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タグ学校・勉強
Q.褒めてほしい、応援してほしいと思うのは、自立できてないからでしょうか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.大学受験を乗り越えたこと、引っ越しの手続きなどを自分で調べて1人でしたこと、過去のつらい記憶と闘ったことを、褒めてほしいです。できればこれからを応援してほしいです。誰かにそう思うのは、自立できていないからでしょうか。

A.「自立とは依存先を増やすこと」という言葉があるのですが、ウ・サギもそう思っていて、自立=頼らないではなく「頼り上手になること」だと思っています。
だから、褒めてほしいなら、褒めてくれそう&あなたを褒めることを負担に感じない相手に、褒めてほしい!と言えるようになるのが自立だと思います。(相手のチョイスと伝え方がどんどん洗練されていくとなお良し、というイメージですが、褒めるだけでいいならわりと誰相手でもいけそうです)

大学受験、引っ越しの手続き、お疲れ様でした。過去のつらい記憶との闘いも、ウ・サギも自分なりに経験しているので、同志として健闘をたたえたいです。
生きづLABOで、お疲れ様パーティを開きたい気持ちになりました。

update 2025/3/19
Q.親が怖いし学校も休めない。スマホでの相談もできないし身近に頼れる大人もいない。どうすればいい?
この記事の担当 やみーペン

Q.親が怖いです。学校を休みたいと言っても体調が悪くないと休めないと言ってきます。スマホはラインやメール、電話が使えないから相談もできません。身近に頼れる大人もいないです。学校も辛い中でどうすればいいですか。

A.親怖いのやだね…。学校嫌な理由とか分かって欲しいなぁ!とやみーペンは思った。身近に頼れる大人とのマッチングサービス始まらないかなぁ??

update 2025/3/16
Q.先生に肩をポンポンされたり頭を撫でられるのが嫌。嫌だとは言いたくないが自覚してほしい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.家に(毎日ではないが)来て下さる先生がいて、その先生が私の肩を軽くポンポンしたり、頭を撫でてきます。(肩をポンポンは)痛く感じるのと、元々嫌なのと両方です。頭撫でてくる方は、嫌なだけです。嫌な事をその先生には言いたくないですが、自覚して欲しいと思っています。後、他にも私が嫌だと感じる言葉を言ったりしています。(今は少なくなりましたが)その先生のせいで私は前に死にたいと思った事もありました。その先生の事をウ・サギさんはどういう風に思いますか。私は酷いな。と思います。お返事、お願いします。

A.ウ・サギは昔から触られるのが大嫌いなので、それは酷い…!と共感し、先生にムカムカしています。
という個人的な気持ちもありますし、「同意なく触る」のは「身体のバウンダリーを侵す」行為なので、先生にはそれを自覚して改善してほしいし、先生という立場でバウンダリーを守れないのはとても困るよ、と思いました。厳しい言い方をすると、それは教育者としてアウトです、というレベルのことだとウ・サギは考えています。
バウンダリーというのは、自分と他人の境界線のことです。自分のこと(気持ち、体、持ち物など)をどう扱うかは自分で決める権利があり、いいですか?と聞かずにそれを侵略(勝手に触る、気持ちを決めつける、持ち物をとる…)するのは、相手を傷つけちゃう関わりになるから気をつけたいし、逆に侵略された場合はNOを言っていい、といった話がよくされます。
とくに、子ども(弱い立場)から大人(強い立場)へはNOが言いづらいので、大人側はバウンダリーによく注意する必要があるとウ・サギは考えています。

伝えるかはあなたの自由ですが、バウンダリーについてちゃんと知っている他の先生に伝えれば、指導・改善の入る事案だとは思います。
境界に入る行為は慎重に同意をとる、入られたと感じたらNOを言っていい。これは学校で一番に教えておきたいことだとさえ思うのですが・・・そうはなってない現状を大人を代表して謝っておきます。

update 2025/3/13
Q.何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.学校に行くことや、勉強をすること、進路について考えることなど、何かを頑張ろうとする度に、死にたい気持ちが顔を出します。頑張るほど希死念慮を抱える自分を引きずり続けている感覚があり、つらいです。でも必要なことなのでやめられないです。

