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Q.本音だと確信できない状態で相談をするのは、失礼でしょうか…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.相談や質問をして返信をいただいた時、その返信を読んで初めて「あ、自分が本当に言いたかったのはこれじゃなかったかも」と気付くことがあります。本音だと確信できない状態で相談をするのは、失礼でしょうか…?

A.いえいえ、全く失礼ではないと思いますよ。
むしろ相談というのは、そのためにするものだとウ・サギは思っています。思ったことをとりあえず言ってみて、それはそういうこと?いや、ちがって、じゃあこう?あ、もしかしたら…みたいに、自分が本当に言いたいことを探していくのが相談(対話)だと思います。
その人の答えはその人の中にある、とウ・サギは思っています。それが見えなくなっているなら、一緒に探せたらと思いますし、何か手伝えそうなことがあるなら手伝えたら、と考えています。あと、相手の答えを探している中で、自分の中の何かに気づいたりすることもあるから、相談は不思議です。

update 2025/2/18
Q.被害妄想のようなものに悩んでいる。なぜ不安になるようなことを考えてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.泥棒が家に入ってきたらどうしようとか、地震が起きたらどうしようとか、被害妄想のようなものに悩んでいます。なぜ不安になるようなことを考えてしまうのか、自分でもよくわかりません。

A.ウ・サギの身近にも似たようなことで苦しんでいる人がいるので、ちょっとお話を聞いてきました。

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自分の場合は怯えてるものに対して実際に怖い経験があったり、またはそれを連想させられるような経験があった影響もあり怖い妄想が膨らんでしまうし、関連性のない被害妄想が出てきたとしても一度考えると物凄く不安になって眠れなくなります。
私もなぜ自分が不安になる事を考えてしまうのかわからないし外でも突然くるから困っているけど、「もしこうなったら、こう!」ってある程度先に考えておかないと本当にそれが起きた時にあまりにも怖すぎるので、「こうなったらどうしよう…。」の先もちょっと考えている。ってところが私にはあるかもしれないです。でも多分ここについてもっと考えるとまだまだ思うところがありそうで、ずっと語れそうなので、時間が足りないなと思いました。
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ウ・サギは、何かしらの経験により不安という「感情・感覚」が先に根づき、「何に」不安を感じているかは後付けで、色んなものに派生することもあるのかなと思いました。
例えば、地震が起きない土地に行って完璧なセキュリティの家に済んでも、新たな不安が生まれる構造になっているのではないか?という説です。
本当に怖いものは何なのか、というのを研究してみたいところです。

update 2025/2/18
Q.憧れの人に殴られたくてたまらない。やっぱ私が変ですよね…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.憧れの人に殴られたくてたまらないです。叶わないのは分かってるし、結局妄想してニヤニヤするだけなのですが、この話を親友にしたらとてもひかれました。やっぱ私が変ですよね…?

A.欲望(という表現が正しいかはわかりませんが、ここではそう呼ばせてもらいますね)は実に人それぞれなので、ウ・サギは変だとは思いませんでした。無理に叶えようとしないのであれば、願いを抱くのは完全に自由ですし、そこに誰かが変だとか変じゃないとかジャッジする権利はないと思います。
でも、殴られたいと思ったことはウ・サギは一度もないので、どういう感覚なのだろう?何かそれに目覚めるきっかけはあったのかな?と聞いてみたい気持ちにはなりました。

真面目な話、ちょっと言いづらい欲望を抱えているのは結構ある話だと思います。ウ・サギは、仲の良い人に、いかにウ・サギの性格に問題があるかを理路整然と罵倒されて、三倍くらいの力で罵倒し返したいです。

update 2025/2/16
Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんな何が楽しくて毎日生きてるのでしょうか。毎日家と学校を往復で精一杯てふとなんのためにこんなに頑張っているのだろう、みんな何が楽しくて生きているのだろうと考えてしまいます。いっそのこと死んでしまってもいいのではと考えてしまいます。

A.ウ・サギ調べでは、何かが楽しいというよりは、何も考えずに毎日生きている、というのが近いかと思っています。あとは、あまり頑張ってなかったり、ちょっとずるく生きているから、毎日何となく生きられるのもあると思っています。
生きることには希望がある、前向きに生きようキャンペーンみたいなものが社会にあるとも感じるので、そのキャンペーンにちょっと流されてるのもあるかもしれません。
だから「みんな何が楽しくて生きているんだろう」と疑問を抱くのは、あなたが真面目に生きようとしていて、世間に流されないタイプである、ということを示しているようにも思いました。
そう考えていくと、生きるために一番大事なのは、実はほどほどに「頑張らない」が出来るようになる(頑張らなくても生きられる環境になる)ことなのかもしれないですね。

update 2025/2/15
Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に無理に行く必要がないってことは、学校に行って、途中で早退してもいいってことだよね?なんで一回学校の敷地に入ったら、授業が全て終わるまで出れないみたいな、檻に閉じ込めるの?ひどいよ

