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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.親が無職、精神疾患、いじめなどの話題を振ってくる。私にとっては他人事ではないのに…
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親が引きこもり、無職、精神疾患、いじめ、自殺などの話題を私に振ってきます。「自分たちには関係ない、他人事」みたいなノリで。私は現在無職だし精神科に通院しているし、過去にいじめにあってるし死にたい気持ちもあるので他人事ではないのに…。

A.こっちへの想像をしている様子もなく自分が傷つく話題を振られると、メンタルをやられつつも何も言えなくなるウ・サギなので、その心の声が溜まっていく感じに勝手ながら共感しました。
そういう相手とは、物理的に距離を置けたらいいのですけどね…弱っていると働くのが難しい場合も多いので、離れたいにも離れられず、なかなか回復が進みづらい構造になっていると感じています。
気持ちを外に出すことで楽になる部分はあるかと思うので「○○なのに…」ともやもや、傷がうずいたら、この質問でもネットの他の何かでも、どんどん吐き出してほしい、とは伝えたくなりました。

update 2025/2/10
Q.偏差値でグループ分けされて上位のグループであるほど良いという風潮がつらい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.早慶とかMARCHとか偏差値でグループ分けされて、上位のグループであればあるほど良いという風潮がつらい。気にしないようにと思っても、先生や友達もその基準ばかりで、どうしても気にしてしまう。

A.偏差値は高いほど良いというのが「真実」だとみなすような人も増えてきた(と感じられる)世で、それを「風潮」「基準」と表現してくれる人がいるのに希望を感じたウ・サギです。

ただ、周りと基準が合わない、気にしないようにしても気にしてしまう、というのはしんどいだろうと想像しています。
自分の気持ちや価値観を安心して表現できる居場所がないと、心は弱っていくよなあ、と自分の経験も振り返りながら思います。

それにしても、偏差値が上の方が良い、というのは何をどう根拠にしてそう思っているのか?先生に聞いてみたいですね。
その問いにきちんと自分の言葉で答えられる人はいないとウ・サギは思うし(就職のためのちょっと有利な要素くらいになるとはいっても、たかが一つの要素になるだけだし、学歴がないのが貧困に結びつくならそれは社会が間違っているだけです)、根拠もないことを信じている人の言葉に、負けたくはない・・・でも、周りがみんな言っていたらウ・サギも気にしてしまう・・・とぐるぐるしています。

何が上だとか下だとか、良いとか悪いとかではなく、人間は一人の感じ考える存在であることが、等しく価値のあるものだとウ・サギは思います。

update 2025/2/10
Q.外見コンプレックスがひどくて苦しい。どうすれば救われるのか。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.クラスメートや親戚からの扱いで、自分に自信を無くしました。特に外見コンプレックスがひどく、鏡を見たり自撮りしたりするのを、本当は面倒なのにしてしまいます。その感覚が苦しいです。どうすれば救われるのでしょうか。

A.周りからの扱いの後遺症でコンプレックスに囚われてしまうのは、ウ・サギも周りでも苦しんでいる人がいるので、う~ん悩ましい・・・と感じました。
あなたも「感覚」と表現しているように、感覚や感情の話だと思うので、これを意識しようとか、こういう理屈で考えようとか、思考の方で対処しようにもなかなか難しいかと思います。

周りからの扱いでコンプレックスが生まれるなら、逆に外見を気にしない扱いをされたら、少しずつ変わってくるものがあるかも?と思ったのですが…どうでしょうか。
例えば、赤ちゃんや動物などは、外見なんて全く知ったことではありません。あとはコミュニティによって優先される評価指標は変わるので、アウトドアでは火起こしをできる人が一番偉かったり、子ども相手では面白い遊びを生み出せる人が一番好かれたり、生きづらい人の世界であれば、コンプレックスを経験している人が周りへの思いやりを持てて、評価されるかもしれません。

