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タグ疑問
Q.なんで自傷って理解されないんですか。
この記事の担当 やみーペン

Q.なんで自傷って理解されないんですか。前親に見つかってカッター取り上げられて『もうやらないと約束して』と言われました。親の物じゃないから別にいいと思うんですが。

A.みんなリスカがなんで必要か知らないで言ってくるから困っちゃうよね!やみーペン的には誰も巻き込まずにすむコスパのいいものだと思ってるんだけど……正しい理解が必要だよね。生きづLABOで広めなきゃ…!

update 2025/4/10
Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?

A.カエルもオタマジャクシのころ、同じことを考えていました。これは推測ですが、知らないうちに「間違ったり、失敗することはよくないことだ、あってはならない」という呪いをかけられているからではないでしょうか。呪いのせいなので、そんな大人は自分のおかしさに気づくことができず、ひたすら自己正当化に走るのです。そして、質問者のような子どもたちに見抜かれる…悲しい現実です。
子どももやがて大人になります。呪いにかかることのないよう、子どものうちから「あ、間違ってた」「失敗しちゃった」「ごめんなさい」と素直に思える自分の心を大切にしましょう。
また、間違いや失敗はそもそも、見方を変えると「間違い」ではなく「違ったやり方、違った結果」かもしれないですし、「失敗」ではなく「学びの機会」「想定外だった」だけかもしれませんよ。

update 2025/4/7
Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.命はお金で買えないよっていうのに、なんで私達人間はペットを買ったり肉を何の抵抗もなく食べるのでしょう。殺して食べちゃうんだから、殺人よりタチが悪く無いですか。

A.「命はお金で買えないよ」という言葉が、どんなシチュエーションでどこの誰が言い始めたことかはわかりませんが、ペットを買ったり肉を食べるのがタチが悪いかどうかを考えてみたいと思います。

基本的には、ほとんどの人は、人間と人間以外の命を分けて考えているとウ・サギは感じています。そして、人間の命とそれ以外の命の何が違うかというと、「自我」がある部分だと思っています。
自我がある存在~もう少し詳しく定義すれば、周囲との継続的な関係をつくり、未来を(感覚的にであれ)予想し、意思がある存在~にとっては、唐突に理不尽に命を奪われるかもしれない世界や、売買される世界で生きるのは、かなり酷なことだし、倫理に反することだとウ・サギは感じます。安心安全、自分の意思が保障されない世界では、自我を健康に保つことがおそらく難しいので……。

ペットや家畜が(そういった次元での)自我のない存在でないとは断定できませんが、そうじゃないと想定すると、売買も屠殺も倫理に反するとまではいかないのかなと思います。未来を不安に感じたり、何か起こったときに「どうして?」と傷つくわけじゃないのなら、死ぬこと自体は生命にとっては自然なことだからです。

動物たちの自我がどういうものかについては、今のところ理解する術がない(想像の域を出ない)ため、動物を人間と同等に扱う扱わないの正解はないし、売買や屠殺に抵抗を感じるのも感じないのも、そもそもそういったことを考えるのも考えないのも、それぞれの自由なのかなあと考えています。

ちなみに、ウ・サギはニワトリを自分でしめて捌いて料理して食べた経験がありますが、わりと抵抗なく美味しくいただきました。(でも、抵抗を感じる人も少なくないだろうな、とは思いました)
ペットを売買しない、ビーガンとして生きる、といった選択肢もありますが、ウ・サギはそれらを我慢すると差し障りがあるレベルで日常の潤いが減るので、ペットは最期まで責任もって面倒を見る、お肉はなるべく無駄なく美味しくいただく、とだけは自分に誓っています。
あまり回答になっていなかったらすみません。

update 2025/4/7
Q.苦労した分だけ偉いって風潮。それもそうだけどそれが全てではなくない?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.苦労した分だけ偉いって風潮。それもそうだけどそれが全てではなくない?

A.ウ・サギも同意です。
苦労した分だけ偉いというのは、「自分がした苦労を無意味だと思いたくない…!」と思う人が自己肯定のために使っている考えだとウ・サギは感じています。
そもそも、苦労といってもいろんな質の苦労がありますし、比べて偉いとかではなく、お互いの経験を尊重できる自分でありたいです。(と言いつつ、自分の苦しみを無意味だと思いたくなくて、死にたい自分と付き合った分だけ偉いと思っている節のあるウ・サギなのでした)

update 2025/4/7
Q.承認欲求に支配されています。どうして私は、こんなにも承認に飢えているのでしょうか。
この記事の担当 やみーペン

Q.承認欲求に支配されています。周りからどう見られるのか、肯定的な評価を得られるか、そんなことばっかりが気になります。どうして私は、こんなにも承認に飢えているのでしょうか。

A.否定が多い環境にいると承認欲求が高くなる気がやみーペンはしてるよ!承認を受けれる機会が多かったら特別なことじゃないからあんまり求めなくてすむ気がするんだよね。

update 2025/4/5
Q.一緒に帰ろという誘いを「技術で終わってないのあるから」と断った人が、他の人と帰っていた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.一緒に帰ろと言ったとき、その人は「技術でまだ終わってないのあるから帰れない」と言われて、自分は他の人と帰ろうとしたとき玄関から出てきたのは、誘ったけど断られた人でそのひとは他の人と帰っていました。友達ってなんなんでしょうか。

