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Q.勉強は義務じゃなく権利なのに、なんで学歴重視の社会なの?
この記事の担当 うさえなが

Q.勉強するのは義務じゃなくて、権利。
なのになんで学歴重視の社会なんですか?
なぜ学校にいかないと白い目で見られるんですか。
なぜ学校以外の居場所が欠乏してるんですか。
前も似たような質問をしたかもしれないですけど、すみません。

A.うんうん。また、生きかたカエルとウ・サギが頷いてるよ!

*ウ・サギから補足*
まっとうな主張と怒りだとウ・サギは感じます。
ウ・サギの身近なニンゲンでも、学校に行かなかった人がいますが、世間からの目のプレッシャーは感じ続けていたと話していました。
学校に行かない選択ができて、たとえ学校以外の居場所に出会えたとしても(それができずに苦しみながら学校に通い続ける子もいるでしょうし…)、選択肢が乏しく、世間の目にも脅かされるのでは、子どもが安心して成長できる社会になれてるとは思えないところです。

ただ、学歴重視の社会については、実際のところ薄れてきているというのがウ・サギの実感です。新卒カードという限定したシチュエーションでは有利かもしれませんが、今はどこも人材不足が深刻なので、学歴云々を気にしてられなくなっていると感じます。
大人になってから通信の大学などに行って、就きたい職業のための勉強をしたり資格をとる手もあります。
ウ・サギはあなたのあなたらしさを応援します。

update 2024/11/27
Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事をみると不安になる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.正社員にならないと人生が行き詰まるみたいな記事みると不安になります。正社員にならなきゃプレッシャーも少しあるのです。考えすぎですか?

A.そんな記事はどこの誰が書いたのでしょうかね。
おそらく世間知らずなのか、誰かの回し者として送りこまれ、不安をあおるために書いた記事なのかもしれません。

正社員にならないと人生が行き詰まるかどうかは、一人ひとりが自分で感じて、決めることであり、他の人があーだこーだと言うことではありません。ただ、正社員にならないことに不安を感じたり、ならなくてはとプレッシャーを感じることはあなた自身の大切な気持ちなので、それをなかったことにするのはよくないです。きっと、何かしらの不安やプレッシャーがあるのだろうと思います。本当は何に不安なのか、何が一体プレッシャーと感じているのか改めて考えてみるとよいかもしれませんね。

カエルとしては、一般論と個人的な事情は切り離して考える必要があると考えています。
一般論として、正社員の方が不安が少ないと言うことになっているかもしれませんが、正社員の責務が自分に見合わないとしたら、正社員になったことで安心するのではなく、逆に不安やプレッシャーを背負うこともあるでしょう。そして、正社員といっても、どんな会社の正社員になるかによって全然事情は異なります。

つまり、正社員になるかならないかということに思考のコストを割くより、どんな働き方なら自分の力が発揮されるのか考えることをおススメします。すぐに見つからないかもしれませんが、そういう思考をする人が増えると働き方も変わってくるようにカエルは思っています。

update 2024/11/21
Q.学校も勉強も義務じゃなく権利なのに、なんで学校にいかないと変な目で見られるの?
この記事の担当 うさえなが

Q.学校に行くのは義務じゃない。
勉強するのは義務じゃない。
権利でしょ?
なのになんで学校にいかないと変な目で見られるの
なんで学歴社会なの。

A.うん、うん、その通りだ!
って生きかたカエルとウ・サギがめっちゃ頷いてる

*生きかたカエルから補足*
その通りです。
子どもには学ぶ権利があります。
子どもの権利条約の第28条には教育を受ける権利について書かれています。
また、29条の「教育の目的」には「教育は、子どもが自分のもっている能力を最大限のばし、人権や平和、環境を守ることなど学ぶためのものです」と書いています。だから、学校があなたの持っている能力を最大限のばすものでないとか、人権や平和、環境を守ることなどを学ぶところでないのなら、行かない選択をしても構わないとカエルは思います。
そして、行き過ぎた学歴社会についても、国連子どもの権利委員会は日本に対して、過度に競争的な システムを含むストレスの多い学校環境から子どもを解放するために措置を強化するように求めています。1994年に日本が子どもの権利条約を批准して以来、毎回のように「過度に競争的な学校システムの見直し」を勧告されていますが、なかなか改善がないのはどうしてかな?とカエルは思います。
そして、「子どもの意見の尊重」についても、強化を求められ続けています。子どもに関係することに子ども自身が意見を伝える機会があり、そこで力を発揮することが大切だと言われているのです。
だからあなたがこのような意見を持っていることをカエルは全面的に支持をしたいと思います。
そして、あなたの質問にお答えするとしたら
「日本が遅れているからです」ということになります。
と言っても、カエルも一応日本に所属している一員なので、他人事ではなく、一緒にこうした意見を伝えて、現状を変えるようともに発信していきましょう。