A.もちろん、途中で早退しても構わないと思います。
今の人間界はルールが形骸化して、「何のために」そのルールや仕組みがあるのかを忘れて、よくわからない縛りや制限があふれているように感じます。

学校の(大人の)目的は、子どもに安心・安全と、成長の機会を保障することだとウ・サギは思っています。
その目的を達成するために、学校に言ったら授業が全て終わるまで出れない、といった風潮は必要ないはずです。ただ、学校や先生だけに責任を押しつけてもダメで、もっと学校以外で学ぶ選択肢があったり、学校の授業のあり方が自由になるべきだと思っています。

update 2025/2/12
Q.なんで苦しんでまで働く必要があるわけ?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.「働けない人って、どういう人だと思う?」『病気の人とか?』
、、、精神疾患で苦しんでる人のことは、考えてないんだろうな。そもそもなんで苦しんでまで働く必要があるわけ?

A.カエルは「働けない人」というのはいないと思っています。
どちらかというと、「働くチャンスをもらえない人」とか、「働く環境がすぐにはない人」ともいえるかもしれません。
カエルもそもそも、苦しんでまで働く必要はないと思いますし、「働く」=お金を稼ぐことともあまり思っていません。
こうして「働くこと」について考えて、疑問を投稿することも、カエル的には働くことだと思っています。自分たちの暮らす社会について考えて、自分なりにアクションを起こすことは「働く」ことにつながっていると思います。むしろ、与えられたことだけ考えもせず、こなすだけになるのならそれは「働く」のではなく、「こなす」「作業をする」ということになり、この量が増えると、社会は生きづらくなるというのがカエルのリサーチ結果であります。もっと、働くことについて考えていくのが大切だと思うのです。

update 2025/2/12
Q.無責任で、こちらの辛さを1mmも分かってない応援の言葉が大嫌い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.今まで頑張ってきたんだろ?ー頑張ってません。自分を信じて!ー自分が一番信じられません。今は辛いかもしれないけど、きっとサクラは咲くよ!ーなんでそう言い切れるの?
無責任で、こちらの辛さを1mmも分かってない応援の言葉が大嫌い。

A.「無責任で、こちらの辛さを1㎜も分かってない」ような言葉は、ウ・サギも言われると心がごっそりと削られます。だから「大嫌い」の気持ちはわかりますし、嫌いの気持ち=その嫌いな対象から逃げろという自分へのサインだと思っているので、自分の大嫌いがわかるのは大切だと思っています。

ただ、そういった発言は、悪気なく言っている場合がほとんどのようです(ウ・サギ調べ)。誰しも心のありようも経験も様々なのですが、私たちは油断したり余裕をなくすと、自分と相手が同じような感じ方だと思い込んでしまうようです。そして、親切にしたつもりで、傷つけたり頓珍漢なことを言ったりしてしまいます。
違いを知る機会がもっとあれば、きっと色々変わるのではないかと思っています。

update 2025/2/12
Q.我慢って必要だと思いますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.我慢って必要だと思いますか?我慢することで頑張っている自分を褒めたくなることもあるけれど、我慢なんてするんじゃなかったと後悔することもあり、難しいです。

A.それは「我慢」をどう定義するかによるので、難しいところですね…。ウ・サギは「しなくてもいい我慢はしないのが一番」だと思っていて、「本当に我慢が必要なときはした方がいいだろう」と思っています。
しなくていい我慢は、極端な例をあげると、体育会系のしごきのようなものです。上級生に理不尽に攻撃されるとか、科学的根拠もなく水を飲まないで走らせられるとか・・・。それを我慢し続けると悪しき風習が続いてしまうので、逆に、我慢しないことが大切になると思います。(ただ、NOを言うのは勇気やエネルギーが必要なので、我慢せざるえなかった人を責める意図はありません)
必要な我慢は、例えば災害があって水の量に限界があるときに、たくさん飲まないように我慢する、といったものです。あとは必要まではいかないですが、オリンピックに出たいとかであれば、目先の欲をほどほどには我慢できた方が結果を出せる可能性は上がりそうです。

まとめると、
・自分含めた誰かの生存や安全のためには、我慢することには価値がある
・誰かの欲望や思考停止の指示(勉強しろなどはこれに該当するとウ・サギは思います)には、我慢をしない方がよい
・どうしても叶えたい夢や出したい結果などがある場合には、我慢する力があった方が便利
というのが、ウ・サギの我慢論です。

update 2025/2/12
Q.親は「遺伝子をのこす事がヒトの生きる意味」と言う。異性を好きになれない私はなんで生きてるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親は、「結婚や出産は絶対にするべき」だと言います。「遺伝子をのこす事がヒトを含め生き物の生きる意味なんだから」とも。それなら、異性を好きになれない私はなんで生きてるんですか、、?

