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Q&A
Q.親と反りが合わない。勉強ってそんなに大事かな
この記事の担当 うさえなが

Q.親と反りが合わない。
親は頭の良い高校に行って、大学行って、「人生勝ち組」にしてこようとしてくる。
でも、私はもう全てに疲れてしまって。勉強ってそんなに大事かな、そんなにちゃんとオトナにならないといけないのかな。私には居場所が何処にもない。

A.人生勝ち組って、楽しい人生のことじゃないの?
え、違う……?
その親とは、我も気が合わないなあ

*ウ・サギから補足*
「人生勝ち組」とか、そんなものは誰かが勝手に思い描いている幻想だとウ・サギは言いたいです。
良い高校にも大学にも行くことなくても、勉強を頑張ってこなくても、生きられている人をいろいろ見てきたので、心からそう思います。むしろ、身を削って自分を殺して何かを頑張ってくるよりも、ほどよく休みながら自分の感性に従って歩んでくる方が、人生は楽しく安定したものになる傾向がある気がします。
高学歴・高収入は安定を手に入れる一つの武器にはなるかもしれませんが、自分にとっての望ましい人生を手に入れるために必要不可欠なんてことは全くありません。

だから「親と反りが合わない」と思えて、それを発信できるあなたの感性を何よりウ・サギは応援したいです。年齢が上がると居場所とつながるチャンスも増えると思いますし、その感性でつながれる人や場所があると思います。

update 2024/11/9
Q.病んで来ていつリスカするか分からない。どうしたらいいか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.現在中1です
夏休み中にリスカを辞めることができて10月まで1度もやっていませんでした。しかし後半に入って病んで来てしまい、いつリスカするか分かりません
どうしたらいいでしょうか。

A.リスカは依存行為の一種だと思うのですが、依存については「人は苦痛を避けるために依存をする(強い刺激にふける=脳内麻薬を出す)のではないか。つまり依存は、自分で自分の落ち込んだ気分を直そうとする、いわば『自己治療』なのではないか」という有名な仮説があります。風邪を引いたときに薬を飲んだり休養するように、心が病んできたときに治療をするのは自然なことで、必要なことだとはウ・サギは思います。
だからもし今のところ自己治療の方法がリスカ以外見つからないなら、辞めようと無理をすることはおすすめしません…が、他に自己治療の方法があるともっと便利ですよね。大人はお酒を飲んだり、暴飲暴食をしたり、ドライブに行ったり、その他いろいろな自己治療の選択肢があるのですが、中1は選べるものが少なくて本当に大変だと思います。
中1でもできることで考えると、運動は脳内麻薬が出る一つの方法です。また、深呼吸、美味しいものを食べる、好きなぬいぐるみを抱きしめる、お風呂に入るなどは、エンドルフィンという幸せホルモンを出す効果があります。

あとは休養ができれば(夏休みはストレスが少なかったからリスカを辞めれたのかもしれないと想像しています)もっと楽になれそうですが、なかなか環境的に難しいのかなとは思っています。
こうやって質問してみたり、相談することで心は少し休めるかと思うので、相談できる人や先を探してどんどん使うのはおすすめです。
リスカ以外の自己治療を探して試してみつつ、なるべく休める部分は休み、それでもどうにもならないときの最終手段として時々リスカを活用する、みたいな感じでどうでしょうか。

update 2024/11/9
Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.その人らしさの根拠とは何でしょうか。
私は何をもって、自分が自分であることを確かめればよいのでしょうか。

A.とても哲学的だとカエルは感じました。
カエルも哲学が好きですが、もっと哲学に詳しい仲間にアドバイスをもらいました。そのまま紹介します。

(※生きづLABOの質問BOXでは、質問について、サイトには公開されない補足の内容を書くことができます。補足の内容を汲んでの回答になりますので、質問の本文のみ見ている人には若干話が見えない部分もあるかと思いますが、ご容赦ください)

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「普通の人」とは異なる問いに悩んでいる疎外感と、そのことについての少しばかりの誇らしさを感じました。例示や不合理な帰結の導出など、哲学的な議論の仕方に慣れておられるようにも見えましたので、なぜ生きづLABOに尋ねたのか、何を期待しているのか聞いてみたいです。

