Q.私は将来、自殺予防に関わる仕事をしたいと思っています。特に、生きづLABOの活動に興味があります。皆さんの仲間になるには、どうしたらいいですか?
A.我々の活動に興味をもってくれるとはありがたい限りです。
ぜひ、一緒に活動をやりましょう。
今、仲間を増やす方法を考え中です。ブログにも書きました。
(思わず、飛び跳ねながら回答をしています)
Q.私は将来、自殺予防に関わる仕事をしたいと思っています。特に、生きづLABOの活動に興味があります。皆さんの仲間になるには、どうしたらいいですか?
A.我々の活動に興味をもってくれるとはありがたい限りです。
ぜひ、一緒に活動をやりましょう。
今、仲間を増やす方法を考え中です。ブログにも書きました。
(思わず、飛び跳ねながら回答をしています)
Q.全く思考回路が違う、生きていることだけが共通な人類が同じところに住んで、同じ所に閉じ込められて、日々喜怒哀楽を感じている。よく考えてみたら変なの。 感情を感じない作りだったら、悲しむ人はいなかったのかな。
A.なんかすごそうなお話!
閉じ込められるのはイヤだねえ
*ウ・サギから補足*
「よく考えてみたら変なの」ってよい表現ですね。ちょっと考えてみるだけでも、変なことが世の中にはいっぱいあるような気もします。
うさえながも言っていましたが、閉じ込められるのは困ったものだとウ・サギは思います。もっと自由に、合わない場所や人から距離を置く選択肢があったなら、悲しい出来事は随分と減りそうに感じます。
感情というのは、嬉しさがあれば時に悲しみもあり、愛情があれば時には憎しみにもなり・・・と、本当に複雑です。何一つ悲しみのない人生はたぶんなくても、一人ぼっちで悲しみ続ける人はいない世界であってほしいとウ・サギは願います。
Q.両親がよく喧嘩をしていた。ひとりっこの私はほぼ毎日怒られてた。小学生高学年から中学生ぐらいの間そうだった。今はだいぶおさまったとは思う。でも苦しい。これって虐待っていうのかな。
A.カエル的な判断では、心理的虐待だと認定してもいいと思います。
そもそも、日本の「虐待」という表現はあまりよろしくなくて、海外では「マルトリートメント(不適切な養育)」という表現が使われることがあります。マルトリートメント概念で行くと、あなたが両親にされたことは間違いなく、マルトリートメントに認定されます。
また、カエルは虐待かどうかというより、あなたが「苦しい」のが重要なことだと思います。子どもの苦しい思いを、親に限らず大人が受け止めて、苦しさが少しでも軽くなるような手助けができる仕組みをつくっていく必要があると思っています。
今はだいぶおさまったと聞いて少し安心していますが、「前よりまし」という基準で大丈夫じゃないことも、「大丈夫」と思ってしまうこともあります。苦しいことは苦しいと思ってもいいし、言ってください(少なくとも質問箱では大歓迎です)。
Q.生きたくない。冬休みになって学校は休み。でも2週間もしたらまた始まるし、今も家にいるのがしんどい。こんな生活、いつまで私の体力がもつんだろう。相談なんてできないよ。
A.もうそろそろ、学校始まっちゃうころかな
相談できないのも気持ちはわかるし、こうなったら体力尽きてしまったら、ことが起こるかも?と思ってしまったカエルです。
本当なら体力が尽きる前に何とかできたらと思うのですが、カエルが出会った子どもたちも、相談したり助けを求めることができずに、とりあえず動けなくなったり、有事が起こってから、物事が動くことってわりとあります。
自分から相談するのは難しいけど、相談してもいいタイミングが向こうからやってくることもあるから、そのチャンスを逃さないのは大切だと思います。
それにしても、子どもが自分から安心して助けを求められる独立機関がなかなか整備されないし、そういうのが活用される準備も進まないのは歯がゆいカエルです。参考までに「子どもコミッショナー/オンブズパーソン」というものが具体例なので、参考になるサイトを紹介します。
子どもコミッショナー/オンブズパーソンについて|こども基本法プロジェクト
Q.居場所がなくて困ってます。友達も信用できない。どうすればいいですか
A.居場所って家とか学校とか、物理的な空間や場所を指すわけではないのですよね。だから、家にも学校にも居場所がない場合ってわりとあることなのかなと思います。(残念ながらですが)
ただ、居場所がないとか、友達も信用できないと感じられる感性はとても大切だとカエルは思いました。
あなたの感性や気持ちがちゃんと働いて、警戒したり、疑ったり、迷ったり、こうして質問箱に送ったり…していることは支持をしたいです。
だから、カエルの気持ち的には「どうすればいいですか」という問いには「居場所がなくてもそのままでいいです」と答えたいのですが、肝心なのは居場所ですもんね。
所長室でよければ居場所にしてください!!
