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とにかく普通になりたかった

機能不全家族で育ったセクマイの七転八倒

和泉陽(仮名)
和泉は機能不全家族で育ち、性別違和を抱えながら、葛藤の中で傷つき続けてきた。どうにか家を出ても職場で殴られる日々が始まり、まともな労働環境にありついても自分らしい性別で働くことは許されず、支援とつながって環境が安定しても安定が怖くなって壊してしまう。そんな和泉の道のり、人生の現在地を語る。

1. プロフィール

2022年現在30代前半。
性別「和泉」として(男・女のくくりをされずに)福祉の仕事に従事している。

2.生きづらプロフィール

オンナノヒトからオトコノヒトになった人。一般的な表現をつかうなら性同一性障害(FtM)であるが、詳しくは「6.性別について(本人の言葉)」にて後述する。
発達の偏りではADHD、気質の特徴はHSPをもっている。
※HSPとは・・・Highly Sensitive Person。人一倍敏感な人。

性格は本人の表現を借りると「クソ真面目」「愚直」。こうありたい自分像が強く、いい加減にやることができないため、何かとトラブルに巻き込まれたり依存されたりしやすい。ただし、それらの傾向は、機能不全家族で育ったことで搾取されるのに慣れてしまっているのも影響しているだろう。

3.経歴

幼少期:性別違和は物心ついた瞬間から

生物学的に女児として誕生。きょうだいは9歳上の兄1人だけであり、和泉は母親にとって待望の女の子であった。
幼少期において家庭はそこまで壊れていなかったが、女子らしさの強制はあり、髪を長くさせられたり、ピアノを習わされそうになっていた。しかし、性別違和は物心ついた時からあったため、和泉はそれらを強く拒否していた。幼稚園の制服(男女分かれていた)は着ずに通い、いつも男の子っぽい格好をして、遊ぶのも男の子とばかりであった。少し年齢がいくと無理だと気づくが、性別を変えたいという風に考えていた。
この頃が、和泉が性別への嫌悪感を最もはっきり出していた時代である。

小学校時代:性別への諦め、崩壊していく家庭と性被害

小学校のランドセルは赤が届いてしまい、そこから性別についての諦めが始まっていく。また、七五三のボイコットをしたことで、母親が酔った際に「着せたい服があったのに」と責められることが始まった。和泉は母親のがっかり具合を見て「こういうことには逆らったからいけないんだな」と悟る。母親のそういった愚痴は、その後徐々にエスカレートしながら、家を出るまで続くことになる。

小学校生活は忘れ物が多い(ADHD要素)以外はおおむね問題なく過ごしていたが、小学校高学年になると、男女が分かれて遊ぶ文化になってしまい、男の子と一緒に遊べなくなってしまった。女の子と遊んで過ごすこともそれなりに楽しめたものの、いつまでも「男の子っぽい女の子」でいることの難しさは実感し、その後の人生では自分が許せる範囲での女らしさの性表現を模索していく。
仮装として女らしい格好をするのはまだ耐えられたため、青年期に入ってからは、成人式、ハローウィンなどで積極的に女装して女子である自分を取り繕っていた。

また、小学校時代には酔った母親からの愚痴が嫌で、家を出たいという気持ちをはっきり抱くようになっていた。加えて、和泉はなぜか幼い頃から、「スーツを着た綺麗なお姉さんが、いつか自分をこの家から連れ出してくれる」とかなり本気で信じていた。
そのイメージがあったことで、和泉は親切そうな大人について行ってしまう傾向があり、小学校時代は性被害に遭いやすかった(加害者は何も知らない子どもを誘導するために、やさしい振る舞いをすることが多い)。小学校中学年には一度大きな被害にも遭った。
被害自体に強いショックはなかったが、友達に話したところから先生、先生から和泉が絶対に伝えたくない相手である親に報告され、警察に根掘り葉掘り話を聞かれるという二次被害に遭う。そこで和泉は初めて解離を経験することになった。本人曰く、「早くこの時間が終わらないかな」と時計の秒針とその音に集中して数を数えていたら、気が付くと体の外に幽体離脱のように出ており、自分を上から眺めている状態になったらしい。