A.ウ・サギとしては、親の考えは偏っているし、筋の通ってないものだと思いました。
人間社会というのは、本能(動物としての生きる意味)よりも理性や心を尊重するという理念で成り立っているものです。もしそうでないなら、それぞれが自分の欲求を最優先し、弱者は淘汰され、私たちのほとんどは安心して生きられなくなるでしょう。
だから生き物のロジックを繁殖にだけ適用しだすのは、変てこな話です。

ただ、子どもが産まれないと社会が存続しなくなるのも一つの事実です。しかし、だからといって「結婚や出産は絶対にすべき」というのは飛躍した論理だと思います。
とりあえず今のところは放っておいても、出産する人々・出産願望のある人は一定数いるようですし、社会の存続には「産む」ことだけでなく、「育てる」人やチカラ、それを支える環境(住まい、医療、学校、福祉…)も欠かせません。
もし人間の生きる意味を定義するなら、無理ない範囲でそのどこかを担うことかとウ・サギは思いますし、逆に、すでに無理なく社会が存続できているなら、たまーに必要なときだけ動くのんびりな人がいていいと思っています。
大人たちには、結婚やら成績やらの目先の何かにとらわれず、人々の心が守られる、持続可能な社会をつくることを真剣に考えてほしいと思います。

update 2025/2/12
生きかたカエルの過去質問箱一覧(3/3)
この記事の担当 生きかたカエル

所長たち個別のXアカウントを削除するため、質問箱(Peing)で回答していた質問をまとめました。
(一部、当時のXの内容を見ないと流れが不明なものや、固有名詞の出ているものなど、載せていない質問もあります。ご了承ください)

生きかたカエルに来た質問が多かったため、読みやすいように記事は3つに分けています。

Q.なにをやっても人とのコミュニケーションに行き詰まります。自分の社会性の低さに、繰り返し落ち込んでしまいます。色々やるには、一人では無理だし、人の力を借りないといけないんだけど、あー、もっと上手に喋れたらいいのにな。愚痴でした。
A.人間界のコミュニケーションは言葉に偏っていると思う時があります。うまく喋れないのなら、ノンバーバルを極めるのもよいかと
 
Q.生きづらさはきっと家族にあるのはわかっていて、だから精神か通院も、薬物治療も、カウンセリングも受けて、でもだめで、今入院してて、でもやっぱり結局この消えたい気持ちは一切なくならなくて…あとどのくらいの月日と何をすればこの気持ちは少しでも消えてくれるんでしょうか。いい加減息を吸ったり吐いたりするのすら毎日苦しい
A.どれくらいの月日かはわかりませんが、とにかく今を思い切り生きることが大事なんだと最近読んだ本に書いていて、カエルはその言葉に深く納得しました
今を思い切り生きることは楽しく充実した生活とかではなく、楽しいでも苦しいでも、痛いでも、悲しいでもいいから今感じていることに気づいて受け入れることだと思っています
だから、今苦しいと感じていること、息を吸って吐くのも苦しい気持ち、それが少しでも軽くなってほしいと願っていること、そこに気づいていることをカエルは受け止めたいです
 
Q.フォロワーの誕生日を祝わなかっただけでフォローを外されましたイライラします。確かにこっちは誕生日にプレゼント貰ったり祝われたりはありますがそういうのって別に義務じゃないですよね?お願いした事もないし大人なんだし誕生日を祝ってほしいもんですか?無言でフォロー外されて腹立ちます。
A.誕生日は祝っても祝わなくても自由です
同じようにフォローするのも、外すのも自由だとカエルは思います
 
Q.自分がわからない
A.それは、自分をわかりたい故の悩みなのでしょう
自分だけで自分はわからないので、周囲からわかるための材料を集めるのがよいかと思います
 
Q.自分が分からないのはどうしたらいいんだろ。自分のことが分からない。
A.そんなに自分が知りたいのかぁ
カエルとしては、わかっていることより、わからないことの方がはるかに多いからわからなくてもよいと思います
 
Q.友達って何ですか?何をするのが友達?
A.友達はコスト(時間、お金、エネルギー)をかけて何か一緒にしたい相手だとカエルは思ってます
何をするかはそれぞれでしょうね
 
Q.死にたいです。今の環境とかだと。全部リセットしたいです。だけど出来ないのは分かっています。どうすれば心地よく生きられますか?
A.何かを変えるのが難しいとはいえ、変えたい気持ちは伝わってきました。
願うこと、表明することからしか始まらないとカエルは思っています。
 
Q.「障がい受容」って何ですか。当事者にとって、自分のありようは自分にとっての「普通」で、それを他者から「障がい」とレッテル貼られるわけじゃないですか。受け入れがたくて当然だと思うんです。障がい受容って、自分が「他者から『普通じゃない』と思われている」ことを受け入れることだとしたら、あまりにも屈辱的でしょう。そんなの受容しなくていいじゃない。だって「障がい」とか勝手にレッテル貼ってるのは「普通」の人たちで、相手が勝手に分断してきているわけで、それを受け入れろなんて高慢。とか思いました。自分の反省も込めつつ。質問にもなっていない、なんかよく分からないことを書きました。
A.おっしゃる通り!
カエルも障がい受容って言葉を本人以外が使うのは失礼だと思ってます。まぁ、本人以外の人しか言わないんですけどね…
同調圧力ならぬ受容圧力として警鐘を鳴らしたいと思います。
update 2025/2/10