今の日本社会では「学校は行かなくてはならないもの」という風潮があり、不登校は一つの問題として扱われがちですが、その問題の本質は、一体どこにあるのでしょうか。
学校に行かない時期があった当事者4人に、当時のことを振り返ってもらいながら、子どもが育つために必要なものについて考えます。
登場人物
生きかたカエル
司会進行。プロフィールはこちら。
ぐりこ
きれいな空気と空が好き。考え事が止まらない。常に疲れている。
山尾まや(仮名)
言葉で考えるのが大好きな頭でっかち系ADHD。都会育ちの一人っ子。
榎きのか(仮名)
感覚に圧倒されて行動不能になりがち。食べたいものを食べるのが好き。
しば
音楽と生き物が好き。やるべきことを先延ばしにする傾向がある。
– 目次 –
- 【前編】それぞれの不登校ヒストリー
- 1.不登校プロフィール
- 2.「どうして学校に行かないの?」と言われた時のこと
- 3.大人との関わり(良かった点、悪かった点)
- 【後編】子どもが育つために必要なもの
- 4.子どもが追い込まれてしまわないためには
- 5.大人に伝えたいこと
1.不登校プロフィール
カエル 今回の問いは「どうして学校に行かないの?」です。愚問なんだけど、支援者は言うんですよ…。まあまずは、皆さんの学校に行かなかった実態を聞いていきますか。
ぐりこ 私が行ってなかったのは高校2年生、17歳の時の約1年間ですね。その年度は丸々行ってなくて、翌年度から単位制の高校に転校して、もう一度高校2年生からやり直したみたいな感じです。私は小中学校ではいわゆる優等生で、全然行きたくないけど「行かなきゃ」が強すぎて、学校はほとんど休んでいませんでした。でも高校1年生ですでにいろいろやばい症状が出始め、ちょこちょこ休んだりはしていたんですけど、休んだら小テストとかが溜まっていくし、課題も終わらなくなるし…で。2年生で完全に無理になって、という感じでした。
まや 私は不登校という定義のレベルで行ってなかったのは、中学2年生の2学期の数か月だけです。1学期の時に検査入院をしたら1か月入院になっちゃって、そのまま夏休みに入って、そのまま(学校に)行かなかった。それ以外もずっと休みがちな人生で、喘息で体調崩したり頭痛いとかもあったし、行きたくないから行かないとか理由をつけて行かないみたいなのも大学までありましたけど、不登校という程のものはないです。
きのか 私は、不登校の定義のレベルで行ってなかった時期はないと思います。中学1年生の夏から家にもいられなくて、不登校はできなかったので。でも保健室もいづらかったから廊下にいて、半分ぐらい授業に出たり出なかったりという感じだったんですけど、中学3年生の時は高校進学のことを考えて1年間休まずに通いました。でも高校に入って1年生の夏頃に、出席日数が足りなくなってきたのもあって行かなくなり…そこから学校には復帰していないですね。そのまま学校というものには触れず、通信制大学だけやってちびちびやって卒業し、今に至る感じです
しば 私は小学5年生から中学3年生までなので、ざっと5年です。小学生の時はたまに保健室登校とかしたり、児童相談室みたいなのに行ったりしてましたけど、中学校入ってからはほぼ1日も行ってないですね。1年生の終わり頃に、「来たら推薦してあげる」みたいなこと言われて、進学のためにちょっと行っただけ。高校からは学校に行くようになりました。
2.「どうして学校に行かないの?」と言われた時のこと
カエル 皆さん本題に入ります。「どうして学校に行かないの?」って言われたら、どう思いますか?たぶん、実際に言われたこともあると思うんだけど…
ぐりこ 言われましたね。学校の先生に、親、兄弟…。でも、なんて答えたかは覚えてない。その時はとりあえず全てを放棄したいというか、何も受け入れられなくて。クラスメイトから「どうした?」とかってメールも来たけど、返信もできなくて段々疎遠になったし、本当にコミュニケーション拒否状態で。自分でも「もう無理」っていう感じだったから、なんでって聞かれても。
カエル 困っちゃう?
ぐりこ 困っちゃうし、今まですごく頑張ってきたみたいな感じがあったから、限界に達してこういう状態なのに、それを周りの人が理解してくれているという風には思えなくて…。
カエル なるほどね。閉ざしちゃった感じ?