A.頑張ろうとすると死にたくなる、というのは、「死にたい」があなたの心身のSOSなのだろうとウ・サギは読み取りました。頑張りたくない、これ以上頑張れない、そんな声が聞こえてくるようにも感じました。
今いる環境であなたが生きのびるにはそれらを頑張るのが「必要なこと」であるのは理解した上で、ただ単純に人間が生きると考えたときに、学校に行くのも勉強も、頑張りも本当にそこまで必要なのか?と言うと、ウ・サギは違うと考えています。今の世の中では、誰もが(多くの人が)過剰に自分をすり減らしているような気がしてならないので、生きていくのに大事なものは何なのか、全員で一度立ち止まって整理しませんか…?と世に提案したいです。(でも、もう立ち止まる余裕もないのか……?)
頑張ろうとする自分を優先し、死にたい自分をいじめると、ウ・サギの経験的にはどんどんメンタルが大変になりました。頑張るのはやめられないかもしれませんが、生きづLABOが少しでも死にたい気持ちの憩いの場になればと思います。

update 2025/3/10
Q.テストがあった日、親に「どうだった」と聞かれるが、なんという答えを望んでいるのか
この記事の担当 うさえなが

Q.テストがあった日、帰ると親に「どうだった」と聞かれる。自信ないと言うとえぇと云われ、嘘ついて出来たよ!と答えると、ひどいテストが返ってきたとき「できたって言ったじゃん」と云われる。なんという答えを親は望んでいるのか

A.え~困ったねえ・・・
なんにも話したくなくなるよ~

*ウ・サギから補足*
日々カエルさんも嘆いていますが、人間界は学校の成績というものに価値が置かれすぎていて、困りますね……。ウ・サギは、あなたの親は成績に過敏になりすぎている、心を支配されている状態とでも言いたい気持ちになりました。
過敏になりすぎている、心を支配されている状態の人は、そのトピック(今回ならテスト)について妥当なやり取りは難しいとウ・サギは考えます。なぜなら、その人が見ているのは目の前の人間ではなく、自分の中の理想や不安だからです。
だからもうなるべくテストの会話を避けるしかない……?成績に価値が置かれすぎる状態、そんな世の風潮を、どうにかできたらいいのですが…むむむ…

update 2025/3/10
Q.人と比べたら苦しくなるだけと分かっても、比べて受験に不安になり現実逃避で勉強できなくなる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.人と比べたら苦しくなるだけって分かってるんだけど、自分の現状を見て「他の皆はもっとできるのに、、、」って思って、受験に落ちるかもって不安でいっぱいで、現実逃避で勉強できなくてまた死にたくなります。

A.比べることはどちらかというと自然なことですし、そのものはよく悪くもないと思うのですよ。ただ、比べたときの評価が杓子定規というのか一方的なことが多くて、カエルは困ってしまいます。
特に勉強ネタについては、比べた後に「成績がいい方がいい」「勉強ができないといけない」などという、価値基準があまりに狭すぎて、強すぎて、その狭さと強さが、あなたの不安や苦しさ、死にたい気持ちにつながっているとカエルは思うのです。
勉強も成績も、それぞれの力量が違うので、並べてみるとできる人もできない人もいて自然なことです。そして、勉強ができるできないは人間の能力の一つの側面であり、それがすべてでもないし、そんなに大きなことではないはずなのですが、世の中的な注目度や重要度が高いことが、子どもたちを苦しめているのでしょう。
国連子どもの権利委員会から過度な競争を子どもにやられちゃだめだよと勧告されていることもありますし、子どもの皆さんにはのびのびといろいろな価値観を吸収して過ごしてもらいたいカエルです。

update 2025/3/5
Q.期末テストのことで喧嘩して「もう成績の話はするな」と言われ全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.この前期末の国語のテストで1問だけミスしたんだけど、そしたら「あんたは本読んでる割に頭悪い」とか言われんの!そんでイラついて言い返したら喧嘩になって、「もう成績の話はするな」って言われたから全国テストの結果出さなかったら怒られた。なんなん?