誰かとの関わりで生まれた傷は、誰かとの(それはネット上かもしれないし、人間以外かもしれないし、本などかもしれないです)関わりによって癒される部分が大きいとウ・サギは感じています。
完全にコンプレックスから解放されなくても、鏡を見ている自分に、もう一人の客観的な自分が「外見を気にしちゃうのもまあ仕方ないことか」「それだけ傷ついたもんね」と優しくする感じになれたらいいな…なんて想像をしました。的外れな回答だったらすみません。

update 2025/2/10
ウ・サギの過去質問箱一覧
この記事の担当 ウ・サギ

所長たち個別のXアカウントを削除するため、質問箱(Peing)で回答していた質問をまとめました。
(一部、当時のXの内容を見ないと流れが不明なものや、固有名詞の出ているものなど、載せていない質問もあります。ご了承ください)

Q.切なさを感じた事ありますか?
A.切なさ…悲しさ、寂しさ、恋しさなどで胸がしめつけられる気持ち、ですか(調べてみました)。
あまり感じた記憶はないのですが、あえて感じないように自分を麻痺させているような気もします。
 
Q.自分は、親に私自身のナラティブを確立しない様に望まれながら生きてきたのだろうな、と思いました。現在、自分のナラティブと呼べるものを頭に描いたときに、「よいもの」「悪いもの」「大切なもの」「恥と思うべき事」「適切」「大げさ」など様々な基準のイメージが襲い掛かってくる気持ちになります。1つの基準に決めるのを妨げようとされてる感じです。「間違ってるんじゃないの」というようなイメージの揺さぶりも思ったりします。自分のナラティブ、自分で決めていいよ、とイメージして不安をおさめています。ナラティブは大切なものなのに、それを構築させまいと望む人は、一体何が目的だったのでしょうか。分からずに質問させていただきました。もし何か一般的なものがありましたら、教えてください。よろしくお願いします。
(注:ウ・サギのナラティブ講座を読んでの質問だと思われます)
A.記事を書く時間がとれないので先に短く答えます。ナラティブを構築させまいと望む人は、自分のナラティブが未熟な人なのかもしれません。成熟したナラティブは「人の数だけ正解や真実がある」のを受容できますが、未熟であると「世界の(正しい)物差しは一つだ」と信じてそれを人に押し付けがちです。
 
Q.男女の恋は成立すると思いますか?
A.恋は性別関係なく(人によっては性別が影響することも多いですが)成立すると思います。
でもウ・サギは大切な関係性には「恋」という名前をつけず、オンリーワンを目指していきたいです。
 
Q.心が行方不明になりました。どうやって探したら見つかってくれるんでしょうか…
A.もし可能なら、誰かと一緒に探すのがいいかも?と思いました。でも相手を間違えるとさらに行方不明になりそうな気もします(苦笑)
 
Q.カレーのポップコーンが食べたいです
A.いいですね。ポップコーン作って、それにカレー粉まぶせば完成でしょうか。この前少し久しぶりにポップコーンを作ったら、フライパンと蓋の組み合わせが悪くて、10粒くらい無駄にして悲しかったです。他の粒が爆ぜて飛ばされた子が、隙間から逃げていきました。
 
Q.勉強に辛くなると、絵を描いたり、音楽を聴いたりなど現実逃避をしてしまいます。時間があっという間に過ぎてしまうので、何か対処法はありますか?
A.絵を描いたり音楽に没頭する時間があることが、あなたが勉強を続けるために必要なようにウ・サギは感じたので、対処法は….難しいですね。そのままでいいとウ・サギは思ってしまいました。勉強お疲れ様です。
勉強はしたくなかったらしなくていいし、しなくても生きられるよ、ともすごく言いたいです。
でも質問者さんが「勉強をしたいorしなくてはならない」事情があるように感じたので、この回答をしました。
update 2025/2/10
Q.働いてるけどひかれものばかりで生活が苦しい
この記事の担当 ウ・サギ

Q.働いてるけどひかれものばかりで生活が苦しい
生きるって大変すぎるしにたい

A.短い文章から、疲労や切迫感がありありと浮かんでくるように感じられて、どうしてこんな世界なのか・・・と悔しく、もどかしくなりました。

税金が高いことなどをこの質問で言っていると読み取ったのですが、税金は本来「みんなが互いに支え合い、共によりよい社会を作っていくため、この費用を広く公平に分かち合うことが必要」なものであるはずなのですよね…。(財務省のサイトから抜粋)
だとすると、今は本末転倒で、何かおかしいことが起こっていそうです。