ぐりこ そうです。今までの自分を認めてもらっていないような気がして。
カエル 否定的に聞こえるんだね。「なんで学校行かないの?」って、学校は行くものという前提でしている質問だしね。でも「わかってもらってない!」って突き放すのもエネルギーがいるから、そんなエネルギーも無くて、かしゃんって閉ざしちゃった感じかな。
ぐりこ そう。
まや 私もたぶん言われたんでしょうけど、あまり覚えてない。でも、小学1年生の時に学校から勝手に帰って、親と一緒に呼び出だされたことがあって、そのとき「なんで?」みたいに聞かれて、全然言葉にならなかったのは覚えてる。
カエル 1年生だもんね。
まや なんでかは知らないって感じだったけど、「行くべきなのに、なんで行かないの」って責められているように聞こえて、わかってもらってないと感じ取ると、小学生の時は怒ってました。私は支援者とか教員とかそういうものに対して、すごい反抗心が強かったので。別に暴れるとかは何もしないけど、ムッとして黙るみたいな。
カエル なるほど。
まや 学校の先生に対しては、不信感がすでに溜まっていて味方とは全然思っていなかったので、そういうことを言われるといちいち怒ってました。先生は贔屓があったり、仲良くしてる男子生徒を見て「お前ら△△(※差別用語)か~」って言ったりとか、いろいろあって。「こんなまともじゃない運営をしているくせに、それを押し付けてくるなんて」っていうことだと思うんですけど。カウンセラーに木を描かされたりとかも、こんなことで私のことがわかるわけがないでしょって思ってたし。
きのか 私は、わかんないよって感じでしたね。言われた当時は。「知らんから」みたいな。
でも、段々わからないなりにわかるようになっていく時期があって。一番最初にわかったのは、小学校は全く安全な場所じゃなかったってこと。小学1年生から陰口みたいなのがすごくいっぱいあって、女の子たちにいじめられてた。当時の担任は「学級はこうあらねばならない」をすごいしっかり持った、わりと高学年を指導することの多かった先生だったんですけど、その間をかいくぐっていじめをすることを覚えた子たちからのいじめが6年間続いた。
中学は受験して別のところに行ったら、今安全な環境にいるんだなっていうのは肌でわかった。でも、いじめられていた時の戦闘モードから抜けるのが上手くできなかった面と、逆にここでは抜けても良いんだって感じて崩壊しちゃった面と両方あって、学校に行かなくなっていった気がしている。
カエル 中学は本当に安全なところだったの?
きのか いや、1回若干いじめられたんですよ。そのときに、「こんなことでダメージ受けるのか」ってくらいダメージを受けて、そこから崩れた。でもそれはなんでかっていうと、私はいじめられているのを周りに出さないようにしているのに、先生に気づかれたっていうのがあって。「え、気づく先生いるの?」ってところがザワっていう最初のきっかけ。
カエル へー面白いね。気づいてもらって嬉しいじゃなくて、ザワッとしたんだ。
きのか 嬉しさと同時に、これはまずいっていうか。小学校では外に出したらいいことが起きなかったので、出さない方がいいと誤学習していて。だから「気づかれてしまった、まずい」っていう感覚と、気づける先生がいるっていう安心感みたいなものの、両方がいっぺんにやって来て、情報量がすごくてどうしていいんだろうって。そこから徐々に教室は入れないかもっていう感じで、そのまま。
カエル それはわからんね。当時はね。
きのか そうそう、当時は圧倒された。「いじめられたりとかしたの?」と言われても「いやあ?」みたいな。「いじめられたからじゃないよ」みたいな感じでした。
しば 私は…言われたかな。あんまり記憶がそんなに残ってない。でも、そんなに何が何だか分かってなかったと思いますね。
カエル 行かなくなって先生が家とか来なかったの?
しば 来たのかな…?でも、行かなくなったのは先生が怖かったからです。小学5年生のときの新しい担任が、最初のクラスのルール説明の時間で「忘れ物1回したら注意します、2回したら○○します」って言ったから、私が「3回目はどうなるんですか?」って聞いたら「調子に乗るな!」って怒られて、それが印象的で。その年にクラスの半分が不登校になったんですよ。だからまあ自然なことだったのかな。
カエル それはすごい。何人のクラス?
しば 15人ぐらい。でも、6年生で先生が変わったら大体復帰していましたね。私はもう腰を据えて、どっしりと不登校していましたけど。
カエル それはなに、行かなくなったのは「あ、なんか行かない方がいいじゃん」って思ったみたいなこと?
