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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、帰ってきたらすぐに日常に戻って笑えるのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.なんで皆、お葬式のときでも「死」をネタにしたり、笑って話したりできるのでしょうか。
なんでお葬式から帰ってきたらすぐに日常に戻って笑って生きることができるのでしょうか。

A.あなたにとって、違和感やもやもや、許しがたさのようなものを感じるお葬式を経験してきたのだろうか…と想像して、回答を考えています。(違ったらすみません)
また、「なんで」という気持ちを抱えたまま、それを消化できずに、苦しい状態にいると受け取っています。

それ以上想像に想像を重ねてもズレていくばかりな気もするので、ウ・サギのこれまでの経験から、死をネタにして笑って話したり、お葬式から帰ってすぐ日常に戻って笑ったりできる場合と、そうはならない場合の違いを考えてみますね。

一つは、(たぶん生まれつきの)タイプとして、今や未来に意識が向きやすいタイプと、過去や記憶に意識が向きやすいタイプがいると思っています。今・未来タイプの人は、死を深く悲しんでいても、「日常にすっと切り替わる」部分はあるかもしれません。
別のベクトルとして、じっくり考えてから話したり行動するタイプと、なんとなくのノリや感覚で行動するタイプがいるとも思っています。そして、ノリのタイプは、何かを簡単に「笑って」ネタにしてしまうときがある気もします。(たぶん多くの場合、そこに悪意はないとウ・サギは感じています)

あとは、人は居心地の悪さや不安を抱いたときに、何かをネタにして笑うときがあるとは感じます。
そう考えると、周りは死というものに動揺を抱いていたり、向き合うことができずに、逆に軽い態度をとってしまうのかもしれません。
的外れなことばかり書いてしまった気もしていますが、何かの参考になれば幸いです。

update 2025/2/27
Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう なんなんだろう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分をわざわざ追い詰めるような考えをしてしまう
なんなんだろう

A.考えをして「しまう」と表現されていたように、自分自身の意思ではなく「そうなってしまう」ものなのだろうとウ・サギは思いました。

どのような考え方をするかは、時代や環境にかなり左右されるものだとウ・サギは感じています。
質問者さんの考えがどのようなものかわかりませんが、自分を追い詰めるような考えは、物事の責任や過失を自分に求めすぎる、努力や結果のプレッシャーをかける、周りの反応を気にしすぎてしまう、などかなと想像しています。
今の世の中は「自己責任論」や「競争主義・能力主義」という、個人の努力を過剰に求める考え方や、「集団・同調主義」とでもいえるような、周りにどう思われるかを重視する在り方が流行しているとウ・サギは思います。そして、私たちは知らず知らずに、または身近な人から直接的に、それを取り込んでると感じています。

もちろん、それだけが全てではないと思いますが、自分を追い詰めるような考え方をしてしまうのは、自分を追い詰めるような考え方が流行しているせいだ、という要素は大いにあるとウ・サギは思います。
なぜそんな流行がおこってしまったのか、どうしたら過剰なそれらから抜けられるのか・・・みんなで考えていきたいところです。

update 2025/2/27
Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.多分幻聴が聞こえてる。どうしよう

A.幻聴があること自体は、ウ・サギはそんなに大ピンチとは思わないのですが、幻聴が幻聴であるとわからない、幻聴の言うことに強く振り回される、となってしまうと大変かと思うので、幻聴に影響を受けすぎないように、あなたの幻聴を一緒にモニタリングしてくれる存在がいたら(幻聴についてフラットに相談できる人がいたら)いいなあと思いました。
そんな人はなかなかいないかもですが……。ピンチだと感じたら、この記事なども参考にして、相談できる先を探してみてほしいと思います。

update 2025/2/19
Q.中学までが義務教育なのに、なんで高校大学に行かないと就ける職業が減って給料も良くないの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.中学校までが義務教育なんでしょ?なんで高校まで、大学まで行かないと就ける職業が減って、給料も良くないの?だって、中学までの内容が生きていくのに最低限度なんでしょ?だったら、もっと教育を皆が受けられる期間を長くすればいいじゃん。