しにたい=生きるのが大変すぎる、というのは一つの真理かもしれないと感じました。
これだけ「しにたい」と思う人が多いのは、生きるのが大変すぎる世の中になっている、という警鐘だと改めて思います。

update 2025/2/7
Q.ちょっとADHDかな?と自分に思うのは、トクベツになりたいのかADHDなのか、どっちだと思う?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっとADHDなのかな?って思う部分が自分にある。でも親は本気でそうは思ってないらしくて。多分、私は、自分が何かトクベツなものになりたいの。何かトクベツな枠に当てはまりたい、ただそれだけなのか、ほんとにADHDなのか、、、どっちだと思う?

A.自分が何者か(=アイデンティティ)というのは、生きる上で大切な、でもとても難しいテーマだとウ・サギは感じます。

あなたがADHDかどうかはウ・サギにはわかりませんが、トクベツなものになりたい気持ちは、周りに何かしら馴染めない、自分は周りとどこか違う気がする、という感覚から生まれたものだと想像しました。
だとしたらその感覚は信じていいと思いますし、ADHDに当てはまらなくても、何かそのトクベツに自分で名前をつけていいと思います。

ウ・サギは周りとどこか違うと感じてきた民ですが、自分はトクベツではなく、「すごく極端なだけの当たり前の存在」だと思っています。傷つくポイントは変わっているけど、きちんと傷つくし、求めている関わりの質はマニアックでも、誰かと関わりたい気持ちはある、といったニュアンスです。

update 2025/2/7
Q.死ネタの儚い感じが好き。私の趣味ってなんとなく変?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ちょっとオタクの話になってしまうんだけど。死ネタの、儚い感じが好きなんだよね。愛に溢れてて。自分でも小説を作ったりしてて。でもそういうのを周りに理解されなさそうで、自分は死ネタが好きって言うのが怖い。私の趣味ってなんとなく変?

A.ウ・サギはその界隈にあまり詳しくはないのですが、「死ネタ」という言葉がある時点で、そのジャンルは一定の支持を獲得しているのかなと思いました。
そもそも趣味は全部変だし、全部変じゃないとウ・サギは思っています。
ちなみにウ・サギは、某ねずみの夢の国に行く人々が、最も変な趣味の持ち主だと思っています。死ネタは、ウ・サギ的には全然変だと思いませんよ。
つまり、どんな趣味も変じゃないけど、どんな趣味も「変なの」と思う人がどこかにはいる、ということです。

変だと個人的には思っても、否定的に捉えるのでなく、どうしてそれが好きなの?どうして変だと思うの?と、お互いに話せる関係ならいいのですけどね…。そうじゃない場合は、理解されずにあなたが嫌な思いをする可能性があるので、言うのが怖いというのは自然なことかと思いました。

update 2025/2/7
Q.無意識に人を傷つけたり怒らせてしまう。もう自分も人も傷つけたくなくて学校に行けない。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.昔から無意識に人を傷つけたり怒らせたりしちゃって、毎回時間が経ってからそれに気づく。謝っても中々許してもらえない。もう自分も人も傷つけたくなくて学校に行けない。クラスで浮いてる。自傷もしちゃう。死ぬしかないですか?

A.無意識に人を傷つけてしまうのは、自分の言動が自分の思い(傷つけたくない)通りにいかないといえるので、それは生きづらく、また自己嫌悪も抱いてしまうだろうと想像しました。

ただ、あなたは人を「傷つける」「怒らせる」と、自分に原因があるという見方で物事を捉えていると感じたのですが、ウ・サギはそれが「傷ついてしまう」「怒ってしまう」相手がいて起こるという側面にも目を向けたいと思います。

例えば、
Aさん:寝ちゃってテスト勉強しなかったせいで点数悪かった…
Bさん:じゃあ寝ないでやればよかったのでは?
という会話をすると、Bさんに悪気はなかったのにAさんを傷つけてしまっていることがあります。

その場合、実はこういった言われていない心の声があるかと思います。
Aさん:寝ちゃってテスト勉強しなかったせいで点数悪かった…(テスト勉強するべきなのはわかっていたけど、失敗しちゃった自分に後悔してる。慰められたり、共感されたりしたいな)
Bさん:じゃあ寝ないでやればよかったのでは?(失敗したくなかったんだな。じゃあ、そうしないための解決法を提案しよう)