これらの問いは「生きづらさ」の問題として見るか、哲学的な問いとして追究するかでアプローチが変わると思います。生きづらさの問題として受け止めるのなら、自分という存在の不確かさがどうして「普通の人」よりも切迫しているのか、その背景に何があるのか、どうしたら楽になるのかという観点から答えますが、そういう答えでこの方は満足するのでしょうか。「根拠」や「規定」という言葉から、むしろこの方が哲学の問いとして概念的に突き詰めたいのではないかと思いました。哲学の問いとして考えるのなら、おそらく誰もが納得できる絶対的な答えはありませんので、自分で言葉を鍛えながら探究するほかないと思います。論証や議論がしたいのならば、ほかに相応しい場所はありますので、そちらでやっていただければよいと思います。(永井均や中島義道の本を読んだのでしょうか?もしまだ読んでないのなら、面白く読めるかもしれません。)

あるいは二つの側面を切り離さずに、実存的な問いとして引き受ける道もあると思います。その場合には、他者の感じ方や考え方に触れて視野を広げたり、全く別の問いや課題に取り組んでみたり、幅広い人生経験が役に立ちます。抽象的な問題を考えるよりも、自分や身近な人の具体的な困りごとに寄り添うような経験を積むことです。いずれにしても誰かに答えを「教えて」もらうような問いではないと少なくとも私は思います。

個人の意見としてですが、私は自分自身(身体や過去の自分)との繋がりや、外界(社会やその外側の宇宙)との繋がりを感じられるとき、自分らしさや、自分が自分であると思えます。一言でいえば、「疎外された自分の一体性の回復」です。よって、現時点の自分の構成要素を分析するというやり方では「自分らしさ」に到達できないのではないかと考えています。もしこのような見方が正しければ、感じ方の異なる「普通の人」との共通の地平を探ることが一つの手掛かりになるかもしれません。また、補足の内容が思弁に偏っているように見えましたので、身体性を取り戻すことも効果的かもしれません。例えば、身体を大事にする、身体にとって快適な状態を作る(お風呂などで温める、柔軟体操や軽い運動をする、リラックスする)のはどうでしょうか。また、存在感や自己感覚の希薄さは、幼少期の深い傷つきやトラウマの経験と関わっている可能性もあります。
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update 2024/11/8
Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちのせめぎ合いに苦しんでいる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちとの強烈なせめぎあいに毎日苦しんでいます。どうやったら自分とうまく付き合えるでしょうか…?

A.ウ・サギは自分と付き合うスキルはやっと中級くらいの自覚なのですが、所長たちの中では一番付き合いの難しい自分の持ち主なので、回答させてもらいます。

自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ち…その2つがほどよく折り合いをつけれたとき、バランスのよい自我像(至らない部分もあるが、大切な存在である)ができるのかもしれない?とちょっと思いました。
いつも不信感をもつのも大変ですしアンバランスですし、自分を庇いすぎるのもアンバランスで時に周りに迷惑をかけそうですし、その2つがせめぎ合うのはまっとうな現象であるように思います。でも「強烈な」と表現してくれているように、自分の中での振れ幅や軋轢が大きいと、生きることが闘いだというくらいに大変かと想像しています。

ウ・サギは、変化や刺激を求めて頑張りたい自分vs落ち着いた生活を求める自分、情緒的で感性を重んじる自分vsロジカルで事実を優先する自分、周りへの強烈な憎しみvs人の弱さへの慈愛、助けてほしいと泣いている自分vs平気なふりをする自分、などとたくさんの対立を抱えて生きてきましたが、仲裁役になったつもりで、双方の主張を書き出して整理することをわりとしていました。
基本的に双方の合意ができたことはありませんでしたが、主張を聞いてあげたことで、どちらも少しすっきりしたというか、強烈さが弱まる感覚はあった気がします。
また、もしかしたらもっと解体してみて、自分を嫌悪する自分、何も信じられない自分、自分を応援してげたい自分、人のせいにしたい自分、みたいな4者会談をしたら何かヒントが見つかるかもしれません。(その4者会談、見てみたい……)

update 2024/11/8
Q.特技も運もない自分はこの先、生き延びることができても楽しい人生なのか
この記事の担当 生きかたカエル

Q.引きこもりでもパソコンやITに強いとか、障害があっても芸術の才能があるとか、それを見つけて支援してくれる人と巡り会える運を持ってるとか、そういう特技も運も何も無くただダメな自分はこの先、生き延びることができても果たして楽しい人生なのかな