中学校時代から家を出るまで:自傷行為の始まり、正当な家出の理由探し

中学校はセーラー服を着て、「ボーイッシュな女の子」として過ごす。

その頃には母親が完全にアルコールに溺れており、ひたすら愚痴を聞かされていた。愚痴は大体夜中0時過ぎ、酷いときは朝まで続いた。
和泉はそれが嫌で家に帰りたくなかったため、友達の家で夕食を食べるようになる。友達の家庭に迷惑をかけすぎないように、そういった友達を7人つくり、ローテーションで巡っていた。といっても中学生では友達の家に長くいられて20時なため、母親の愚痴を十分に避けることはできなかった。また、母親の愚痴に和泉が女の子らしくしてくれなかった内容が多かったことから、「自分のせいでこの人はこうなってしまったのだ」という罪悪感を抱えている部分もあった。

14歳でリスカをするようになり、16歳で精神科に通うようになってからはОDも始まる。高校は家を出たいという動機で留学ができるところを選択したが、留学できる精神状態ではなかったため、それは叶わなかった。
高校時代、和泉はバイトを掛け持ちしており、それを貯めていれば収入的には家を出ることが可能であった。しかしその発想は全くなく、収入の半分を実家に入れていた。「この家にいたらダメだ」「どうにか正当な家出の理由はないだろうか」と和泉は考え、バイクで日本横断の旅に出ることにする。

家を出てから~社会人:人権の守られない労働環境

日本横断の旅では、道の駅で寝る、民家に泊めてもらう、コンビニの店員に「日本横断をしてるんです」と話して廃棄弁当をもらうなどをして節約。社交性の高さが見受けられるが、「コミュ力を発揮するしかなかっただけ」というのが本人の感覚である。
しかしそういった工夫をしても、徐々にお金はなくなっていく。沖縄ではついに残り5万円まで追い込まれるが、バーで飲んでいる時に「5万しかない」と話すと「うちで働けばいいよ」と言われ、住み込みでバーテンダーを始めることになる。

しかしバーの労働環境はめちゃくちゃで、何かあれば説教され、殴る蹴るの暴力を受けていた。給料も1日4時間×週5日の労働分は住み込み代とされ、もらえるのは残業分の時給750円だけで、収入は週2000円ほどであった。和泉はエンシュアリキッドを主食に暮らし、仕事で泡盛は好きなだけ飲めたものの、体重は落ち続けていった。
その生活は1年ほど続いたが、友達数人が現状を知って駆けつけてくれたことで、関東で療養生活をすることになる。しかし関東でも結局は住み込みの飲食で働き、同じように殴る蹴るの暴力を受ける日々となった。

そういった生活にさすがに限界を感じた和泉は、「普通になろう」と思いNLPの資格をとる。
※NLPとは・・・Neuro Linguistic Programing(神経言語プログラミング)の頭文字から名付けられている。人間心理とコミュニケーションに関するアプローチの一つ。
そしてその資格のおかげか、株式会社大手上場の営業マンに受かり、OLとなった。これが和泉にとって初めてのホワイトカラー職である。仕事自体は楽しく、一人でできる仕事が向いているとも分かったが、女子になり、化粧をし、ヒールを履いて出勤しなくてはならないことに限界がきて1年ほどで退職。「女子にならねば」といくら思っても、退勤するとすぐに化粧を落とすなど、女性ジェンダーには抵抗があり続けた。

また、OL時代に初めてお金を貯めて家を借りることができたが(それまでは社宅と人の家の渡り歩きであった)、それによって家賃を払い続ける苦労が発生した。転職すると初任給が入るまで時間がかかるため、和泉はその間をつなぐために、昼は正社員、夜はバイト、土日は単発派遣のトリプルワークをしていた。しかし経済が安定する頃には身体がボロボロになり、正社員が続けられなくなるのを繰り返した。
そして家の2年更新の際の費用が払えず、ついにホームレス状態に。人の家を渡り歩く生活となる。

支援につながる:安定と不安定

25歳の時、ハローワークでやっと福祉(基幹支援センター)につながる。その時には一般就職は無理だと感じており、障がい者求人を探していた。
また、性同一性障害と発達障がいの診断が同時に出たことで、手帳と年金を初めて申請し、無事に通る。加えて、郵便物や税金の管理、金銭の組み立てのために社協の金銭管理サービスも使うようになった。そこでやっと傍目には、社会福祉を利用して安定した生活を手にした状態となる。