update 2024/11/18
Q.勉強させるのは親の義務で、わたしたちが勉強する義務ってないですよね。
この記事の担当 うさえなが

Q.なんで親は「勉強しろ」って馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくるんですか?
勉強させなきゃいけないのは親の義務で、でもわたしたちが勉強する義務ってないですよね。権利ですよね。これって屁理屈ですか?

A.むむむ・・・むずかしいお話はわからない
でも、たくさん怒ってくるのは、いやだなあ
そんな怒っても意味ないのにね!

*生きかたカエルから補足*
至極真っ当なお怒りモードの質問、カエルは頼もしさを覚えます。
しかも、感情的な親を観察し、「馬鹿の一つ覚えみたいにたくさん怒ってくる」と表現できるあたり、あなたの力と感性を感じます。

もう少し、カエルの意見をお伝えすると、子どもに勉強をさせなきゃいけない義務は親にはありません。親(大人)には、子どもに対して、学ぶ権利を保障する義務があるのです。そして、子どもは学ぶ権利があります。

そして、「学ぶ」=学校の勉強ではありません。
学校の勉強も学びの一つではありますが、それ以外にも大事な学びはたくさんあります。あなたが学校の勉強に魅力を感じず、もっと学びたいこと、やりたいことがあり、それをやろうとしているのに「勉強しろ」と一方的に怒ってくるのくるのは子どもの学ぶ権利を侵害していることになります。

学ぶ権利を阻害する大人の振る舞いはアウトです。でも、それ以前に子どもに学びを保障することがどういうことなのか、大人の理解がないことが、無自覚に学ぶ権利を侵害していることの原因のようにカエルは思っています。

学校の勉強がこういう疑問を自由に出し合い、「権利」についてもっともっと学ぶ機会であるのなら、カエルも「もっと勉強すべし」と進言したい気持ちになりますが、怒ったり、一方的に押し付けることはアウトだとカエルは思っています。

それから、屁理屈についてですが、子どもは屁理屈を堂々と言う権利があるとカエルは思っています。
社会のことがあまり分からないので、何が理屈か屁理屈なのか分からないのが当たり前だからです。それを大人がまともに受け止めて、議論をすることが大切だと思います。よく大人が子どもの意見に「それは屁理屈だ」と言うことがありますが、意外と大人側に正当な理屈がなくて、理論的に説明するのが無理な際に封じ込め作戦として使う方が多いです(カエル調べ)。
かくいうカエルもオタマジャクシの時にはしばしば意見を伝えては「お前はいつも屁理屈を言う」と封じ込まれていました。その時は気づかず、私は屁理屈な人間なのかなと思ったときもありましたが、今なら正当な意見や疑問を抱いていただけだと思えます。

update 2024/11/17
Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
どうしても嫌いな人がいるんです。そして嫌いな人=親なので離れられないんです。

A.好きになる努力は不要だとウ・サギは考えます。
そもそも好き嫌いなどの「感情」や「感覚」は努力で変えられるものではない気がするのですが、どうなのでしょうね・・・(ウ・サギは嫌いじゃないと思い込むことに成功して、結局は最後もっと嫌いになった経験ならあります)

でも嫌いだという気持ちが膨らみすぎると疲れるので、疲れない工夫はあった方が楽かもしれません。愚痴を言えるところで思う存分言って、なるべく親と物理的に距離を置くことをおすすめしたいです。
生きかたカエルは、合わないと思った相手を「観察対象」として見て、「ふむふむこういう生態なんだな」という分析に目を向けて、そもそも好き嫌いの対象外にするそうです。

update 2024/11/13
Q.親と反りが合わない。勉強ってそんなに大事かな
この記事の担当 うさえなが

Q.親と反りが合わない。
親は頭の良い高校に行って、大学行って、「人生勝ち組」にしてこようとしてくる。
でも、私はもう全てに疲れてしまって。勉強ってそんなに大事かな、そんなにちゃんとオトナにならないといけないのかな。私には居場所が何処にもない。

