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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.ただ話を聞いて欲しいと思って話すと相談と受け止められて結論を求められる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ただ話を聞いて欲しい、愚痴を聞いて欲しいと思って誰かに話すと、大概相談と受け止められて、あなたはどうしたいのという結論を求められることが多いです。
それがわからないから話してるのになと思います。

A.ウ・サギは昔それをやってしまって怒られたことがあるので(相談だと思って論理的に回答したら、そういうのじゃない!!と)、こころの中で冷や汗を流しながら読みました。
自分だけではわからない、気づけない、整理できない何かがあるから、人は誰かに話をするわけで、「どうしたいの?」と結論を求めるのではなく、想像して一緒に悩むのが大切なのか・・・とわかるまで時間がかかりました。

もし相手が昔のウ・サギのような人なら、「これは相談ではなく、ただ話を聞いて欲しいんです。自分でもどうしたいかわからなくて話しています」と最初から伝えることで解決する可能性はあります。でも、そう伝えてみてもうまく伝わらない相手なら、話す相手を変える必要があるかもしれません。
ウ・サギはネットの世界も利用しながら、腹が立ったときの愚痴向け、優しく寄り添ってほしいとき向け、気持ちを整理して一緒に解決策を考えたいとき向け、みたいに話し相手を使い分けています。そういえば、最近はAIも聞き役としてなかなか優秀らしいです。

update 2024/11/12
Q.病んで来ていつリスカするか分からない。どうしたらいいか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.現在中1です
夏休み中にリスカを辞めることができて10月まで1度もやっていませんでした。しかし後半に入って病んで来てしまい、いつリスカするか分かりません
どうしたらいいでしょうか。

A.リスカは依存行為の一種だと思うのですが、依存については「人は苦痛を避けるために依存をする(強い刺激にふける=脳内麻薬を出す)のではないか。つまり依存は、自分で自分の落ち込んだ気分を直そうとする、いわば『自己治療』なのではないか」という有名な仮説があります。風邪を引いたときに薬を飲んだり休養するように、心が病んできたときに治療をするのは自然なことで、必要なことだとはウ・サギは思います。
だからもし今のところ自己治療の方法がリスカ以外見つからないなら、辞めようと無理をすることはおすすめしません…が、他に自己治療の方法があるともっと便利ですよね。大人はお酒を飲んだり、暴飲暴食をしたり、ドライブに行ったり、その他いろいろな自己治療の選択肢があるのですが、中1は選べるものが少なくて本当に大変だと思います。
中1でもできることで考えると、運動は脳内麻薬が出る一つの方法です。また、深呼吸、美味しいものを食べる、好きなぬいぐるみを抱きしめる、お風呂に入るなどは、エンドルフィンという幸せホルモンを出す効果があります。

あとは休養ができれば(夏休みはストレスが少なかったからリスカを辞めれたのかもしれないと想像しています)もっと楽になれそうですが、なかなか環境的に難しいのかなとは思っています。
こうやって質問してみたり、相談することで心は少し休めるかと思うので、相談できる人や先を探してどんどん使うのはおすすめです。
リスカ以外の自己治療を探して試してみつつ、なるべく休める部分は休み、それでもどうにもならないときの最終手段として時々リスカを活用する、みたいな感じでどうでしょうか。

update 2024/11/9
Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちのせめぎ合いに苦しんでいる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちとの強烈なせめぎあいに毎日苦しんでいます。どうやったら自分とうまく付き合えるでしょうか…?

A.ウ・サギは自分と付き合うスキルはやっと中級くらいの自覚なのですが、所長たちの中では一番付き合いの難しい自分の持ち主なので、回答させてもらいます。

自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ち…その2つがほどよく折り合いをつけれたとき、バランスのよい自我像(至らない部分もあるが、大切な存在である)ができるのかもしれない?とちょっと思いました。
いつも不信感をもつのも大変ですしアンバランスですし、自分を庇いすぎるのもアンバランスで時に周りに迷惑をかけそうですし、その2つがせめぎ合うのはまっとうな現象であるように思います。でも「強烈な」と表現してくれているように、自分の中での振れ幅や軋轢が大きいと、生きることが闘いだというくらいに大変かと想像しています。