A.教育と職業との関係性は、もっと議論と改良の余地があるし、変えるべきだとウ・サギも思います。
あまりウ・サギも詳しくはないのですが、外国のそのあたりの仕組みを色々見てみると興味深いです。どこかでは、大学はそもそも基本が「一回社会人になってから入るところ」で「入るのは簡単だけど卒業するのは大変」というものになっていると聞いたことがあります。あとまた別の国では、中学校くらいまでは共通のプログラムで、それ以降は手を使う方の職業にいくか、頭を使う方の職業にいくかで、全然別の学ぶ内容になる、というのも聞きました。(どちらもうろ覚えなので、違ったらすみません)
どのような制度にするのがいいのか、ぜひ一緒に考えましょう。

update 2025/2/19
Q.安楽死についてどう思いますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.安楽死についてどう思いますか。
海外では認められているところもありますね。
でも、色々問題があるなと思いました。
安楽死はいいのか
家族が反対した場合どうするのか
誰でもいいのか(末期がん患者などに限定するのか)
難しいですね。

A.安楽死については、いくつか、かなり議論しないといけないポイントがあると思っています。
まず、安楽死は、このまま生きていてもよい見込みがない(と感じる)ときに魅力的に見えてくる選択肢だと思うのですが、その「よい見込みがない」の判断について、支援があれば変えられる(緩和できる)ものではないのか?というのは、絶対に欠かしてはならない視点だと思っています。
適切な社会のあり方やサポートがあれば緩和したり乗り切れるかもしれない苦痛を、安楽死という形で解決させてしまうなら、それは弱者は淘汰される世界になるとウ・サギは感じるので、そういった運用になってしまうなら安楽死には反対です。ただ、今は弱肉強食のような社会になってしまっている部分もあるので、「それならせめて安楽死させてください」という気持ちは自然なものだし、その叫びには真摯に向き合うべきと考えます。
まだまだ語ろうと思えば延々と語れそうなのですが、「安楽死を求めている人がいる」という現実について、安楽死を導入するとかしない以前に、何が起こっていて何が必要なのかをしっかり考えていきたい・・・と、日本での安楽死議論については思っています。
もっとフラットに、今の社会問題抜きに安楽死を考えるなら、最後は死なれてしまう側(周囲の人)の気持ちとの兼ね合いになってくるのかなと思っています。

update 2025/2/19
Q.楽しいことが何もありません。どうすれば楽しく過ごせますか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.楽しいことが何もありません。どうすれば楽しく過ごせますか。

A.まず、ウ・サギも楽しく過ごしているかと聞かれるとYESともNOともいえないあたりなので、あまりうまく回答はできないかもです・・・お役に立てなかったらすみません。
ただ、あなたにとって楽しいことが何もないことが苦痛(とまではいかないかもですが、変えたいこと)なのだろうとは読み取っています。
楽しいことが何もないのは、一体どこから生まれている状態なのかわかれば、対応も見えてきたりしないですかね…?ストレスや疲労から感情麻痺状態にあるなら負荷を減らす必要があると思いますし、自分の意思や感性がわからなくなってしまっているのであれば、色んなものや人に触れるのがよいかもしれません。
ちなみにウ・サギは「楽しい」や「幸せ」を目指すと絶望してくるので、暇にならないことだけを目指して生きています。

update 2025/2/19
Q.食べることくらいしか楽しみがないけれど、太りたくない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.食べることくらいしか楽しみがないけれど、太りたくない。こんな人はどうやって人生の楽しみを見つければよいのでしょうか。

