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Q.学校に行きたくない。でも学校に行かない選択肢はない。
この記事の担当 ウ・サギ

A.学校に行きたくないです。色んなことにイライラするし、嫌になる。そして不安になる。自分でもどうしていいかわからない。でも学校に行かない選択肢はない。だって親に言わないといけないから。それは絶対にできない。なんだかどこにいても落ち着かないです。

Q.ストレスいっぱいなのが伝わってきます。
「希望の国のエクソダス」という本があるのですが、その本では子どもたちが全国各地で集団不登校を起こします。子どもたちにとっては行かない選択の方が今どきでかっこいいものになって、大人たちもあまりにみんなが行かないので、怒るというアプローチも力をもたなくなってしまいます。
読んだのは十年以上前なのでちょっと間違ってる部分があるかもしれませんが…。
でも、そんな風になれたらどんなにいいだろう、と切実に思いました。生きづLABOのみんなとひそかに作戦を練っておきます。

update 2024/12/16
Q.研究員ブログの更新はいつ?終わっちゃったの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.研究員ブログの更新はいつ?終わっちゃったの?

A.はっ、、!更新、止まってますね。
終わっちゃってはいないです。
頑張ります(小声)
でもこのQ&Aシリーズは、質問してくれる方たちの問いによって考えが生まれていくので、ささやかな共同研究にも感じています。

update 2024/12/16
Q.習い事も勉強も人間関係も恋愛も何もうまくいきません。少しでも楽しく人生を送る方法はありますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.習い事も勉強も人間関係も恋愛も何もうまくいきません。いろいろと辛いです。死んでしまいたいのに生きてしまいます。人生は全てはうまくいかないとは分かっています。だから少しでも楽しく人生を送る方法はありますか。

A.うまくいくことと、楽しいと感じることは別問題なのかなと、カエルは思うのです。
うまくいくかいかないかは、自分の外に決められた到達目標とか、基準がある事柄なのかと思います。その結果は結果でそれまでのこととして、それとは別に、自分の中で感じることは日々あるように思います。
自分が楽しいと思うこと、ちょっとした心地よさを感じること、好きなことなど自分の心身が求めることに耳を傾けて、それに応えることが楽しさのもとなのかなとカエルは思います。質問からあなたの中には楽しさを感じたい思いがくすぶっていて、その気持ちを無視できなくなっている様子が感じられました。だからこそ、苦しいのかなと思います。
カエルは雨が降ってると嬉しい、今日はいつもよりちょっとうまくケロケロ言えたかも、ご飯が美味しい…そんなささやかな積み重ねがわりと好きです。ただ、そんなことがわからなくなることもあります。どこか力が抜けるとよいかと思います。

update 2024/12/16
Q.生きることも死ぬことも許されないこの社会は私にどうしろというのか
この記事の担当 うさえなが

Q.理不尽ばかり。矛盾まみれ。いつだって弱い立場のものが虐げられる。当たり前のように存在する「普通」に縛られ続ける。生きることも死ぬことも許されないこの社会は、私にどうしろというのだろうか。

A.んーと、えーと、ごめん、わからない!
許されない・・・は誰が言ってたの?

*ウ・サギから補足*
なかなか過酷な環境にお住まいのように感じました。
世の中のそういった風潮や現実はウ・サギもひしひしと感じつつ、中にはそうじゃない人や場所も多少はあるので、そういった小さい休憩所がある人だけが辛うじて呼吸をしているのかも…というイメージがふと浮かびました。
「こんな社会じゃ生きていけない!」と叫ぶ声が積み重なることが、社会を変えていくためには必要だと思うので、この「どうしろというのだろうか」という言葉に生きづLABOとしては感謝したい気持ちです。
でも本当に、どうしろというのだろうか?と言う感想が相応しいくらいに、ああしろこうしろと見えない縛りが多い社会だと感じます。

update 2024/12/12
Q.匿名相談で病院に行っていると話すと「先生に相談してみて」と言われる
この記事の担当 生きかたカエル

Q.匿名相談で病院に行っていると話すと「先生に相談してみて」と言われ、通っていないと言うと「病院へ行ってみて」で終わってしまいます。病院では話せない不安や悩みについて話してみたかっただけなのにな、と少し悲しくなります。やっぱり迷惑なのかな。

A.ごめんなさい。迷惑なわけではないのですよ。
相談員が「病院に行きましょう」とか「先生に相談して」と言うのは、「こんにちは」「元気ですか」ぐらい機械的な決まり文句として使っていることの方が多いので、誤解をさせてしまっていますね。カエルが相談員に成り代わり、謝りたい気持ちになったので、思わず謝ってしまいました。

匿名の相談は相談対応を正当に評価してもらう機会が少ないこともあり、どこか機械的になってしまったり、あまり深く考えずに型どおりに声掛けをしてしまうことがあります。(相談員みんながそうではないのですが、そうなりがちなところはあると思います)
こうして、率直な気持ちを伝えてもらえるのはとても貴重なことだと思いました。

update 2024/12/12
Q.「みんな頑張ってるんだからあなたも頑張らなくちゃ」という言葉は残酷だと思う
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「みんな頑張ってるんだから、あなたも頑張らなくちゃ。」よく聞いてきた言葉なのですが、頑張りたい気持ちは人一倍あるのにうまくいかない、成功体験がない人にとっては結構残酷な言葉だなと思っています。他人の目に頑張ってるように映らない限り無効なんだ