Q.やっぱり馬鹿な子ほど可愛い?
A.「可愛い=大人から子どもへの庇護欲求が強く出る」と定義して回答すると、馬鹿な子ほど可愛いと感じるかは人それぞれかと思いますが、傾向としては、自己主張できて感情表現が素直な子ほど可愛がられやすい部分があるように感じます。
(これも人それぞれではありますが)大人は意外とにぶくて、日常に追われている生き物でもあるので、目に見えづらいもの、分かりづらいものは見逃したりちょっとスルーしてしまう場合があるかもしれません。
ウ・サギはひねくれている子ほど可愛い派閥ですが、それはそれとして、みんなが必要な分だけ可愛がられたりケアされてほしいと切実に思います。
可愛がられるためのアプローチとしては、にぶそうな(?)大人相手なら感情を強めに出したり手紙でしっかり気持ちを伝えるとか、他に自分を可愛がってくれるタイプの大人を探すか、相談に乗ることを専門としている大人(身近であればスクールカウンセラー、匿名ならSNS相談など)に話を聞いてもらうとか、そんな手があるかなとは思いました。
理想をいえば一点集中ではなく、色んな人に色んな距離感で可愛がってもらえると気持ちが安定しそうですが、そんな機会が少ない世の中だとも感じるので、困りますね……。
Q.過去の嫌なトラウマのフラッシュバックがつらい、トラウマを消したいです
A.嫌な思いしたことやトラウマとの付き合い方って難しい。最初これがトラウマだ!って分かってない時は分かってない時で「なんなんだこれ??」ってなるし、トラウマだって分かってからは「またトラウマか!」ってなる。
トラウマを無くすことは難しいのかもしれないけれど、フラッシュバックとの付き合い方(どう現実に戻るか、どうサポートしてもらいたいか)くらいは決めれるようになりたいとやみーペンは思ってる。でも、自分が悪いわけじゃないのになんでこんなことに苦しまなきゃならないんだろうね……。
Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?
A.何もダメなことはないと思います。今調べたのですが、憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてあり、心の中で何を考え何を思うかが自由であることが保障されています。
そもそも何を思うかは、「思ってしまう」「感じてしまう」「考えてしまう」という自分の意思でコントロールしきれないものだと思うので、ダメだと言われても困っちゃう気がします。
とくに死にたいについては、何かしらのつらさや違和感や虚しさのもたらすものかと思うので、思う側ではなく、そう思わせてしまう社会(死にたい人の周りにあるストレス、理不尽な現実)に目を向けるべきだとウ・サギは考えます。
Q.怒鳴ったり人を否定したり、私を恐怖で黙らせて「幸せな家庭」と言っているような母がニュースなどを見て「争いは良くない」と言っていました。私は、誰かが我慢して成り立っている平和も良いとは言えないと思うんですけど、どう思いますか?
A.とても冷静沈着で妥当な意見だと思います。カエルも全面的に賛同します。
そのうえで、矛盾した言動を見せるお母さん側についても想像してみました。人を否定したり、恐怖で子どもを黙らせていることについては、気づいていないか、別の認識をしているか、家庭は治外法権で一般の社会や世界とは違うものだと思っているか、何かがありそうです。
それから、あなたの意見を見て改めて気づきましたが、平和というものは常に誰かの我慢の上に成り立っているのかもしれません。誰も我慢せずに平和は成立しなさそうです。ただ、その場合に誰がどれぐらい我慢するかということが問題なのだろうと思います。少なくとも力や権力と比例して我慢が傾斜配分される(権力をもっている側が多く我慢する)のが原則かと思うのですが、実際には逆になってしまうのが大きな問題ですね。
Q.家にいるのも学校にいるもの嫌です。
必ず学校にいかなきゃだめですか、必ず家に居て親の監視下で暮らさなくてはいけないんでしょうか。私は親に愛されているという感覚もありません。親から逃げてもいいんでしょうか。
A.もちろん、学校に行かなきゃダメということはないし、親から逃げても構いません。子どもの権利条約では「子どもの最善の利益」という原則があり、子どもにとってもっともよいことは何か考えることが大切だとしています。
そして、実際に親と暮らしていない子どももたくさんいます。事情はそれぞれですが、それがイレギュラーだったり、特別なことではなく、いろいろな環境があることがもっと広がるといいなぁとカエルは常々思っています。
ただ、子どもの権利条約でも、子どもを育てる一義的な責任は親にあるとしていて、実際には親の力が強く、子どもの最善の利益に関しても、難しさに直面することもあります。親子と言えども、相性もありますし、お互いにつらい思いをしたり、我慢をして一緒に暮らす必要もないと思います。
まずは、子どもの気持ちや希望に耳を傾けて、一緒に考えて動く大人が増えたり、子どもだけが相談できて、必要なら支援をしてくれる独立した機関ができることをカエルは希望しています。