ウ・サギは、AさんBさんどちらが悪いかというと、どちらも悪くないと思っています。
傷つけるの構造は、
・傷ついた側が、話の大切なポイントを、言わなくても相手に伝わるだろうと思い込んでしまい、言っていない
・傷つけた側は、自分が読み取れたものに対して、親切な対応をした
のスレ違いであることが多いとウ・サギは考えています。

今の社会は、言葉にされていない気持ちを汲み取ってもらえる前提になりがちなので、言葉になっていないものを受け取るのが苦手な人には、余計に難しくなっていると感じます。
大人同士でもこういったことはよく起こるので、人間関係の経験が浅い子ども同士なら尚更スレ違いが多く、スレ違いを解消することも当事者の力だけでは大変だろうと思います。

傷つけないコミュニケーションを目指すだけなら、コミュニケーションの「さしすせそ」は参考になるかもしれません。(興味があったら調べてみてください)

自分も相手もちゃんと理解して、自分らしいコミュニケーションを身につけていきたいなら、大人と関わる中で練習することをおすすめしたいです。

学校のクラスはコミュニケーションを学ぶ場としては、色々とハードすぎるとウ・サギは思います。
あなたが学校に向いていないのではなく、学校があなたに(多様な人に)向いた場所になれていないのです。
そこは大人として、ただただ申し訳なく思います。

update 2025/2/7
Q.性別違和があればホルモン治療やSRSしたいのが当然、という主張が嫌。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.性別違和があればホルモン治療やSRSしたいのが当然、しないと埋没できない、みたいな一部の当事者の主張が嫌。人それぞれだと思いつつも、変に比べてしまってつらい。一部のトランスジェンダーは、既存の男女二元論に囚われ過ぎだと思う。

A.今の世が「見た目」で性別を周りに決められて、性別によって扱いがかなり変わってくるせいで、埋没せねばという気持ちが高まる(当事者が一定数いる)傾向はあるのだろうな・・・とはまず思いました。
もしこの世の中で、男・女の扱いが何も変わらなかったら、性別違和があっても日々の苦痛や葛藤はかなり軽減されるのでしょうかね…?とはいえ、ほとんどの場合、体は男・女のどちらかですし、体は一つのアイデンティティなので、それで違和を感じる人がいなくなるわけではないとは思います。

どんな人の考え方にも間違いはないと思いますが、ウ・サギはあなたの感じ方と近しい考えをもっていますし、男女二元論というものについて、トランスジェンダーもそうじゃない人ももっと意識化して、議論していく必要があると思います。(そのあたりの問題意識と関心が強かったので、質問で「男女二元論」という表現が出てきだけで、実はちょっとテンションが上がっていました)
それぞれの囚われや違和感を話していく先に、きっと本当の自分らしさで生きられる世界があるとウ・サギは思います。質問ありがとうございました。

update 2025/2/6
Q.怒りたいのですがどうしたらいいですか
この記事の担当 ウ・サギ

Q.怒りたいのですがどうしたらいいですか

A.ウ・サギは強い復讐心を抱えていつつも怒るのが苦手な民なので、似たような感じなのかなあ…と想像して、自分が一番怒り狂っていた時期を振り返っています。
ウ・サギは、怒りの感情を乗せられる曲をカラオケで歌う、絵などの創作で表現する、恨みつらみをありったけ込めた手紙や文章を書く、などで怒りを排出していましたが、吐き出しても吐き出してもなかなか楽にならなかったことも覚えています。
うまく怒れないときは、誰かに一緒に、または代わりに怒ってもらえると少し道が切り拓けるときもありました。自分が「あの出来事は別に大変じゃなかったし、傷ついてもいない」と思っていたものが、話してみたら「いや、それは大変だったのでは…?」と言われ、過去の感情に初めて気づいたこともありました。

今は一応怒り狂っている時期は抜けましたが、自分を「怨みお化け」だと思っていますし、お化けなりになんとかやっていこうと諦めています。
もしよかったら、一緒に怒りを研究してみませんか。

update 2025/2/6