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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.母が精神科やカウンセリングにかかる人を馬鹿にしているが、私は努力してる人だと思っている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.母が精神科とかカウンセリングにかかる人を馬鹿にしてるのですが、私はそういう人は今ある状況を打破したくて努力してるすごい人だと思ってて、ここの人なら共感してくれるかなと思ったんですけど率直にどう思いますか?

A.あなたの意見に賛同です。(そして、共感してくれると思ってくれたことに光栄な気持ちになったウ・サギです)

精神科に行くのでも、引きこもるのでも、自傷行為をするのでも、自分を自分で助けようとしてやっていることだとウ・サギは思います。もっとよい方法がありそうな場合は提案し、一緒に考えていけたらいいとは思いますが、馬鹿にする要素も馬鹿にする権利も、どこにもないはずです。

ネットで調べただけの情報ですが、アメリカでは、心の調子を整えるために気軽にカウンセリングを使うそうです。日本でいうと、整骨院とかマッサージとか、そういう感じに近いのかな?とウ・サギはイメージしています。

それに比べると、日本ではカウンセリングは「病んだ人が行くもの」といったイメージがあると感じるので、あなたの母はそういった風潮に影響されているのでしょうかね……。

自分の力だけで対処するのが大変な体の痛みがあったらマッサージを使うように、自分の力だけで対処するのが大変な心の痛みがあるならカウンセリングを使うのは、自然で健全な選択だとウ・サギは思います。

ちなみに、命に関わる危険があると判断されない限りは、カウンセリングを利用していることも、話した内容も周りにバレないはずなので、使いたいときは使って大丈夫とも伝えたいです。

update 2025/1/22
Q.生理が嫌すぎる。自分の体が受け入れられないです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.生理が嫌すぎる。自分の体が受け入れられないです。ちょっとでも楽になる方法があれば、教えて下さい。

A.今の肉体は仮の容れ物であると捉え、いつかのタイミングで適切な容れ物へと移り変わる計画を支えにするとか・・・?というのが、とりあえず浮かびました。(ウ・サギは、仕事が嫌すぎるとき、辞める計画を支えにして耐えます)
実際に肉体が完全に移り変わるわけではないですが、生理をなくすということだけなら、男性ホルモン注射、性別適合手術で可能です。といっても、あなたの性別の望みがわからないので、そういうことじゃなかったらすみません。

いずれにせよ「自分の体」に「生理がある」ことが受け入れられないポイントかと感じたので、自分の体ではないという方向か、生理ではなく謎の出血や血涙なのだという方向に捉えられたら、ちょっとくらいは楽になる可能性があるのかなと思いました。

update 2025/1/16
Q.「戦争はだめ」という一方で、戦国時代や武将がかっこいい風潮があるのはなぜか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.近代史の授業では「戦争はだめだよね」みたいな話を何度もするのに、戦国時代とか武将とかがかっこいいという風潮があるのはなぜなのでしょうか。どっちも悪くない人を無意味に殺しているという点では変わらないのに。昔も今も結局変わらないですね。

A.なかなか鋭い視点に頷いているウ・サギです。
ただ、近代の戦争のように安全な空から爆弾をおとして罪なき市民を殺す行為と、武士同士で殺すか殺されるかの戦いをするのとでは、多少違いはあるかもしれません。

人間の暴力性について、昔も今も結局変わっていないのは同意です。歴史から学ぶためには、暴力を「誰か悪い人がしたもの」みたいに外の問題として語るのではなく、「自分も起こしうるかもしれないもの」として、その本質やメカニズムに目を向ける必要があるとウ・サギは考えます。

「アウシュビッツ 子どもたち」という、そのことをよく表現してくれている、深くてわかりやすい詩があります。
生きづLABOの協力者のブログで全文が紹介されているので、ぜひ読んでみてほしいです。

update 2025/1/14
Q.やっぱり馬鹿な子ほど可愛い?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.やっぱり馬鹿な子ほど可愛い?