ウ・サギは、変化や刺激を求めて頑張りたい自分vs落ち着いた生活を求める自分、情緒的で感性を重んじる自分vsロジカルで事実を優先する自分、周りへの強烈な憎しみvs人の弱さへの慈愛、助けてほしいと泣いている自分vs平気なふりをする自分、などとたくさんの対立を抱えて生きてきましたが、仲裁役になったつもりで、双方の主張を書き出して整理することをわりとしていました。
基本的に双方の合意ができたことはありませんでしたが、主張を聞いてあげたことで、どちらも少しすっきりしたというか、強烈さが弱まる感覚はあった気がします。
また、もしかしたらもっと解体してみて、自分を嫌悪する自分、何も信じられない自分、自分を応援してげたい自分、人のせいにしたい自分、みたいな4者会談をしたら何かヒントが見つかるかもしれません。(その4者会談、見てみたい……)

update 2024/11/8
Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7
Q.選挙についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.選挙についてどう考えますか?生き辛い人ほど行かなければいけないような、でもそもそも投票所まで向かうのがかなり苦痛。ちゃんと選んで託すぞって気持ちが強すぎるあまり誰一人理解できる候補者がいないと怖くて誰にも入れたくなくて余計に億劫になったり…

A.選挙はウ・サギも「行かなきゃ」という気持ちはありつつ、出かけるのに結構なエネルギーが必要なことや、投票所の独特の雰囲気に緊張してしまうこともあり、行かなかったときの方が多いです。
選挙=一番の政治参加、みたいな風潮が社会にあるとウ・サギは感じていているのですが、それにどうしても違和感や息苦しさを感じます。政治(社会をどうしていくのかを決めること)は、一人ひとりの感じることを表現し、自発的に行動していく集積であるべきでは?とウ・サギは考えています。そう考えたときに、選挙に怖さや苦痛を感じつつもそれを言えない、理解できる候補者がいないのに誰かに入れる、というのはまっとうな政治参加とは言えないような気もします。逆に、自分の率直な感じ方を言葉にし、質問として送ってくれた行為は、一つのまっとうな政治参加の形だと思います。
選挙にどう関わるか・関わらないかは、自分の気持ちや感覚を大切に、自分が信頼できると感じる情報に触れながら(ここに質問してみるのも一つの情報収集ですね)、それぞれのペースで決めていっていいものだとウ・サギは考えます。

update 2024/11/6
Q.受験生なのに学校を休んでしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのに学校を休んでしまう

A.受験生「だから」学校を休んでしまう、という言い方もできるかもしれないと思いました。
つらいことで、自分が心からやりたいわけじゃないことなら、避ける(最低限のエネルギーでこなす)のが最適解だとウ・サギは考えています。ウ・サギの偏見と決めつけかもしれませんが、受験勉強を心からやりたいと思う人はいないし、経験的に、どこの学校に入るか(または入らないか)は人生をあまり大きくは左右しません。その場所で何をするか、自分がどれほどまともなコンディションで過ごせるかの方が、よっぽど人生を左右します。
つらいことの回避は、これからを生きるためにとても大切なことなので、休めるあなたには賢さと強さがあると言いたいです。
とはいえ、ストレスや葛藤は大きいかと思うので、何か手助けしてくれる存在は探したいところですよね……。
生きづLABOのこの記事では心の調子が悪いときに使える社会資源がたくさん紹介されているので、よかったら参考にしてみてください。

update 2024/11/6
Q.道徳は答えがないというのに、社会では「正解」が用意されていて辛い。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.道徳は答えがないというのに、社会で当たり前だと思われている「正解」が用意されていて辛い。

A.正解はないといいつつ、正解が用意されている・誘導されているという理由で、ウ・サギは道徳にとても違和感があります。
自分の思ったこと・感じたことには「正解」「間違い」はないはずで、もしそこに正解が用意されているなら、それは洗脳に近い行為だと思っています。ウ・サギは、学校では「はいはい、これが先生の求めてる答えでしょ」という気持ちで、道徳や感想文で嘘ばかりついてましたが・・・苦笑
あなたの苦しみは、洗脳されずに、自分らしく生きているから起こるものだと感じました。正解に息苦しくなったら、またいつでも質問をください。

update 2024/11/1
Q.どうして「生きる権利」は保障されて「死ぬ権利」は保障されないのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして「生きる権利」は保障されているのに「死ぬ権利」は保障されていないのでしょうか。

A.今の世の中では、「生きる権利」が実際には保障されていないのではないか・・・?と、この質問を読んでまず思いました。
もし本当に生きる権利が守られていれば(これは、自分の生活・身体・精神を脅かされない、というのを想定しています)、自分の本当に望んでいるものを知り、それをある程度叶えられるはずです。つまり、本当に死というものを目的にするなら、個人の自由として行動に移せますし、もし死という手段で逃れたいと思うほどの苦痛があるのだとしたら、それを死以外の方法で叶えるように行動できることになります。