しかしその後も安定してくると、和泉は自分で退職したり引っ越しをすることを繰り返した。何かあると、安易に現実逃避として(と本人は表現している)ODして入院することも少なくなかった。
今の職場では、信頼できる上司の存在があり、どうにか安定した就労ができるようになった。とはいえやはり安定を壊したい衝動は消えておらず、現在は心因性発声障がいの形で身体が抵抗を示している。

4.生きづらさが蓄積した要因

  • 家族にいろいろなものを押しつけられ、家族内のことや感じたことをほとんど外に言えず生きてきたこと。経歴では省いたが、成人した兄が15歳以下の女の子と交際し自宅に二人で引きこもっていることを家族はひた隠しにしており、それも秘密として和泉に重くのしかかっていた。和泉はストレスや感情が飽和して壊れたメンタルを、リスカやODという手段でしのぐしかできなかった。自傷行為(依存)は、人に頼れず、自分の力だけで痛みから逃れるしかない時に起こる。そしてその習慣は、人に頼ることを覚えるまでは、基本的には変わらない。
  • 性別違和による苦痛。女の子でありたくない自分をずっと偽り続けて、24時間365日セクハラの中で(セクシュアリティについて傷つけられる中で)、生きていくことの大変さは相当なものである。
  • 性別違和によるアイデンティティ確立の難しさ。そもそもアイデンティティの確立というものは誰にとっても簡単ではなく、アイデンティティが定まらないことは「自分が何者か分からず、この社会で将来生きていく能力があるのか不安になる」という心理状態を生む(=アイデンティティクライシス)。和泉には経済的不安が根深く付きまとっているが、それはアイデンティティの問題も関係していると思われる。
  • 性別違和による社会的排除。職場などで、自分らしくいようとするほど、締め出されてしまう。とくにホワイトカラーにおいて女性はジェンダー適合(化粧、スカート、ヒール)を求められることが多く、女性らしい振る舞いや服装をしないと、職場の選択肢が少なくなる。和泉も最初は、女性らしい格好をする必要がない職種ばかり選んでいた。
    また、コールセンターに派遣社員で勤めていた際は、男性と認識されて働くという合意だったにもかかわらず、女子トイレと女子更衣室を使用することを強制されてしまった。加えて、ことあるごとに「女性は…だよね」とこちらを見て話される、男性社員と喋っていると「ヒューヒュー」と言われるなど、女性であることを殊更に強調される言動が続いた。最終的には、女子更衣室ではなく来客用ロッカーを使っていることが部長の逆鱗に触れ、退職に追い込まれてしまった。
    ※とはいえ、女性・男性どちらの立場からしても、FtMと同じ更衣室を使うのがデリケートな問題なのも事実である。来客用を使うことはさらに、会社として困る部分もあっただろう。この問題の本質は「会社の無理解」ではなく、社会があまりにも「男女しかいない」前提で建物の設計から何から作られてしまっていることである。セクシュアルマイノリティの問題は、個々人の理解が広がるだけでなく、社会設計レベルでの周知と理解が必須である。
  • 権利や制度に関する教育が社会で重視されていないせいで、適切な知識を身につけることができなかった。上記の派遣での出来事は、派遣法違反であったにもかかわらずそれを知らなかった。もちろん、沖縄のバーでの働かされ方も、労働基準法違反である。
    他にも、正当な理由がないと家を出られない、学歴も職歴もないから飲食くらいしか仕事は受からない&バイトで評価されて正社員になるしかないなどと和泉は思い込んでおり、本来力としては可能だった「実家を出て暮らすこと」「飲食以外で働くこと」の実現が遅くなってしまった。
    また、年金や税金、家の2年更新の費用などを知らなかったせいで、収入があっても生活困窮しやすくなっていた。生活保護も知らず(ただし当時は親への照会があるため知っていても使うのは難しかっただろう)、20歳時点で受けられただろう障害年金の存在も、知ったのは25歳のことであった。障害年金については20歳時点では障がいに抵抗があったため使っていたかは分からないが、家を出る手段だと解釈できれば使っていた可能性はあると感じている。もし使わないとしても、選択肢として知っておけば、セーフティネットがある安心感は得られたかもしれない。
  • ADHDの特性などによる、日本型就労との相性の悪さ。和泉については、とにかく時間を守ることが難しい。学生時代も、時間通りに学校に行くことはほとんどなかった。「駅に着いたら財布を忘れている→大慌てで家に帰って財布をもってきたら今度はカバンを忘れている」「忘れ物をする→忘れ物を捜している間に洗い物が目に入って洗い物を始める→探し物が何かさえ忘れる→気づいたら時間になっていてパニックになる」など、時間を守ろうという意識はあっても、想定外のことが起こるそうだ。また、和泉の能力の偏りでは、臨機応変な対応やイレギュラーなこと、同時多発的にスピーディに仕事をこなすことが難しく、飲食で働くのがかなり厳しかった。
  • 欠勤の連絡ができなくなる回路が作られてしまったこと。飲食で殴る蹴るなどの暴力を受けていたことで、「仕事をきちんとやれない=(殴られて)痛い」という回路が出来上がっており、「欠勤連絡をする=殴られる」と脳が認識してしまう。連絡しない方が迷惑になるといくら頭ではわかっても、連絡することができない。加えて、権力がある人がとにかく怖いという後遺症もあり、本来信頼できる上司にもなかなか自己主張ができないなど、働く上でのストレスや負担が余計に増している。
  • 環境が安定すると、壊してしまう。この現象は、暴力・抑圧的な環境で育った人によく見られる。つまり、「虐げられる」「裏切られる」が通常状態になってしまったことで、「尊重される」「信頼関係がある」というのが異常な事態となり、不安や戸惑いに耐えかねて、環境を変えたり壊したり、時には自ら暴力的な環境へと飛び込んでしまう。この現象は健康な心をもった人には感覚的には理解が難しいものであり、「大丈夫だよ」などの言葉でどうにかなるものでもなく、逃げたり試したりを繰り返す中で、少しずつ信頼を体得していくのを待つしかない。暴力は目の前からそれが完全に消え去ったとしても、ずっと本人に影響を及ぼし続ける。
  • 限定的かつ具体的なイメージを抱く傾向があり、普通へのこだわりが強い。和泉の普通像は、「月曜日から金曜日まで9時から18時まで正社員として働き、毎月25日に給料日がきて、給料日後の金曜日の夜に同僚と飲みに行き上司の悪口を言い合う」という実に具体的なものであった。限定的なイメージを抱くことは、現実がイメージにそぐわない可能性を高めてしまい、実際に和泉の日々はそれとかけ離れていることが多く、自己否定や不安へとつながっていた。