A.「可愛い=大人から子どもへの庇護欲求が強く出る」と定義して回答すると、馬鹿な子ほど可愛いと感じるかは人それぞれかと思いますが、傾向としては、自己主張できて感情表現が素直な子ほど可愛がられやすい部分があるように感じます。
(これも人それぞれではありますが)大人は意外とにぶくて、日常に追われている生き物でもあるので、目に見えづらいもの、分かりづらいものは見逃したりちょっとスルーしてしまう場合があるかもしれません。

ウ・サギはひねくれている子ほど可愛い派閥ですが、それはそれとして、みんなが必要な分だけ可愛がられたりケアされてほしいと切実に思います。
可愛がられるためのアプローチとしては、にぶそうな(?)大人相手なら感情を強めに出したり手紙でしっかり気持ちを伝えるとか、他に自分を可愛がってくれるタイプの大人を探すか、相談に乗ることを専門としている大人(身近であればスクールカウンセラー、匿名ならSNS相談など)に話を聞いてもらうとか、そんな手があるかなとは思いました。
理想をいえば一点集中ではなく、色んな人に色んな距離感で可愛がってもらえると気持ちが安定しそうですが、そんな機会が少ない世の中だとも感じるので、困りますね……。

update 2025/1/9
Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいって思うことはダメなことなんでしょうか?

A.何もダメなことはないと思います。今調べたのですが、憲法第19条には「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」と書いてあり、心の中で何を考え何を思うかが自由であることが保障されています。

そもそも何を思うかは、「思ってしまう」「感じてしまう」「考えてしまう」という自分の意思でコントロールしきれないものだと思うので、ダメだと言われても困っちゃう気がします。
とくに死にたいについては、何かしらのつらさや違和感や虚しさのもたらすものかと思うので、思う側ではなく、そう思わせてしまう社会(死にたい人の周りにあるストレス、理不尽な現実)に目を向けるべきだとウ・サギは考えます。

update 2025/1/6
Q.みんなはクリスマスなにしてた?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.みんなはクリスマスなにしてた?

A.所長たちみんなで過ごしていました。鹿肉ロースト、とりハム、ポテトグラタン、エビと帆立とブロッコリーのアヒージョ、ピーマンとちくわの炒め物、フルーツポンチ、フルーツタルトを手作りして食べました。美味しかったです。

update 2025/1/6
Q.「死にたくていい、そのままでいい」に所長(代理)さんも賛成しますか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「死にたくていい、そのままでいい」なんて言葉をよく聞くのですが、所長(代理)さんもその言葉に賛成しますか?全く悪意はなく、寧ろ善意で言われているのに、違和感を持ってしまう自分が嫌いです。

A.その「死にたくていい、そのままでいい」は、「死にたいと思うことを否定しないし、言っても大丈夫だよ」といった意味合いで使われているのでしょうね(たぶん)。でもだとしたら、「死にたいと思うことを否定しないし、言っても大丈夫だよ」という言葉にしてほしいところです。

ウ・サギは死にたい気持ちを抱えており、かなりそれが深刻な時期もあったので、当時「そのままでいい」なんて言われたら「何も知らないくせに気楽なこと言いやがって」と内心ブチ切れてただろうと思います。
どんなに善意だろうと、むしろ善意であればあるほど、自分よりつらくないだろう人から想像力の足りない(と自分は感じてしまう)発言をされるのは、もやっとするものだとウ・サギは思います。

違和感は誰かと一緒に研究・解剖すると、自分への理解も周りへの理解も深めることにつながっていくとウ・サギは感じます。
また何か違和感があったら、いつでも質問をください。

update 2025/1/6
Q.制服でトランスジェンダー向けのズボンは増えてきたけど、スカートはなぜ少ないのか。悲しい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.最近、トランスジェンダー向けのスーツや制服などが増えてきたように感じます。ですが、ほとんどFTM向けのズボンです。スカートはなんで少ないんでしょうか。悲しいです。