A.食べることという楽しみがあるなら、いかに太らずに食べるか、または太りたくないという気持ちから解放されるか、で楽しみを継続させれるかとも思ったのですが、どうでしょうか……?
と、安直な提案をしたあとに、「食べることくらいしか楽しみがない」が悩みの本質なのでは?とはっと思いました。何かアクションを起こして楽しむだけの心の余裕やエネルギーがなく、毎日必ずやってくる食べるという行為だけが楽しみになっている…と想像すると、楽しみを見つけるためには、あなたの「楽しむ心」を弱らせているストレスやダメージを取り除く必要があるのかもしれません。(的外れな想像だったらごめんなさい)
でも、それはそれとして、ウ・サギも他の所長たちも、食べることは楽しみです。あなたが食べることをどう楽しんでいるのか、聞いてみたい気持ちがうずうずしています。

update 2025/2/19
Q.気軽に相談してねと言われても、なかなか相談できない
この記事の担当 ウ・サギ

Q.これは考えが足りないだけ、共感を求めているだけ、相手の時間を使って相談に乗ってもらう内容として相応しくないと思ってしまい、なかなか相談できない。気軽に相談してねと言われても、そんなことも1人で考えられない人と思われたくないと思ってしまう。

A.なるほど・・・確かに「気軽に相談してね」と、大人はそれこそ気軽に言ってしまうけど、それを阻む思考回路があるからそもそも困っているのはあるよなあ、と気づきました。

ウ・サギは「そんなことも1人で考えられない人と思われたくない」というあなたの気持ちが、何から来ているものなのか気になっています。
その気持ちが薄まれば、いろいろなことが楽になりそうな・・・?でも、何から来ているものなのか、どうしたら薄まるかに気づくためには、誰かとの対話(相談)も必要だろうから、あれ、それが難しいのか・・・?とぐるぐる中です。

ひとまずの対処法としては、考えが足りないだけ、共感を求めているだけ、などの自己分析ができているなら、相談相手を使い分けることで罪悪感や抵抗を軽減するのはできそうかなと思いました。
共感なら、自分と同じような悩みの仲間と話せたらお互いに盛り上がれるし、考えを整理したいなら、最近はわりとAIが良いと聞いたことがあります。生きづLABOと同じ事業でやっている、死にトリぷらっとチャットかくれてしまえばいいのです、はなかなか使えるかもしれません。

update 2025/2/18
Q.本音だと確信できない状態で相談をするのは、失礼でしょうか…?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.相談や質問をして返信をいただいた時、その返信を読んで初めて「あ、自分が本当に言いたかったのはこれじゃなかったかも」と気付くことがあります。本音だと確信できない状態で相談をするのは、失礼でしょうか…?

A.いえいえ、全く失礼ではないと思いますよ。
むしろ相談というのは、そのためにするものだとウ・サギは思っています。思ったことをとりあえず言ってみて、それはそういうこと?いや、ちがって、じゃあこう?あ、もしかしたら…みたいに、自分が本当に言いたいことを探していくのが相談(対話)だと思います。
その人の答えはその人の中にある、とウ・サギは思っています。それが見えなくなっているなら、一緒に探せたらと思いますし、何か手伝えそうなことがあるなら手伝えたら、と考えています。あと、相手の答えを探している中で、自分の中の何かに気づいたりすることもあるから、相談は不思議です。

update 2025/2/18
Q.自分は体が女性、心は男。男とばっかりつるんでないで女子とも仲良くしろって言われる…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分は体が女性、心は男で学生、バイなんだけれど、親にも先生にも友達にも、男とばっかりつるんでないで女子とも仲良くしろって言われる……やっぱり手術とかをするまでは女子と一緒にいなきゃダメ?

A.どんな性別だろうと、誰と仲良くするかは自由だとウ・サギは心から思いますし、そう全世界に向けて叫びたいです。
一緒にいたい人といれて、あなたが望むような関係性が作れているなら、その交友関係を変更する理由など何もないと思います。
あなたがなるべくあなたらしい日々を送れることを、応援しています…!

update 2025/2/18