生きづらい人と関わっていると、生きづらさに家族のことが影響している場合がとても多いとカエルは感じています。
なので今回は、家族とは何か?を整理して、家族に代わるものを考えてみました。
・「家族」を考える前に「つながり」について考えてみよう
人は、一人では生きられません。社会の中でいろいろな人や組織、物事とつながって生きています。そのつながりの量と質が、その人の生活と人生に大きな影響を与えます。
人が穏やかに生活するために必要な「つながり」を整理すると、以下のようになります。
・右半分の「生活を支える機能」に注目
この図の右側に注目してください。経済基盤(お金)と生活基盤(衣食住)と生活支援(日々の心身のケア)という「くらし」に関係するつながりは「家族頼み、家族ありき」なのが、日本社会の特徴と言えます。
具体的には、法律や制度で言うと民法877条には扶養義務があり、生活保護を受ける際には扶養照会があったりしますし、価値観の面では「家族だから」「家族なのに」「家族らしく」などという呪縛がたくさんあります。
この構造では、家族に経済力や生活力、ケア機能がある程度整っていれば子どもが健やかに育ったり、安心して生活したり、支え合うことができます。でも反対に、経済力や生活力、ケアの機能がなければ、家族の中でも弱い立場(子どもや女性など)に搾取やしわ寄せがいき、人権侵害が起こってしまうという、致命的な悲劇を生み出してしまいます。
これは言い換えると「家族ガチャ」で人生が大きく決まってしまう理不尽な仕組みが前提としてあることを意味します。
・福祉や支援の役割
だから、今考えるべきは「家族頼み、家族ありき」の右半分をいかにして家族から切り離し、個人に保障するかです。経済的な基盤を保障する最後の砦の生活保護が「世帯」対象になっているため、本当の意味で必要な人に届かない現実がたくさんあります。
それ以外の経済的な保障は期限や条件があったりして、不十分です。そして、衣食住の保障も生活保護と重なり、他の選択肢がありません。また、日常生活における心身のケアは障がいの認定を受けられれば、一部の人が使うこともできますが、うまくつながる人はほんの一部で、対象外となる人、制度にめぐり合わない人もたくさんいます。
お金の心配をせず、衣食住が保障され、不安や困ったことを一緒に考え、必要あるときに付き添ってくれる人がパッケージになって必要な人に届けられたらどれだけの人が救われるのかと常々思います。
・自立援助ホームを拡大してみたら
ただ、今の制度でもこうしたことを想定してサポートしている事業はいくつかあります。
例えば児童福祉法の事業である「自立援助ホーム」は生活するための居住スペース、食事の提供、仕事をするためのいろいろなサポート、相談や日常生活における必要なケアがセットで提供されます。利用料は月3万円が基本ですが、学生や病気や障がいで稼ぐことが難しい場合は5万円ほどの生活費が支給されるので、利用料と最低限生活に必要な経費はまかなうことができます。
しかし、年齢の期限があるため一定の年齢に達すると支えがなくなってしまいます。
実際には、自立援助ホームで暮らす若者たちはまさに日本家族が抱える致命的な欠陥構造によってたくさんのダメージを受けたり、成長を疎外されているため、20歳になったらすぐに一人で生きていけるような状況になるわけではありません。また、20歳を過ぎてから自立が難しいことに気付いたり、ようやく家から離れようと思った人は自立援助ホームを使えません。
だったら、自立援助ホームの対象者を今の原則15歳から20歳までの家庭のサポートが難しい若者たちから、子ども時代に家庭からのサポートが受けられなかったことによって自立することが難しい人(年齢制限なし)に変えるだけで、かなりの課題が解決するのではないかと考えています。