5.生きのびる力につながった要素

  • 社交性がある。中学生時代に友達の家で夕食をご馳走になっていた、日本横断の旅での宿泊や食費のサポート、沖縄に助けにきてくれた友達など、社交性は非常に実用的に役立っている。また、営業やコールセンターの仕事でも結果を出すことができており、派遣から正社員採用につながったこともあった。「社交性があるというよりは慣れ慣れしいだけじゃない?」というのが本人の表現であるが、社会人になってからは「人類皆友達」「連絡先を聞いたら友達」といった感覚ももっており、社交的なコミュニケーション傾向をもっているのは間違いないだろう。加えて、母親からずっと話を聞かされていたことで、聞き上手になっていた側面もある。
  • バイタリティー、知的好奇心、行動力などをもっている。「やらないうちから好き嫌いを決めたくない」「チャレンジしない選択肢はない」「やるからには真剣にやる」というスタンスが一貫している。
  • 学校(横での人間関係)で虐められることがなかった。おそらく、上記の社交性とバイタリティーに加えて、セクシュアリティの独自性があったことで、同族としてマウントを取られる関係性になりにくかったと思われる。
  • 人との出会いに恵まれている。和泉は今の職場には形を変えながら10年ほど勤めているが、無断欠勤を何度してもやめさせずにいてくれた上司がいたことで、職場を居場所と感じることができている。経歴では省いたが、大人になってから親代わりの存在にも出会えている。ただし、出会いに恵まれているのか、社交性でとにかく出会いの母数を稼いだことが大きいのかは不明である。

