で決める権利があり、いいですか?と聞かずにそれを侵略(勝手に触る、気持ちを決めつける、持ち物をとる…)するのは、相手を傷つけちゃう関わりになるから気をつけたいし、逆に侵略された場合はNOを言っていい、といった話がよくされます。
とくに、子ども(弱い立場)から大人(強い立場)へはNOが言いづらいので、大人側はバウンダリーによく注意する必要があるとウ・サギは考えています。

伝えるかはあなたの自由ですが、バウンダリーについてちゃんと知っている他の先生に伝えれば、指導・改善の入る事案だとは思います。
境界に入る行為は慎重に同意をとる、入られたと感じたらNOを言っていい。これは学校で一番に教えておきたいことだとさえ思うのですが・・・そうはなってない現状を大人を代表して謝っておきます。

update 2025/3/13