A.いやいや、生きづLABOというサイトを見つけてきた運と、こうして所長の質問箱に質問できる実力があれば、生きのびられるとカエルは思います。

そもそも、何が楽しい人生なのかは一律ではないので、特技や運が人生の楽しさと直結するものではないとカエルは思います。
カエルの仲間でも、井の中の蛙は楽しいことを見つけるのが得意ではないけれど、広い海に出ていくと価値観が変わり、楽しいことも変化することはよくあります。
出ていくといっても、物理的に外に出ることだけではなく、いろいろな価値観や人生があることを感じ取る機会があることが大切かと思います。
サイト情報も一つの手段ですが、視野を狭くする情報もたくさんあるので、情報を選ぶのが難しいですね。

update 2024/11/7
Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7
Q.選挙についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.選挙についてどう考えますか?生き辛い人ほど行かなければいけないような、でもそもそも投票所まで向かうのがかなり苦痛。ちゃんと選んで託すぞって気持ちが強すぎるあまり誰一人理解できる候補者がいないと怖くて誰にも入れたくなくて余計に億劫になったり…

A.選挙はウ・サギも「行かなきゃ」という気持ちはありつつ、出かけるのに結構なエネルギーが必要なことや、投票所の独特の雰囲気に緊張してしまうこともあり、行かなかったときの方が多いです。
選挙=一番の政治参加、みたいな風潮が社会にあるとウ・サギは感じていているのですが、それにどうしても違和感や息苦しさを感じます。政治(社会をどうしていくのかを決めること)は、一人ひとりの感じることを表現し、自発的に行動していく集積であるべきでは?とウ・サギは考えています。そう考えたときに、選挙に怖さや苦痛を感じつつもそれを言えない、理解できる候補者がいないのに誰かに入れる、というのはまっとうな政治参加とは言えないような気もします。逆に、自分の率直な感じ方を言葉にし、質問として送ってくれた行為は、一つのまっとうな政治参加の形だと思います。
選挙にどう関わるか・関わらないかは、自分の気持ちや感覚を大切に、自分が信頼できると感じる情報に触れながら(ここに質問してみるのも一つの情報収集ですね)、それぞれのペースで決めていっていいものだとウ・サギは考えます。

update 2024/11/6
Q.受験生なのに学校を休んでしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのに学校を休んでしまう

A.受験生「だから」学校を休んでしまう、という言い方もできるかもしれないと思いました。
つらいことで、自分が心からやりたいわけじゃないことなら、避ける(最低限のエネルギーでこなす)のが最適解だとウ・サギは考えています。ウ・サギの偏見と決めつけかもしれませんが、受験勉強を心からやりたいと思う人はいないし、経験的に、どこの学校に入るか(または入らないか)は人生をあまり大きくは左右しません。その場所で何をするか、自分がどれほどまともなコンディションで過ごせるかの方が、よっぽど人生を左右します。
つらいことの回避は、これからを生きるためにとても大切なことなので、休めるあなたには賢さと強さがあると言いたいです。
とはいえ、ストレスや葛藤は大きいかと思うので、何か手助けしてくれる存在は探したいところですよね……。
生きづLABOのこの記事では心の調子が悪いときに使える社会資源がたくさん紹介されているので、よかったら参考にしてみてください。

update 2024/11/6
Q.15歳です。家を今すぐ出たいです。大人を頼ってもダメでした。どうしたらいいですか。
この記事の担当 うさえなが

Q.15歳です。家を今すぐ出たいです。大人を頼ってもダメでした。どうしたらいいですか。

A.家を出るのは、生きかたカエルが詳しいよ!
生きかたカエル、教えてあげて!!

*生きかたカエルから補足*
児童相談所が正攻法なのですが、諸事情でそうはいかないときもあるのが実態です。
そもそも、家から出て違うところで暮らそうにも、社会的養護(親の代わりに育てる場所)の選択肢が少ないのが大きいように思います。

いずれにしても、子どもの権利条約で「子どもの意見を聞く」ことの重要性は明確なので、ちゃんと主張を聞いてくれる人に出会うことだろうと思います。
あなたがどこに暮らしているのかわかりませんが、近くに「子どもシェルター」という名の付くところがあるのなら、連絡してみてください。
弁護士さんなど子どもの権利を守る役割の人に相談することができるかと思います。

それでもダメだったら、カエルにまた連絡ください!

update 2024/11/6
Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか
この記事の担当 やみーペン

Q.リスカの代わりに自分の髪の毛を抜くのっておかしいですか

A.おかしいことなんて何もないとやみーペンは思う。リスカとか髪を抜くことが今は必要だからやってるのだし…。でも罪悪感が出ちゃうときはあるから、世の中の大人が毎日ビール飲むよりコスパいいよね。って思うことにやみーペンはしてるよ。

update 2024/11/6