A.ウ・サギがそう言われることを想像すると、「うっ」と血を吐いて倒れたい気持ちになりました。
「みんな○○だから」というのは残酷だし、あまり筋の通ってない話だとウ・サギは思っていて、みんなというのが誰の何を指しているか(本当にみんなのことを知っている人はいないですよね)も不透明ですし、その人が頑張っているか頑張っていないかも周りから判断できるものでなく、そもそも頑張るも頑張らないもその人の自由のはずです。(でも元気がないとそうも思えず、みんなというものの圧に、押しつぶされそうになる……)

「みんな頑張ってるかもしれないけど、本当は頑張らなくてもいい。でも、あなたが何かを頑張りたいなら手伝うよ」と、言ってくれる存在がいたらいいのかなあ…なんてことを思いました。

update 2024/12/12
Q.趣味がない。自分が何を望むのか、しんどいのか、それもよくわからない。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.趣味がありません。やってみたいこともありません。自分が何を望むのかよくわかりません。逆に自分が今どこがどうしんどいのか、病院行って薬飲んで何か変わったのか、それもよくわかりません。子供の頃から現在までずっとぼんやりだるいことしかわかりません

A.カエルは趣味はなくてもいいと思うし、やってみたいことがなくてもいいと思っています。でも、あなたの悩みはおそらく、趣味ややってみたいこと、自分の望みを知りたいということなのでしょう。
子どもの頃から今までぼんやりだるいことが続いているようですが、そのぼんやりとだるい背景にはたくさんの我慢や麻痺、逃避や防衛があるのかもしれないと想像しました。やりたいことや趣味は安全の感覚や安心の上に成り立つように思います。土台を見つめ直してみることも一助になるかもしれません。
そして、自分のことは一人で考えていてもわからなくて、誰かと話したり関わったりすることで、比較をしたり、フィードバックをもらったりして理解が深まります。できるだけストレスにならない他者と関わる機会を持つのはどうでしょうか。こうして、質問を出してみることもある種の他者との対話なので、これがすでに第一歩ではないかと思いましたよ。

update 2024/12/12
Q.ネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮したようで息苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.スマホが普及して良いこともいっぱいあったけど、インターネットの世界まで社会の嫌な部分を凝縮してそっくりそのまま移植された空間のようになってしまって息苦しいです。以前までのネットが全て良かったわけでは決して無いけど、まだ逃げ場があった気がする

A.確かに、どんなコンテンツも黎明期の方がちょっと居心地がいい気はします。
最初は興味の強い人が入ってくる分、ある種のマナー(悪く言えば身内感かもですが)はあり、全ての人に開かれると、やや無法地帯になる傾向はあるのかもしれません。といってもきっと本当は良心的な人の方が多くて、良心的な人は声が小さく、周りが見えない人の方が声が大きいだけだとウ・サギは思っています。
素敵な部分だけを凝縮、とまではいかなくても逃げ場のあるネット空間、どこかに作れないですかね。。

update 2024/12/12
Q.発達障害かどうかって大事?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて余計に生きづらい
この記事の担当 生きかたカエル

Q.発達障害かどうかってそんなに大事ですか?発達障害という言葉が濫用(?)されすぎていて、余計に生きづらく感じています。

A.カエルも発達障がいかどうかということそのものはそんなに大事じゃないと思っています。発達障がいというひとくくりにするのはおかしいと思うからです。ただ、何かしらの説明がないと理解してもらえない人たちや誤解されてしまうような人たちがいることは確かだと思います。そのうちの代表的なものが発達障がいだと理解しています。
だから、発達障がいと説明したらこれまでよりわかってもらえるとか、誤解されなくなるのなら使えばいいと思いますし、別にそうした説明が役に立たないと思ったら使わなくてもいいと思います。そもそも、発達障がいかそうじゃないかというより、個人はそれぞれ違っていて、それなりの得意不得意もあり、感じることも考えることも違うし、その人なりの道理や背景や考えがあることを多くの人たちが理解するような世の中になれば、いちいち診断をしなくてもいいように思います。
でも、ちょっと人と違っているだけであれこれ言われたり、普通は~~とか当たり前には…などと、標準化を求められるようなクセはなかなかすぐには変わらないのかなと思うところもあり、だからこそ、不本意ではあるけれど、ある種の特徴を持った人たちをグループにして名前を付けて、わかりやすくし、社会サポートが届くようにしようとすることは必要な側面があるとは思います。
ただ、あなたのようにモヤモヤする気持ちもわかあるので、こうして議論できる機会があるのがいいですね。

update 2024/12/12
Q.ネット依存の母親がネット情報を鵜呑みに服薬や通院を徹底的に反対する
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ネット依存の母親が「医者は金儲けの為に患者を実際より重い病状と診断し、不要な薬を大量に売りつけている」等ネットに出回る不確かな情報を鵜呑みにし、薬を飲んだり病院に行ったりするのを徹底的に反対します。

A.どんな情報を信じるも個人の自由ですが、それを押しつけてくるのは(しかもそこまで激しく…)困ったものだと思います。
「自分だけは真実を知っている」「それを広めたい」といった感じ方は、ネット依存でありがちな気はするのですが、どういうメカニズムなのでしょうね……。自信がなく、自分の存在意義を感じられないとかはありそうですが、何だろうと押しつけは困りますね…。
よほどの反社会的なものを除き、人間には誰かの行動を制限する権利はないはずだ・・・!とウ・サギは思うのですが、制限を許すかのような文化が多くて悲しくなります。話がズレてすみません。

update 2024/12/12