しば いや、わかんないけど体が行かない。行かなきゃって気持ちはあったけど、別室登校とかしてもお腹下したりして、体調悪くなってましたね。
カエル ちゃんと身体が学校に行かないように働いてくれたんだね。
しば そうなのかな。
生きかたカエルコメント
自分の気持ちや状況を言葉にするのは、子どもにとってかなり大変な作業です。とくに困難に直面したときには、周囲からのプレッシャーや罪悪感や自己嫌悪などいろいろな感情で混乱していることも多く、言葉にするのはより難しくなるでしょう。加えて、学校生活に違和感やストレスを抱える子どもは、感受性が強かったり、自己表現が苦手であったりする場合も多いです。
また、今の日本社会において子どもが学校に行かないのは一般に「よくないこと」という認識をされているため、自分の気持ちを素直に語ることへの怖さやためらいがあることも想像できます。
そして、たとえ子どもが「○○だから」と言ったとしても、言葉通りに捉えるのは要注意です。それが本当の気持ちなのか、どんな意味で言ったのかは、子どもの年齢、いつ誰に聞かれたか、どんな文脈で聞かれたかなどによって違ってきます。理由を知りたいのはどちらかというと大人側の事情や都合であることを肝に銘じて、「行きたくない」という気持ちを受け止め、子どもが何に困っているのか一緒に考えていきたいものです。
3.大人との関わり(良かった点、悪かった点)
カエル じゃあ次は、辛い時にどう関わってほしかったとか、何をしてほしかったのかを教えてください。
こういう人がこんな風にしてくれたとか、こんなことがあって嬉しかったとか、逆にこんなことがあって最悪だったとか、実例があると良いかもしれないですね。
ぐりこ 行ってなかった頃はさっき言ったように全拒否状態だったので、誰に何を言われようが受け入れられなかったです。17歳の時に母親にちょこちょこ病院や支援機関には連れていかれていて、そのたびに私は表立って怒るようなことはしないけど、ムスっと「この子は何を考えてるかわからない」って態度を示していました。
カエル なるほど。
ぐりこ でも、その中の一つに若者支援センターがあったんですけど、結果的にはそこの人とずっと長く続いていきました。17歳の行ってなかった夏に、私と相談員と母親の3人で面談をして。
カエル なんでその人が良かったの?
ぐりこ その人からは「学校行ったら?」とかは何も言われたことがないです。なんなら私とあまり接点を持てないから、母親とその相談員の人が電話越しで「最近どうですか」って会話してるの見ているくらい、当時は信頼関係もそこまでなくて。とくになんか関わってたわけじゃないですけど、たまに連絡をくれて「こういうのあるから来ない?」みたいに声をかけてくれた。会った時も「とりあえずちょっとこのワークショップ参加してみたら?」「居れたら居たら?別に帰ってもいいけど」って感じで何かを強いられる感が全然なく、ゆるくつながってたのが良かったのかな。あと、その施設自体が、いわゆる不登校とか引きこもり状態にある方の支援をやっているけど、体育館でよさこいの練習をしに来る大学生がいたりとか、普通に高校生が受験勉強のために自習に来るとか、元気な人も全然来るところだったので。私も大学に入ってからちょこちょこ自習とかに使っていてという縁もあり、その相談員の方とゆるく繋がっていて、大学4年生の時に「一緒に働こう」と声をかけていただいて、大学卒業して3年くらい働いてました。
カエル 学校に行く・行かないってことを出さないのがよかったってこと?
ぐりこ そうですね。今もたまに会うんですけど、10年くらい経ってようやく信頼関係というか、普通に喋るようになったっていうだけで、本当に最初の2年3年は全然だった。でもそのぐらいの距離感というか、さりげない気にかけ方が、たぶん私に合ったんだろうなと思います。
カエル なるほどね。じゃあ他の方は?