A.カエルは基本的に、誘うことも自由、断ることも自由であり、その自由が発揮できるのが対等な人間関係だと理解しています。友達が何なのかわかりませんが、自由意思を尊重しあうという基本に基づくと、断ることのできる関係は悪い関係ではないかと思います。
ただ、「なんなの?」とモヤモヤが残ることも理解できるので、次なる自由意思としては「この前、技術で帰れないって言ってたけど、他の人と帰ったよね。どうして?」と尋ねる自由はありますね。言わない自由もあるし、もうその人とは距離を置くという自由もあなたにはあります。
いずれにせよ、考える機会になったことは確かだと感じました。

update 2025/3/29
Q.後悔するとわかっているのにどうしてやっちゃうんだろう?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.後悔するとわかっているのにどうしてやっちゃうんだろう?気分が悪くなるまでお菓子を食べたり、毛を抜いたり、何かをサボったり、そのあとには必ず後悔に襲われてつらい。つらくなるのにどうしてそんなことしちゃうんだろう。

A.それよりももっとつらいことが深いところにあるからだとカエルは思います。おそらく、自分を守ろうとしているからです。
そのつらさは、自分では気づいていないかもしれないし、ひょっとしたら忘れてしまったかもしれないし、何が嫌なのかもよくわからないことかもしれません。
後悔するとわかってるのにやっちゃうことがあるのは、それなりの理由があるからです。カエルとしては隠れたつらさについて一緒に解明する機会を持ちたいと思いました。

update 2025/3/19
Q.褒めてほしい、応援してほしいと思うのは、自立できてないからでしょうか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大学受験を乗り越えたこと、引っ越しの手続きなどを自分で調べて1人でしたこと、過去のつらい記憶と闘ったことを、褒めてほしいです。できればこれからを応援してほしいです。誰かにそう思うのは、自立できていないからでしょうか。

A.「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるのですが、ウ・サギもそう思っていて、自立=頼らないではなく「頼り上手になること」だと思っています。
だから、褒めてほしいなら、褒めてくれそう&あなたを褒めることを負担に感じない相手に、褒めてほしい!と言えるようになるのが自立だと思います。(相手のチョイスと伝え方がどんどん洗練されていくとなお良し、というイメージですが、褒めるだけでいいならわりと誰相手でもいけそうです)

大学受験、引っ越しの手続き、お疲れ様でした。過去のつらい記憶との闘いも、ウ・サギも自分なりに経験しているので、同志として健闘をたたえたいです。
生きづLABOで、お疲れ様パーティを開きたい気持ちになりました。

update 2025/3/19
Q.自分の延長線上に加害があると考えても、加害に至る理由の解像度が粗いと的外れな自己否定に終わってしまうのではないか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.何かの加害者を自分とは縁遠い人物とするのではなく、自分の生活の延長線上に加害があると考えられると、意図せず行なっている加害に気づく事ができるのではと思います。ただ、加害に至る理由の解像度が粗いと的外れな自己否定で終わってしまうと思いました。

A.(注:Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手ですの記事を読んでの質問とのことです)
そうなのですよね・・・想像し理解することが大切というのはわかっても、解像度が一定以上にならないとズレてしまうので、じゃあどうすれば解像度は上げられるのか?というのは延々悩んでいるところです。
色々な人に出会うこと、話を聞くこと、そして自分の感じていることを話すこと。多様なものに触れるのと、率直に語る場をもつのがポイントだとウ・サギは感じているのですが、今の社会は多様性の乏しいコミュニティで、仮面をかぶって話す機会の方が多い気がするので、自己理解も他者理解も難しいのかなと感じています。
悩ましいです。

update 2025/3/19
Q.この社会の前提って理不尽じゃないですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.この社会の前提って理不尽じゃないですか?

A.なるほど、確かに理不尽だと思います。ただ、カエルのニュアンスとしては今の日本社会においては、社会的正義が機能不全を起こしていると考えています。
つまり、社会の前提が理不尽というよりも、人間が野生の動物界の前提(弱肉強食であり、弱い者は淘汰されていく)ではなく、お互いに権利というものを認め、自由と平等を大事にしようと決めたのにもかかわらず、そのための前提が不十分なのだろうと思っています。
いろいろな事情がある人たちがいて、お互いに事情を理解しあうことは実はとても難しく、「差別はいけない」というようなキャンペーン的なやり方ではお互いに理解しあうことはできないとカエルは考えています。じゃあ、何が必要かというと…とても地味ですがいろいろな事情について、お互いの事情について出し合い、話し合い、歩み寄るプロセスしかないのかなと思っています。ただ、そうした地道な歩み寄りは力の強いものが自分の持っている力をわきまえて、聞く耳を持つ必要があります。なぜなら、力関係があると、弱い側の声や事情はないものになることが多いからです。そして、理不尽色が強くなっていきます。
だから、理不尽のリアルが過不足なく正しく理解される機会がとても大切だとカエルは考えます。みんなで事例を出し合えたらと思います。

update 2025/3/19