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タグ家族
Q.学校に行きたくないです。どうしても学校って行かなくてはいけないの?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校に行きたくないです。
幼い頃にいじめられたことがあってそれがトラウマで、家でも学校でも本心を表せません、
どうしても学校って行かなくてはいけないんでしょうか?
保健室登校を考えましたが、親が許してくれません。
どうすればいいですか?

A.学校はどうしても行かなければならないところではありません。あなたの気持ちや心の育ちがそれよりも大切です。学校に行くことがあなたの健やかな育ちを脅かすのであれば、無理をしていく必要はないというのがカエルの意見です。
あなたのようにいじめを受けたことにより、心の痛みが残っているのであれば、なおのこと無理をしなくてもいいよと伝えたいです。しかし、日本の場合、まだまだ「学校には行くべき」「嫌なことも我慢すると強くなる」という偏った考えも強く、子どもの願いや気持ちが尊重されないこともあります(とても残念なことですが)。
そもそも、人の個性はかなり幅広く、学校という場所はけっこう特殊な場所なので、合わない子どもも一定数いることも事実で、通いつづけている子どもであっても、ものすごく我慢をしている子どもたちもいるとカエルは思っています。

そのような背景がありますが、あなたの場合、親が難敵のようですね…
学校の先生で理解をしてくれる人はいるでしょうか。先生で味方になってくれる人がいそうなら、親の理解を促すための味方になってもらえるといいのですが。もしも、近くの大人ですぐに味方になってくれる大人が見当たらないのなら、こどもの人権110番という相談窓口があります。ほかにも子どものための相談窓口はいくつかあるので、自分に合う大人を見つけてみるのもいいかもしれません。

update 2024/12/27
Q.家にいるのも学校にいるのも嫌です。親から逃げてもいいんでしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.家にいるのも学校にいるもの嫌です。
必ず学校にいかなきゃだめですか、必ず家に居て親の監視下で暮らさなくてはいけないんでしょうか。私は親に愛されているという感覚もありません。親から逃げてもいいんでしょうか。

A.もちろん、学校に行かなきゃダメということはないし、親から逃げても構いません。子どもの権利条約では「子どもの最善の利益」という原則があり、子どもにとってもっともよいことは何か考えることが大切だとしています。
そして、実際に親と暮らしていない子どももたくさんいます。事情はそれぞれですが、それがイレギュラーだったり、特別なことではなく、いろいろな環境があることがもっと広がるといいなぁとカエルは常々思っています。
ただ、子どもの権利条約でも、子どもを育てる一義的な責任は親にあるとしていて、実際には親の力が強く、子どもの最善の利益に関しても、難しさに直面することもあります。親子と言えども、相性もありますし、お互いにつらい思いをしたり、我慢をして一緒に暮らす必要もないと思います。
まずは、子どもの気持ちや希望に耳を傾けて、一緒に考えて動く大人が増えたり、子どもだけが相談できて、必要なら支援をしてくれる独立した機関ができることをカエルは希望しています。

update 2025/1/6
Q.誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?

A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。

それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。

update 2025/1/6
Q.生きたくない。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.生きたくない。冬休みになって学校は休み。でも2週間もしたらまた始まるし、今も家にいるのがしんどい。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。

A.もうそろそろ、学校始まっちゃうころかな
相談できないのも気持ちはわかるし、こうなったら体力尽きてしまったら、ことが起こるかも?と思ってしまったカエルです。
本当なら体力が尽きる前に何とかできたらと思うのですが、カエルが出会った子どもたちも、相談したり助けを求めることができずに、とりあえず動けなくなったり、有事が起こってから、物事が動くことってわりとあります。
自分から相談するのは難しいけど、相談してもいいタイミングが向こうからやってくることもあるから、そのチャンスを逃さないのは大切だと思います。
それにしても、子どもが自分から安心して助けを求められる独立機関がなかなか整備されないし、そういうのが活用される準備も進まないのは歯がゆいカエルです。参考までに「子どもコミッショナー/オンブズパーソン」というものが具体例なので、参考になるサイトを紹介します。
子どもコミッショナー/オンブズパーソンについて|こども基本法プロジェクト

update 2025/1/9
Q.両親がよく喧嘩して私はほぼ毎日怒られていた。これって虐待っていうのかな。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.両親がよく喧嘩をしていた。ひとりっこの私はほぼ毎日怒られてた。小学生高学年から中学生ぐらいの間そうだった。今はだいぶおさまったとは思う。でも苦しい。これって虐待っていうのかな。

A.カエル的な判断では、心理的虐待だと認定してもいいと思います。
そもそも、日本の「虐待」という表現はあまりよろしくなくて、海外では「マルトリートメント(不適切な養育)」という表現が使われることがあります。マルトリートメント概念で行くと、あなたが両親にされたことは間違いなく、マルトリートメントに認定されます。
また、カエルは虐待かどうかというより、あなたが「苦しい」のが重要なことだと思います。子どもの苦しい思いを、親に限らず大人が受け止めて、苦しさが少しでも軽くなるような手助けができる仕組みをつくっていく必要があると思っています。
今はだいぶおさまったと聞いて少し安心していますが、「前よりまし」という基準で大丈夫じゃないことも、「大丈夫」と思ってしまうこともあります。苦しいことは苦しいと思ってもいいし、言ってください(少なくとも質問箱では大歓迎です)。

update 2025/1/9
生きづLABOが居場所と仲間になるために
この記事の担当 生きかたカエル

こんにちは、生きかたカエルです。

久しぶりにブログを書きたくなりました。

というのも、所長室の質問箱にコンスタントに質問が寄せられ、地味に回答しているのですが(目下のところ、質問箱だけが生きづLABOの活動になりつつあります…苦笑)、回答しながら、いろいろと考えることがあり、「そうだ、ブログを書こう!」という気持ちになりました。

