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困りごと知恵袋

性被害に遭いました。不注意だった自分にも問題があるのでしょうか…?

被害に不注意は関係ありません。あの時こうしていたら、違う選択をしていたら、もう少し○○だったら…という気持ちは後悔からくる自然なものですが、そもそも性暴力が起こってしまう社会のあり方に問題があるのです。

最近MeToo運動が広がっていることもあり、性被害がやっと表面化され、注目されるようになりました。これまでは、性被害が当事者にとって誰かに言うのが難しいこと、なかったことにしたい出来事であり、当事者が封印せざるを得なかった側面と、男性中心の社会の中で不都合な事実であることから歴史的に見ても研究や支援策が進まなかった側面があり、課題や現状の把握、対応策についてかなり遅れていました。それが、最近少しずつですが変わり始めてきました。

しかし社会の中にはまだ、性被害があまりにも多く潜んでいます。
潜んでしまう理由の一つが、被害者の抱く「自分も悪かった」という気持ちです。この気持ちは、受けてしまった心のダメージを少しでも抑えることを考えると、妥当で自然な自己防衛だと思います。「自分も悪かったから、次は気をつけよう」「不注意だったのだから、仕方がなかった」など、ショックな出来事を自分なりに受け止めるためには、せめてもの理由や納得が必要です。
ただし、実際に悪かったかと言うと、そうではないのです。いくら不注意があったとしても、被害にあうことが「仕方ない」とはなりません。「性欲があるから仕方ない」「刺激する方も悪い」といった話をする人もいますが、例えば食欲があるからといって、誰かの食べ物を奪っていいことにはならないように、自分の欲を満たすために他人を侵害するのは許されない行為です。

誰が悪いかという意味では、加害をする側ですが(とにかく被害者は何一つ悪くありません)、一番の問題は、性被害が起こってしまう社会のあり方です。今の社会には、女性や子ども、障がい者などの社会的弱者は、「守ってもらえるのだから少しくらいは我慢すべき」「強いものの言うことを聞くべき」などという暗黙の価値観がまだあります(そういった強い者が弱い者を導くのが当然という考え方を、専門用語でパターナリズムといいます)。そうした価値観が、加害者の自己正当化を助長し、被害者が泣き寝入りを選択せざる得ない状況をつくっています。

でも、もしあなたがやっぱり「自分が悪かった」と思うのなら、無理に考えを変えたり、自分の感じ方を否定する必要はありません。何が悪いのか、性被害を無くすためにはどうしたらいいかを考えるのは、被害を受けていない人(もしくは被害を受けても「自分は悪くない」と思うところまで回復できた人)たちの仕事です。あなたはまず誰かと一緒にショックを受け止めて、心身を回復することに専念してほしいと思います。
あなたがショックを自己責任で抱え込んでしまうことのないように、不注意であろうとなかろうと性被害に遭わないように、社会の仕組みを変えていく必要があると私たちは考えています。

最後になりますが、性被害への対応や相談について内閣府が特設ページを開いて紹介していますので、参考にしてください。