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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.自殺対策でよく特集される有名人の体験談を見るたびに辛いです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自殺対策でよく特集される有名人の体験談が大嫌いです。ごめんなさい。でも、見るたびに辛いです。守られた場所からどんなお言葉を貰っても、そうはなれない自分が余計に惨めで苦しく思えるからです。悔しさをバネにして飛べたらいいけど、力尽きています。

A.「守られた場所からどんなお言葉を貰っても」という表現と、「悔しさをバネにして飛べたらいいけど、力尽きています。」の表現がグッドだと思いました。
また、この大嫌いの話を伝える先に、生きづLABOを選んでくれたのも感謝です。あなたの「大嫌い」は、強い違和感の表明、という色合いがあると感じているし、違和感はこの社会について考える上でとても大切なものだと思っています。

今は幸せになれました系の発信は、自分の立場と他の人の立場の違いを十分に知らずに(社会的優位性に無自覚に)語られている場合が多いので、ウ・サギは見ないようにしています。どうして自分はできないのだろう・・・自分はダメなのかな・・・?と思って、元気を失ってしまうので。
生きづLABOとしても、見ることで余計に惨めになったり苦しくなるのではなく、少しでもほっとできたり本来その人のもつ力を取り戻せる情報発信をしていきたいところです。

update 2024/11/15
Q.どこにいても何をしていても緊張します。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どこにいて何をしていても緊張します。警戒心が解けません。もちろんそれが良い面として出る場合もあるけど、家の中に一人でいても緊張し続けながら生きるのは結構しんどいです。適度に外に出たほうが楽になったりする経験もあるけど、やっぱり外は怖い。

A.ウ・サギも緊張の強いタイプなので、あなたの大変さは自分のつらさをさらに濃縮させたものなのかなと想像していますし、そりゃしんどいよな…という言葉が出てきます。
緊張は、何かイヤなことが起こるのではないか…これまでこんな恐いことがあったしな…という経験則や予想(時に妄想?)から生まれる側面がありそうだとウ・サギは思います。それがわかったところで、緊張をゆるめる方法がわかるわけではないのですが…
自律訓練法など、フィジカルの方のアプローチはどうでしょうか。あとは気持ちが不安定だと警戒心も強くなる気がするので、何か人生や住環境などにストレスがあるなら、そこを徐々に変えるのが効果的かもしれません。

update 2024/11/15
Q.毎日、ふとした瞬間に心がズキズキと痛みます。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.毎日、ふとした瞬間に心がズキズキと痛みます。何となくですが、今まで見ないようにしてきた心の傷つきが一斉に痛んでいるような感じがします。そして、痛みを消そうとするのも違う気がします。どうしたらいいのでしょうか。

A.心が痛んだとき、ウ・サギは「そうかそうか、自分はつらかったんだな」と自分を労って、なるべく涙を流してあげるようにしてました。あとは痛みは「気づいてほしかった、見てほしかった」とズキズキしてるようにも思ったので、話せる範囲で人に話したり、紙に書いたりもしました。痛みも大切な自分の一部なので、なるべく優しくしてあげたいとウ・サギは思います。

update 2024/11/13
Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.嫌いな人を好きになる努力は必要ですか?
どうしても嫌いな人がいるんです。そして嫌いな人=親なので離れられないんです。

A.好きになる努力は不要だとウ・サギは考えます。
そもそも好き嫌いなどの「感情」や「感覚」は努力で変えられるものではない気がするのですが、どうなのでしょうね・・・(ウ・サギは嫌いじゃないと思い込むことに成功して、結局は最後もっと嫌いになった経験ならあります)

でも嫌いだという気持ちが膨らみすぎると疲れるので、疲れない工夫はあった方が楽かもしれません。愚痴を言えるところで思う存分言って、なるべく親と物理的に距離を置くことをおすすめしたいです。
生きかたカエルは、合わないと思った相手を「観察対象」として見て、「ふむふむこういう生態なんだな」という分析に目を向けて、そもそも好き嫌いの対象外にするそうです。

update 2024/11/13
Q.ただ話を聞いて欲しいと思って話すと相談と受け止められて結論を求められる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ただ話を聞いて欲しい、愚痴を聞いて欲しいと思って誰かに話すと、大概相談と受け止められて、あなたはどうしたいのという結論を求められることが多いです。
それがわからないから話してるのになと思います。