A.自分の望む装いが叶わないのは(あなたはスカート希望なのかなと推測しています)、ほんとに悲しいですね…。
見た目も自分の大切な一部でアイデンティティなので、そこで自分らしさが叶わないのは、人格や心の一部を不当に奪われているに等しい気がします。(逆に、それが平気な人は、見た目があまりアイデンティティと結びついてないのかもしれません)
誰がスカートだろうとズボンだろうと誰に迷惑をかけるでもないはずですし、そもそも制服を着ない自由もあるべきだし、選択肢は多ければ多いほど社会は健全だと思うのですが、選択肢が少ない社会で残念です…。

スカートの制服を割り当てられた人がズボンを穿くよりも、ズボンを割り当てられた人がスカートを穿く方があまり進んでいないのは、なぜなのでしょうね…。
私服でシス女性でもズボンは一般的で、シス男性のスカートはまだ一般的とは随分距離があるので、何かしら感覚的な抵抗を感じる人が多いとかはあるのでしょうか。倫理的な問題がなくとも、「感覚的な」抵抗をもつ人が多いほど(感覚で誰かの自己表現を制限されても困るのですが)、選択肢を増やす足取りは重くなる気はします。

こうやって率直に、「なんで?」「悲しい」という発信をしてくれることは、みんなが考えるきっかけになるので、とても大切だと思います。

update 2024/12/29
Q.相談員さんは「話してくれてありがとう」などと言うけど、どうしてそんな事を言うの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.相談員さんは、「話してくれてありがとう」「今回は死なないと言ってくれてありがとう」「また貴方と話したい」などと言ってくれます。けど、お礼を言うべきはこちらなのに、私にそんな事言われる価値なんてないのに、どうしてそんな事を言うんですか?

A.相談員さんごとに理由は違うかもしれないので、「こうかも?」とウ・サギが思うことを並べるだけになりますが、
・あなたに相談することへの不安や申し訳なさを感じ、それを和らげたいと思った
・大変そうな状況のため、また相談してもらうことが必要だと感じた
・そういった言葉がけがマニュアル的に推奨されている
・相談者に死なれてしまうのが自分は怖いから、死なないという言葉に安心してそれを「ありがとう」と表現した
などが浮かびました。

「話してくれてありがとう」は、死にたいと言われたときや、何か言いづらいことをカミングアウトをされたときなどに、そう言葉がけをしましょうと推奨しているパンフレットやら動画を時々見かけます。それは、私は否定せず受け止めるよ、安心して話して大丈夫だよ、と伝えるのが目的だという話だとウ・サギは捉えています。
だから「ありがとう」という言葉は、感謝というよりは、話して大丈夫だよというメッセージの意味合いが強いかもしれません。(日本語って難しいですね…)

update 2024/12/27
Q.認めてほしい気持ちと、誰にも認識されたくない気持ちがせめぎあっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.誰かに自分を認めてほしい気持ちと、自分は存在自体が恥ずかしいから誰にも認識されたくない、消えてしまいたいという気持ちがせめぎあっています。人に認められるだけの価値など自分にはないと分かっているのに。

A.消えたい気持ちの中には、恥ずかしいという思いが含まれていることが多いと何かで見たことがあるのですが、恥というのは一体どこからどう生まれる気持ちなのだろう、とウ・サギは常々研究したいと思っています。
こうあらねばという強迫的な理想とかがポイントだったりするのでしょうか…?

何が「人に認められるべき価値」になるのかウ・サギにはわかりませんが、こうやって生きづLABOを訪れてくれたことも、質問を送ってくれたことも、一つの認められるべき行いだとウ・サギは思います。
なぜなら、それは自分で感じて、自分で選んで、自分でした行動だからです。脅されてとか、誰かに扇動されてとかで、サイトを見にきた人はたぶんいないですよね。
そういった自主性は、いわゆる普通に生きている人たちよりも、むしろ生きづらい人の中にあると思いますし、生きやすい世の中になるためには自主性の復興(?)が大切だとウ・サギは感じています。
勝手に語ってしまってすみません……。

update 2024/12/24