Q.加害者なら苦しめていいという風潮が苦手です。許せない気持ちが間違っているとは思いませんが、「だから苦しんで当然だ」なんて残酷だと自分は思います。誰かを苦しめた人が、それを理由に苦しめられることについてどう思いますか?
A.「人を憎んで罪を憎まず」という言葉が人間界にもありますが、憎む(問題視する)べき対象は行為で、誰か個人を責めてもあまり意味がないと思っています。だから、加害者叩きのようなものはウ・サギも苦手だし、不毛だとも感じています。
ただ、あなたも言っているように許せない気持ち自体は間違いじゃないとウ・サギは思うし、止められないものだし、被害に遭った人は何一つ許さなくても全然OKだと思っています。一方で、被害者に移入して「許せない」と思っている周囲の人には、ちょっとよく考えてほしいと思っていて、本当に許せない・二度と起こらないでほしいと思うなら、その加害が起こってしまったメカニズムを解明して再発防止にみんなで頑張らないとダメだよね?とウ・サギは思っています。
我々は心をもつ不完全な生き物であり、時に過ちを犯す存在です。
だから、どんな暴力も「誰かのやった悪いこと」ではなく「自分も起こしうるかもしれないこと」「自らに内包されているもの」だとウ・サギは思っているし、敵はいつも、本質的には外にではなく自分の中にあると考えています。
だから全員が、加害者になった/なりうる/実はなっていたかもしれない苦しみに悶えて、一緒に背負い、一緒に考えていける世をウ・サギは希望します。