A.ウ・サギは昔それをやってしまって怒られたことがあるので(相談だと思って論理的に回答したら、そういうのじゃない!!と)、こころの中で冷や汗を流しながら読みました。
自分だけではわからない、気づけない、整理できない何かがあるから、人は誰かに話をするわけで、「どうしたいの?」と結論を求めるのではなく、想像して一緒に悩むのが大切なのか・・・とわかるまで時間がかかりました。

もし相手が昔のウ・サギのような人なら、「これは相談ではなく、ただ話を聞いて欲しいんです。自分でもどうしたいかわからなくて話しています」と最初から伝えることで解決する可能性はあります。でも、そう伝えてみてもうまく伝わらない相手なら、話す相手を変える必要があるかもしれません。
ウ・サギはネットの世界も利用しながら、腹が立ったときの愚痴向け、優しく寄り添ってほしいとき向け、気持ちを整理して一緒に解決策を考えたいとき向け、みたいに話し相手を使い分けています。そういえば、最近はAIも聞き役としてなかなか優秀らしいです。

update 2024/11/12
Q.病んで来ていつリスカするか分からない。どうしたらいいか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.現在中1です
夏休み中にリスカを辞めることができて10月まで1度もやっていませんでした。しかし後半に入って病んで来てしまい、いつリスカするか分かりません
どうしたらいいでしょうか。

A.リスカは依存行為の一種だと思うのですが、依存については「人は苦痛を避けるために依存をする(強い刺激にふける=脳内麻薬を出す)のではないか。つまり依存は、自分で自分の落ち込んだ気分を直そうとする、いわば『自己治療』なのではないか」という有名な仮説があります。風邪を引いたときに薬を飲んだり休養するように、心が病んできたときに治療をするのは自然なことで、必要なことだとはウ・サギは思います。
だからもし今のところ自己治療の方法がリスカ以外見つからないなら、辞めようと無理をすることはおすすめしません…が、他に自己治療の方法があるともっと便利ですよね。大人はお酒を飲んだり、暴飲暴食をしたり、ドライブに行ったり、その他いろいろな自己治療の選択肢があるのですが、中1は選べるものが少なくて本当に大変だと思います。
中1でもできることで考えると、運動は脳内麻薬が出る一つの方法です。また、深呼吸、美味しいものを食べる、好きなぬいぐるみを抱きしめる、お風呂に入るなどは、エンドルフィンという幸せホルモンを出す効果があります。

あとは休養ができれば(夏休みはストレスが少なかったからリスカを辞めれたのかもしれないと想像しています)もっと楽になれそうですが、なかなか環境的に難しいのかなとは思っています。
こうやって質問してみたり、相談することで心は少し休めるかと思うので、相談できる人や先を探してどんどん使うのはおすすめです。
リスカ以外の自己治療を探して試してみつつ、なるべく休める部分は休み、それでもどうにもならないときの最終手段として時々リスカを活用する、みたいな感じでどうでしょうか。

update 2024/11/9
Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちのせめぎ合いに苦しんでいる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ちとの強烈なせめぎあいに毎日苦しんでいます。どうやったら自分とうまく付き合えるでしょうか…?

A.ウ・サギは自分と付き合うスキルはやっと中級くらいの自覚なのですが、所長たちの中では一番付き合いの難しい自分の持ち主なので、回答させてもらいます。

自分への嫌悪感や不信感と、自分を庇いたい・正当化したい気持ち…その2つがほどよく折り合いをつけれたとき、バランスのよい自我像(至らない部分もあるが、大切な存在である)ができるのかもしれない?とちょっと思いました。
いつも不信感をもつのも大変ですしアンバランスですし、自分を庇いすぎるのもアンバランスで時に周りに迷惑をかけそうですし、その2つがせめぎ合うのはまっとうな現象であるように思います。でも「強烈な」と表現してくれているように、自分の中での振れ幅や軋轢が大きいと、生きることが闘いだというくらいに大変かと想像しています。