A.人生勝ち組って、楽しい人生のことじゃないの?
え、違う……?
その親とは、我も気が合わないなあ

*ウ・サギから補足*
「人生勝ち組」とか、そんなものは誰かが勝手に思い描いている幻想だとウ・サギは言いたいです。
良い高校にも大学にも行くことなくても、勉強を頑張ってこなくても、生きられている人をいろいろ見てきたので、心からそう思います。むしろ、身を削って自分を殺して何かを頑張ってくるよりも、ほどよく休みながら自分の感性に従って歩んでくる方が、人生は楽しく安定したものになる傾向がある気がします。
高学歴・高収入は安定を手に入れる一つの武器にはなるかもしれませんが、自分にとっての望ましい人生を手に入れるために必要不可欠なんてことは全くありません。

だから「親と反りが合わない」と思えて、それを発信できるあなたの感性を何よりウ・サギは応援したいです。年齢が上がると居場所とつながるチャンスも増えると思いますし、その感性でつながれる人や場所があると思います。

update 2024/11/9
Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7
Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか
この記事の担当 やみーペン

Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか

A.おかしいことなんて何もないとやみーペンは思う。リスカとか髪を抜くことが今は必要だからやってるのだし…。でも罪悪感が出ちゃうときはあるから、世の中の大人が毎日ビール飲むよりコスパいいよね。って思うことにやみーペンはしてるよ。

update 2024/11/6
Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.なんで嘘をついたらダメなんですか?

A.とても、よい質問だと思いました。
嘘をついてはいけないことなんて、ありません。
「嘘をついてはいけない」というフレーズは、支配したい者が支配したい相手にかける洗脳の言葉だとカエルは思っています。
大人から子どもへ、先生から生徒へ、上司から部下へ…嘘をつくなと言うことはよくありますが、その逆で言うことはほぼないと思います。
つまり、「嘘をついたらダメ」というのは相手をコントロールするための抑圧の手段なのです。だから、嘘をつくかつかないかは本当はどうでもよいことだとカエルは思っています。そもそも、忠実に事実だけを語る人はいないので、誰もがいつも嘘つきであり、本当のことを言っているとも言えます。
また、いわゆる嘘として、わかっているけれど本当のことを言わない、あるいはわざと別のことを言うことはありますが、それでも「そう言いたかった、そう言わざるを得なかった事情」というものが含まれる、大切な自己表現なのです。
それを、支配したい側が自分の都合で「嘘」というレッテルを貼りいかにも正当な行為のようにして、弱い者を操作しようとすることがあまりにも多いのでカエルは「嘘をついたらダメだ」キャンペーンには賛同しかねます。

ただ、カエルも誠実に他者と付き合いたいという希望はあるので、嘘によって混乱したり、困ることはあります。そんな時は「嘘をついてはダメだ」ということではなく、「あなたは今そう伝えたかったのですね。でも、私には別のように思えます。本当のことを教えてもらいたい」とお願いすることはあるかと思います。ただし、お願いしたとしても、本当のことを言ってもらえるかは相手次第のことです。それでも、事実ではないことを言われたとしたら、関係性がまだ本音を言い合えるところに至らないのだろうと理解します。

したがって、「嘘をつくかどうかは自由」であり「嘘をついてはダメ」という台詞を言う人には気を付けた方がいいでしょう。というのがカエルの結論です。

update 2024/11/1
Q.どうして「生きる権利」は保障されて「死ぬ権利」は保障されないのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして「生きる権利」は保障されているのに「死ぬ権利」は保障されていないのでしょうか。

A.今の世の中では、「生きる権利」が実際には保障されていないのではないか・・・?と、この質問を読んでまず思いました。
もし本当に生きる権利が守られていれば(これは、自分の生活・身体・精神を脅かされない、というのを想定しています)、自分の本当に望んでいるものを知り、それをある程度叶えられるはずです。つまり、本当に死というものを目的にするなら、個人の自由として行動に移せますし、もし死という手段で逃れたいと思うほどの苦痛があるのだとしたら、それを死以外の方法で叶えるように行動できることになります。

だからこの質問は、「生きる権利を保障しないなら、せめて死ぬ権利を保障するべきでは?」という問いかけのようにも感じました。(全然違ったらすみません・・・)

update 2024/11/1