A.会話がかみ合ってませんね…
カエル的には人間界が成績の話題にいろいろナーバスなのは気になっています。少なくとも、子どもの成績については子どもの問題なので、依頼があるまでは介入すべきではないというのが基本的な意見です。よくても悪くてもどちらでもよく、子ども自身がどう思うのか支持するだけでいいと思うのです。
だから、あなたが頑張ったと思えばそれでいいし、悔しいと思えばそれでもいいし、成績の話をしたいのなら、あれこれ言わずに受け止めるのが、わきまえのある大人のふるまいだとカエルは思います。難しくないはずなのに、難しい…現実があります。子どもはそんな大人に怒ってもいいと思います!

update 2025/3/5
Q.学校の授業で先生に当てられるのが怖くて、学校に行けません。何かいい方法はありますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校の授業で先生に当てられるのが怖くて、学校に行けません。何かいい方法はありますか。

A.先生に「当てられるのが怖いです」と言うのは難しそうですよね。カエルも音楽の時間にみんなの前で歌を歌うのが嫌でしょうがなかったので、そういうのをパスする仕組みがあってもいいと思いました。怖くて学校に行けないのなら本末転倒だとカエルは思うので、悪くない提案だと思うのです。
人にはわかりにくい苦手や恐怖があるのに、学校ってそういうのに無頓着すぎると思います。子どものころに無用な恐怖や不安体験するのって、一つもよいことがなさそうです。
言うのが難しければ、手紙に書いてもいいし、誰かに代わりにいってもらってもいいし、先生に伝えることはできないでしょうか。この回答を先生に見せてもらってもいいかも?

update 2025/3/2
Q.授業中寝ちゃいけないというけど、学ぶ権利をどう使うかは自由だから、邪魔しなければ何をしても良いと私は思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.授業中寝ちゃいけないとかいわれるけれど、学ぶ権利をどう使うかは子どもの自由だから、周りの学びたい子供たちの邪魔をしなければ何をしていても良い。それが私の意見なんですけど、どう思いますか。

A.その通りだと思います。授業中に寝ちゃいけないということもカエルとしては必ずしもそうではないと思えます。どうしても寝ちゃうときや、寝なければならないときもあると思いし、寝るか授業を受けるかは周囲の権利を著しく害さない限り、選択してもよいと思います。
ただ、授業をやる教員の立場としては、寝ている人を見ながら授業をするのはなかなかしんどいことではあるので、授業を受けないのならどこかに行って寝てほしいという気持ちはあります。(カエルも経験があるので、ちょっとそんな事情も理解してもらえるとありがたいです)

update 2025/3/1
Q.先生が「これを見て、君たちにこういう思いを持ってほしい」と言うけど、何を学ぶかは私たちの自由じゃないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.先生が、「これから動画を見せるけど、君たちにこういう思いを持ってほしいんだ」とか言います。でも私たちがそれを見て何を感じて何を学ぶか、学ぶか学ばないかって私たちの自由じゃないんですか。

A.ウ・サギも、120%それに同意です。今首がもげるほど頷いています。
何を感じ学ぶかは、その人の自由だし、押しつけられた学びは本当の意味で学びではなく、調教や洗脳に近いものだと思っています。
ちなみに、ウ・サギはおおむね学校というものは好きじゃないですが、「こういうのは正しくないな」「ちょっと違うな」という例をいっぱい見れた部分は学びになったと感じています。

update 2025/3/1