ウ・サギは、変化や刺激を求めて頑張りたい自分vs落ち着いた生活を求める自分、情緒的で感性を重んじる自分vsロジカルで事実を優先する自分、周りへの強烈な憎しみvs人の弱さへの慈愛、助けてほしいと泣いている自分vs平気なふりをする自分、などとたくさんの対立を抱えて生きてきましたが、仲裁役になったつもりで、双方の主張を書き出して整理することをわりとしていました。
基本的に双方の合意ができたことはありませんでしたが、主張を聞いてあげたことで、どちらも少しすっきりしたというか、強烈さが弱まる感覚はあった気がします。
また、もしかしたらもっと解体してみて、自分を嫌悪する自分、何も信じられない自分、自分を応援してげたい自分、人のせいにしたい自分、みたいな4者会談をしたら何かヒントが見つかるかもしれません。(その4者会談、見てみたい……)

update 2024/11/8
Q.どうして傷つけられた時に更に自分でも自分を傷つけてしまうのか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.どうして、他人に傷つけられた時に、更に自分でも自分を傷つけてしまうのでしょうか。自分くらいは味方でいてあげればいいのに、なぜか一番の敵になっています。

A.自分が自分の味方になることは、実はとっても難しいことなのではないか?とウ・サギは感じています。
自分が自分の味方であるというのは、自分に温かい眼差しを向ける理性のようなものをもつということかと思うのですが、自分が自分に向ける眼差しは、他者から向けられた眼差しから作られる要素が大きい気がします。厳しいしつけをされていれば、自分を厳しく見るようになるし、おおらかに守られていれば、自分に(たぶん周りにも)やさしい眼差しを向けられるし、傷つけられていれば、自分でも自分を傷つけることができるようになってしまいそうです。

だからまずは自分以外の味方がいないと、自分を味方につけるのは難しいのかもしれません。それは身の周りの人だけでなく、何かの本や言葉から得られることもあります。とにかく、自分の敵になってしまう自分を心変わりさせてくれるような優しさが私たちには必要なんだ…!と、なぜか急に世間に訴えかけたくなりました。
今の世の中は、自分が自分の敵になってしまうような殺伐とした考えが、たぶん流行りすぎです。

update 2024/11/7
Q.選挙についてどう考えますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.選挙についてどう考えますか?生き辛い人ほど行かなければいけないような、でもそもそも投票所まで向かうのがかなり苦痛。ちゃんと選んで託すぞって気持ちが強すぎるあまり誰一人理解できる候補者がいないと怖くて誰にも入れたくなくて余計に億劫になったり…

A.選挙はウ・サギも「行かなきゃ」という気持ちはありつつ、出かけるのに結構なエネルギーが必要なことや、投票所の独特の雰囲気に緊張してしまうこともあり、行かなかったときの方が多いです。
選挙=一番の政治参加、みたいな風潮が社会にあるとウ・サギは感じていているのですが、それにどうしても違和感や息苦しさを感じます。政治(社会をどうしていくのかを決めること)は、一人ひとりの感じることを表現し、自発的に行動していく集積であるべきでは?とウ・サギは考えています。そう考えたときに、選挙に怖さや苦痛を感じつつもそれを言えない、理解できる候補者がいないのに誰かに入れる、というのはまっとうな政治参加とは言えないような気もします。逆に、自分の率直な感じ方を言葉にし、質問として送ってくれた行為は、一つのまっとうな政治参加の形だと思います。
選挙にどう関わるか・関わらないかは、自分の気持ちや感覚を大切に、自分が信頼できると感じる情報に触れながら(ここに質問してみるのも一つの情報収集ですね)、それぞれのペースで決めていっていいものだとウ・サギは考えます。

update 2024/11/6
Q.受験生なのに学校を休んでしまう
この記事の担当 ウ・サギ

Q.受験生なのに学校を休んでしまう

A.受験生「だから」学校を休んでしまう、という言い方もできるかもしれないと思いました。
つらいことで、自分が心からやりたいわけじゃないことなら、避ける(最低限のエネルギーでこなす)のが最適解だとウ・サギは考えています。ウ・サギの偏見と決めつけかもしれませんが、受験勉強を心からやりたいと思う人はいないし、経験的に、どこの学校に入るか(または入らないか)は人生をあまり大きくは左右しません。その場所で何をするか、自分がどれほどまともなコンディションで過ごせるかの方が、よっぽど人生を左右します。
つらいことの回避は、これからを生きるためにとても大切なことなので、休めるあなたには賢さと強さがあると言いたいです。
とはいえ、ストレスや葛藤は大きいかと思うので、何か手助けしてくれる存在は探したいところですよね……。
生きづLABOのこの記事では心の調子が悪いときに使える社会資源がたくさん紹介されているので、よかったら参考にしてみてください。

update 2024/11/6