質問箱に来る質問は、カエル的にはとてもいい質問がやってきます。

何がいい質問かというと、「世の中についていいところを突いてくる」質問という意味です。

そして、比較的、若いというのか幼いというのか、小学生とか中学生ぐらいと思しき子どもたちからの質問も多い印象です。

我々所長たちは、生きづLABOを開設したときに、そうした年齢層と「生きづらさ」とか「死にたい」とかそういうことを一緒に考えられるサイトになることを意識したので、子どもたちが来ることはとてもうれしいことです。(もちろん、どんな年齢層も大歓迎ですが、既存のサイトで子ども向けのものが少ないのでは?という課題意識があったのでした)

ただ、質問からは子どもたちがとても苦しい思いをしていることも伝わってきて、それは悲しくもあり、歯がゆくもあり、理不尽でもあります。

しかし、子どもたちが素直な気持ちで「生きづらい!」とか「おかしい」とか「苦しい」など問いかけてくることには頼もしさがあり、「その違和感や苦しさはとてもまっとうだ」と思い、「無駄にはしたくない」と思う気持ちになります。

最近、「仲間になりたい」「居場所がほしい」という声もあり、生きづLABOを通じて仲間づくり(まずは所長たちと仲間になれたら…)や居場所づくりをしていけないかと野望を抱くカエルでした。

カエルとしては、家出についてこれまでも書いてきているのですが、子どもが自分の家庭(ホーム)の環境を選べたり、改良したり、何かしらの効力を持つ方法がないかとずっと考えています。

子どもはいつも大人(特に親)の都合で、どこで誰とどのように暮らすかという大切なことが決められてしまいます。ホームは子どもが生きる上でいろいろな意味で重要な要素を持つため、ホームが選べないことは、ずいぶんと権利を奪われてしまう状況といえるのです。

子ども時代に権利を奪われると、持っている力を伸ばす機会を失い、同時に自信も失ってしまいます。大人になって自分らしくそれなりの力を発揮しながら、社会の中で生きていくことがいろいろな意味で難しくなります。

それは、人の成長や発達の過程を考えると当たり前なことなので、いろいろな子どもたちがいる中で、それぞれに合った育つ環境を得ることができるよう、選択の幅を広げていくことが必要なのではないかと思うのです。

同じように、学校に行きたくないという質問がたくさん来ています。

学校についても、子どもにとってかなり大きな影響力のある存在であるのに、その特殊性(多様性や自主性がとても限られている、子どもの選択権が少ないなど)は相変わらずで、課題が多くあると思っています。

家庭と学校がもっと子どもたちのためのところになるように…という方向性もあるのですが、それはそれで限界があるので、家庭でも学校でもない居場所がもっと多様に増えていくという方法もありじゃないかと思っています。

だから仲間や居場所の作り方について、生きづLABOでみんなと一緒に考えてみたいです。

一緒に考えることができたら、そのプロセスが仲間づくりになったり、居場所になったりするとカエルは思うのでした。

だから、質問をくれている人たちはカエルの中ではみんな仲間だと勝手に思っています。

update 2025/1/11
Q.親に「お前なんて産みたくなかった」と言われた。これって虐待?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に「お前なんて産みたくなかった」と言われた。これって虐待?

A.虐待は、虐待か虐待じゃないかというグレーゾーンがたくさんあって、こういわれたから「はい、虐待認定です」というものではないのですよ。そのうえで、ポイントをお伝えすると…
①言われた子どもの気持ちやダメージ
②どういう状況でどういった文脈で言われたかの意味合い
③言った親側の事情
あたりが関係してくるかなと思います。

一番大事なのは
①でそう言われて子どもが深く傷つき、そのことが後にも引きずるようなダメージを受けているのなら、それは心理的な虐待にあたるとカエルは思います。
子どもがそんなことを言われても全然へっちゃらで気にしないのなら、虐待には当たらないこともありますが、だからといって言ってもいい言葉ではないと思われます。

また、②に関連して、ふざけている場面だったり、演劇のセリフとして言ってるのなら虐待にはならないこともあります(ふざけていても、子どもにダメージを与えるのなら、それは不適切だと思います)。

そして、③ですが、親と言っても一人の弱い人間なので、追い詰められたり、心の余裕がなかったり、自分自身もそういったことを言われてきた経験など、事情があり言ってしまうこともあると思います。親が追い詰められているからと言って子どもを否定したり、尊厳を傷つけることが許されるわけではないのですが、そのようなことを言ってしまう背景には、子育てを不当に親に丸投げしている現状もあることはカエルとしては心配しています。

update 2025/1/14