まや 母の関わりはよかったと思います。母は「あ、そっか」という感じで、「つらいね」みたいなのはあった気がするけど、「学校って行きたくないもんだよね」というのは共有できているというか。両親ともにそういう考えをするタイプだったので。あとは「光とか浴びないと調子悪くなるから図書館行ってみる?」とか「人に会うとかなんでもいいけど、何か外に出るって言うのはした方がいいんじゃない?」みたいなことを言ってくれて、一緒に出掛けていい場所を探しに行ったりしていた。その中で嫌なカウンセラーの人がいたりとかもあったけど、「もうあそこは嫌だから行かない」って言ったら「そうか、それは確かにあれだね」みたいな感じで。行く先々で、私のことわかってないなとか決めつけてくるなみたいな人はいて、そういう人たちのことは嫌だったけど、そこにずっといなきゃいけないってことを強いられることは無かったし。だから気楽なもんで、なんとか学級っていうのも、飽きちゃって休んでた。
カエル 適応指導教室かな。
まや そうかも。勉強が簡単でつまんなくなっちゃって、数か月で飽きたって言ってたら、ちょうど「スキー教室があるから来ない?」って担任に誘われて。それで「行く」って言って、不登校をやめたんですよ。気楽なもんだなって思っちゃうんですけど、そういう提案は嬉しかったりしたことはある気がしました。
カエル タイミングとかきっかけみたいなのが、強制じゃないけど時々何かがあると、ふとしたときに乗れるって言うのはあるのかもしれないね。自分から「そろそろ行きたいんですけど」とは、なかなかならないから。
まや 私はきっかけを見失ってるみたいなところもあったし、最初はすごい反骨精神があったのが、段々弱まって来た時にそれがあったっていうのもあるのかも。
カエル きのかは?
きのか 私は支援者さんをすごく振り回していたので。本当ごめんなさいって感じ。確かに本当に死にたかったんだけど、すごい「死にたい」って言ってた時もあったし、依存もすごかったし。わかってないのにわかったような口利かれたりするとイラってして振り回したりとかしたし。
カエル 当時の支援者ってどんな人たちがいたの?
きのか 当時の支援者は結構いっぱいあちこちにいて、学校で信頼してる先生もいたし、あとは電話相談支援みたいなのにかけてた時もあった。あらゆる支援機関にアクセスしたかもって感じです。児相から警察から教育相談センターから何から。ずっと不安というのか落ち着かなくて、ずっと死にたい状態だったので、それをどうしていいかわからなくて。家にも居場所が無いから、外とつながろうとして、ブラックリストがあったらそれ載ってるんだろうなって感じの相談のし方をずっとしてました。
カエル それいつ頃?
きのか 二十歳なる前くらいまでかな。学校に行かなくなっていく時の、ちょうどその頃からです。
カエル その時のきのかは何を望んでいたんだろうね。
きのか まずはやっぱり理解。もう一つは、相談員さんに求めることではないと思うんですけど、「あなたはどういう生き方してるんですか?」というサンプルを集めたかった。どうしたら生きられるのかが知りたかった。ルール的に向こうは話せないんだけど、「どうやってあなたは生きてるんですか?」とか「あなたが知っている人たちはどうやって生きているんですか?」というのが聞きたかった。あとは私の話を聞いてくれるっていうか、私がこういう状態にあるっていうことそのものが「あるよね」って言って欲しかった。
カエル 「そういうこともあるよね」っていう風に言ってほしかった?
きのか 「そんなことあるはずない」とか「そういう状態ダメだよね」じゃなくて、いや、ダメだよねってことはあると思うんだけど、その「ダメだよね」はただの型にはめる否定であってほしくないっていうか。その状態がそこにあるよねっていう。
カエル しばは?
しば 私は母(の関わり)がよかったと思います。私が熱帯魚とか飼いたいって言って飼い始めたんですけど、趣味としてアクアリウムを一緒に楽しんでくれて。あと小学校では、みんなが授業を受けている時に空いてたら理科の実験を一緒にしてくれる先生がいて、私は理科好きだったので、それもよかったですね。だから、「不登校の人」としてじゃなくて、一人の人間として関心を持ってもらって一緒にいてもらうみたいなことをしてくれたらいいかなと。
カエル たしかに。不登校だけじゃなく、なんでもそうな気がするね。
ぐりこ 一人の人間としてという話でいくと、さっき言った施設(若者支援センター)が、相談員ではあるけどわりとフランクに、スタッフ自身の話とか自己開示も人によってはありました。
カエル 対面だったらするね。
ぐりこ 線引きが必要なところもあるけど、わりとその辺の線が緩いところだったので、「自分はこうだったんだよね」みたいな話を大学に入ってから私に結構してくれて。それで「この人にだったら喋っても良いかもな」って少しずつなっていった気がします。でも学校に行ってなかった時はいろんなことが地獄すぎて、一日一日生きるのが辛すぎてだったから、今振り返って「どうされたらよかった?」と言われても、あの期間はどうしようもないというか、誰にどんな対応をされようがすべてが無理だったと思う。たぶんあれだけの時間が必要で、それによって命を守っていたなと。
結論
後編:子どもが育つために必要なものでは、「学校に行かない」を生み出す学校について考えます。