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ウ・サギのナラティブ講座② 毒親とナラティブ

この記事の担当 ウ・サギ

こんにちは。お久しぶりです。ウ・サギです。
ナラティブ講座の2回目をやっていきます。といっても、自分でさえ前回の内容を忘れているのですが…(苦笑)

前回→①ナラティブとは

簡単に復習をしておくと、ウ・サギの理論におけるナラティブは、「その人の感じていること」というのが本質で、体にも、その人の慣れ親しんだ生活環境や文化も含まれます。
※このナラティブ理論はウ・サギオリジナルなので、他の理論や本などに出てくるものとは定義が少し違うかもしれません
そして、否定されたり禁止されたりすると傷つくものほど、自分にとって大事なナラティブなんだ、という話を前回はしました。

では、例えば大事なナラティブってなんでしょう?

よくあるのは、何が好きか(何に自分にとっての価値があるか)、何を考えて行動したか、あたりかもしれません。
これをないがしろにされたら、どう思うでしょうか?

自分が好きなものを、「恥ずかしい」「そんなもの価値がない」と言われる。やりたいことをやめさせられる。比べて否定される。
自分なりに考えて行動したことを、その考えも聞いてもらえずに否定される。または逆に「偉いね」などと、考えを聞かずに肯定(評価)されることも、時にはダメージになるかもしれません。

自分の親をいわゆる「毒親」だと感じる人は、親のナラティブ(何に価値を置くか、子どもの考えや行動をどう解釈するかなど)に、自分のナラティブを押さえつけられてきたのではないでしょうか。

そして、今の社会は巨大な「毒親」と呼んでもいいと思います。

本人なりの考えや事情が本当はあるものを、「甘え」「努力不足」と意味づける。
何を求めて生きるのか、何に価値を感じるかは人それぞれなのに、「向上していくこと」「貢献すること」「社会的に認められること」などが正解として用意されている。
能力の形も、自分に合うライフスタイルも多種多様なはずなのに、「他の人と同じように出来ること」「普通に働くこと」を求められる(そういうプレッシャーをかけてくる、残念なことにそうしないと暮らしていけない場合もある)。

なんだか書いているだけで…気持ちが弱ってきます。

この社会からのナラティブの押しつけが、まさに「死にたい」を作り出している犯人だとウ・サギは思っているのですが、続きはまた今度。

【今日のつぶやき】
ナラティブ講座は毎週金曜に更新していく予定です。あくまで、予定です。

update 2023/4/14