PAGE
TOP
タグ哲学
Q.家の宗教で悩んでいます。宗教についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.私は家の宗教で悩んでいて、本を読んだり、歴史についてネットなとで調べたりして考えています。宗教の事件、宗教2世など騒がれていましたね
宗教についてどう考えますか?

A.ウ・サギは何の信仰ももっていませんが、宗教はよりよく・安定して生きるための「一つの手段」としては興味深いと思っています。
人間は、自分だけの力で自我を健康に保つのは難しいので、自分の考えを率直に話して公平なフィードバックをくれる相手や、自分なりの「どう生きていくか」の答えみたいなものは、あった方が便利だと思っていて。ウ・サギは前者は周りの人や、この人だったらこう言うだろうなという想定で賄って、後者は一応自分オリジナルの答えみたいなものはありますが、そこに神様や宗教を据えるのも全然ありだと思っています。
(こういった考えや発想自体が、失礼だったらごめんなさい……)

ただ、それが組織になった瞬間に(これは宗教に限った話ではないですが)、権力のある側が、権力もたないもの・迷えるものを支配したり搾取したりは、どうしても起こってしまいがちだと思うので・・・その部分で印象悪く感じてしまうときは、どうしてもあります。

それが宗教かそうでないかに関わらず、自分は何を信じるのか、相手は何を信じているのか、お互いにオープンに話して尊重し合える世の中で暮らしたいです。

update 2024/5/3
Q.29歳、実家暮らしの無職です。「実家暮らしニートは甘え」などの言葉を見て傷つくのは甘えですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.29歳、実家暮らしの無職です。なるべく見ないようにはしているのですが、SNSなどで「実家暮らしニートは甘え」「子供部屋おじさん(おばさん)」というような心に刺さる言葉が目に入ってくることがあります。これらの言葉に傷つくのも、甘えですか?

A.「甘えですか?」との最後の問いかけに、おそらく周囲から「あなたは甘えている」と言われることが多いのかなと推測しています。

「甘え」という言葉は、他の誰かに向かって使う方が多いように思います。どのような時に使うのか考えてみましょう。

おそらく、言っている人の期待や常識の枠では、相手のことがうまく理解できないときに「それは甘えだ」という具合に使いそうな気がします。
本当は、「私はあなたのことがわからない」「どうしてそうなるのか、自分の想像や常識では理解が難しいから、教えてほしい」とアサーティブに伝えてしかるべきだとカエルは思うのですが、力関係で押し付けてきたり、多数派の意見だったりすると、理解してもらえない側が一方的に悪いように扱われることはあるように思います。

自分が理解できないことを「教えてほしい」と言わずに、何だか相手が悪いかのように思わせる文化はカエル的にお行儀のよくないと思うのです(しばしば、強い者が立場の弱い者に使うことが多いので、特にお行儀が悪いです)。

何とかしようと思っていてもできない場合に「甘え」はないし、どんなことであっても何かに傷つくことも「甘え」ではないと、カエルは思っています。
わかったような言葉で丸め込むことは私たちの成長や創造を妨げます。

誰かが困っているときに「甘え」などとジャッジするのではなく、何が起こっているのかを一緒に研究できる世の中をつくりたいところです。

update 2024/5/18
Q.自分のためにも他人のためにもならない無駄な日々を過ごしている自分が嫌です。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.自分のためにも他人のためにもならない無駄な日々を過ごしている自分が嫌です。

A.カエルは何かのためという感覚がよくわかりませんが、人間はしばしば何かのために…という、目的をもった行動や生き方をする傾向にあるようです。

しかし、ちょっと考え方を変えてみると、何にもなっていないと自分は思っていても、周囲から見ると何かのためになっていることもありますし、その時は自分のためになっていないことでも、後から自分のためになっていることもあります。

今、こうして無駄な日々を過ごしていることにはおそらく意味があり、それが自分のためにも、他人のためにもなることがあるとカエルは思うのです。
何もかもはつながっているし、巡り巡ってこの世の中は成り立っているのだといつも感じています。

update 2024/6/17