だからこの質問は、「生きる権利を保障しないなら、せめて死ぬ権利を保障するべきでは?」という問いかけのようにも感じました。(全然違ったらすみません・・・)

update 2024/11/1
Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中国人と聞きどんなイメージをもちますか?日本生まれ日本育ちの中国人ですが日本人が中国人を悪く言うのが理解できません。たまに中国へ帰るのですが気さくでいい人ばかりです。非常識なのはごく一部で、中国は人口が多く色々な人がいるからだと思ってます。

A.国によって文化や風土は存在するので、「日本は同調圧力が強い国だよね」と言われればウ・サギは頷いてしまいますが、「日本人は同調圧力が強い」という言葉には抵抗があります。だから「○○人」というくくりでイメージを語るのはそれだけで失礼だったりナンセンスなのだろうと思います。(と質問者さんも感じての質問かなと読み取っています)

だから中国人のイメージは無回答とさせてもらいたいのですが、中国と聞くと「中国製」のイメージが浮かんだのは事実です。ただ、粗悪なものもあるのが事実だとしても、それは「安くて高品質なものがほしい」と都合のいい欲望や幻想をもった人がいるゆえに起こっていることな気がするので、悪いのは中国という国ではなくこの世界の構造にあると感じます。

日本の風潮として(それこそごく一部の人だと信じたいですが)、中国に悪いイメージをもち、それを堂々と言うみたいなのはあるとは感じています。ウ・サギは比較的多様性のあるコミュニティに属してきたので、実際に身の周りでは聞いたことはありませんが、ネットを見ているとそれは思います。

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉もあるように、実際に何かイヤな思いをした経験がある人のヘイトが、相手だけでなく属性にまで向くことがあるのは、人間の心理的にはある程度仕方ないのかもしれません。
ただ、非常識という言葉で批判するのは、自分の常識を一方的に押しつけている行為だし、(ネットも含め)公的な場で「中国人は~」と悪口を言っているならそれは差別だとウ・サギは思います。

日本では、力を持った人が「そんなの普通じゃない」と自分の常識を一方的に押しつけたり、「だから○○は~」と属性でくくって何かを蔑むことをしがちです。そして人間は、残念なことに、やられたことと同じことをしてしまう場合があります。
そういった抑圧の再生産、負のループの中で、何かしら下の属性を探して叩きたいくらいに孤独や鬱屈が生まれたとき、「人種」「国」で序列をつくって矛先を向けることが起こってしまうのでしょうかね・・・。

また、あまり深く考えずに、ジョークの一つとして差別発言がされる風潮もあると感じます。それは日本の同調圧力や、実際に多様なものに触れる機会がないことなどから生じている気がします。

総合すると、日本人が中国人を悪く言うのは、自分が尊重される機会も多様なものに触れて学ぶ機会もないから、というのがウ・サギの私見です。(その矛先の一つに中国が選ばれてしまう理由や背景については、知識がないのでわかりませんが、何があろうとターゲットにして叩いていい理由にはならないはずです)
いろいろと考えて言葉にする機会になってよかったです。
質問ありがとうございました。

update 2024/11/1
Q.死を近くに感じる行為を繰り返してしまう。どうしたら辞められる?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死ぬつもりはないけれど、死を近くに感じると安心します。だから、そのような行為を繰り返してしまい、辞めたくても辞められません。どうしたら辞められると思いますか?

A.何かしら安心を求めての行為なのであれば、何か別の方法で(もっと安全な方法で、というニュアンスになるでしょうか)安心できたり、死を近くに感じることができたらいいのでしょうかね…。今あなたにとって必要でやっている行為かと思うので、ただ単に辞めようとするのではなく、何かしら代わりのものを探したいところです。
ウ・サギが死に引き寄せられていた時代を振り返ると、死の傍だけでは「自分が自分でいられる」感覚があったからだと思います。だから自分が自分でいられる時間を増やすことで(大きく偽らないといけない場面を減らす、自分だけの時間を増やす)、いろいろと楽になっていきました。
死を近くに感じることであなたの得ているものがわかれば、代替案が見えてくるかもしれませんし、死を感じる行動を起こすほどにあなたを追い詰めているストレスがわかれば、それから多少なりとも回避する方法を考えられるかもしれません。

update 2024/10/27