6.性別について(本人の言葉)

僕はFtMとかトランス男性と呼ばれるのがあまり好きじゃない。

なんとなくだけど、その言われ方は男性にカテゴライズされてしまう気がするから。
そして見た目で勝手に性別を判断されるのも嫌いだ。なので初対面の人に自己紹介する時必ず
「性別はオンナノヒトからオトコノヒトになったヒトです」
とつけ加える。
FtMやトランス男性とどう違うのか、と言われたら、受け取る人からしたら同じだろう。だけど僕の中では男性性を多く持つ女性、みたいなニュアンスが伝わるといいなと勝手に思ってその表現にたどり着いた。

手術もして社会生活もある程度男性として生活していると、男性としてパス(認識される)のはちょっとした悩みだ。
だって、僕はあくまでトランス男性であって、男性ではない。
よく「私たちはあなたのこと男性として扱うから大丈夫です」と言われる。
しかし実際には生物学的物理学的にそんなことをされたらとても困る。
トイレ更衣室はもちろんのこと、スポーツだって男性として振り分けられたら人に3倍努力したってついていけない。健康診断などでも、トランス男性としての配慮をしてくれないとキツいし、銭湯はもちろん行けない。幼少期に女性文化で育った考え方や価値観は染みついて抜けないし、人生で一番濃密な時期を男性として過ごせなかった落差は大きい。

性同一性障害の人は産まれた性と別の扱いをすればいい、と思っている人が多すぎる。
実際には、性を転換することなんて出来ない。だから今は「性転換手術」ではなく「性別適合手術」と呼ばれる。でも性別を適合することすら、できないんじゃないかと僕は思っている。医療は万能じゃない。多大な金額を払って手術したとしても、もう片方の性に似せるだけだ。それなのに男性扱いされても困る。なので僕はあくまで「オンナノヒトからオトコノヒトになったヒト」であって男性ではない。
そして、女性として生まれたことは残念だったけれど、女性としての価値観や社会的に置かれた立場(女性性のもつ社会的不利益)を体感して、その中で生き抜いてきた力を、僕は大切に思っている。

じゃあどっちなんだ、わかりづらい。よく言われる。結論からいうと、僕はどうしても女性で社会生活を送ることも、女体も耐え難かったけれど、やはりどうしても自分が男性だと思える根拠が見つからない。自分では無性だと思っている。
社会生活においては、性別は男か女しかないことになっているから、性表現は男性をセレクトしている。だから、必然的に周りは僕を男性扱いしてくる。でもそうじゃないんだよ、って言いたくなるのは、わがままだろうか。

社会がジェンダーフリーになればセクシュアルマイノリティも生きやすくなる。それはある程度本当だと思う。
だけどそれはジェンダーの話だ。例えば社会から隔絶されて無人島でひとりで暮らしていても、僕は自分の身体が死ぬほど嫌いなので、死ぬまできっとこの葛藤を抱え続けるのだろう。ジェンダーフリーになったとしても、生物学的な雄と雌からは逃れられない。
性同一性障害は障害ではなく個性だ、という風潮もあるが、これだけ日常生活を障害され、保険も効かない高い手術費を払ってなお何者にもなれないのに、個性なんて言い方でまとめられたら困る。僕らはファッションのように性別をセレクトしているのではなく、常に文字通り命懸けなのだ。体を切り刻むほど我慢できないことって、人にとってどれほどあるだろう。現にICD11ではそのような声を採択して、性同一性障害は精神疾患ではなく身体疾患に分類された。

少なくとも人は毎日トイレに行くし風呂も入る。その度に自分の性別を突きつけられる。あぁ何者にも成れない自分がここにいる、と。
24時間365日、僕は赤にもいけず、青にもいけず、まるで中央分離帯の上を歩くように、何にも属せない「自分」の在り方を模索し続けている。

7.伝えたいこと(本人の言葉)

この人物wikiを、「昔は大変だったけど今は幸せです!」というセクマイのサクセスストーリーとして捉えてほしくない。セクマイだからこそわかること、気づけたことなんてクソくらえだ。シスヘテロとして生まれたかったに決まっている。
※シスヘテロ…「シス」ジェンダー(体の性と心の性が一致している)&「ヘテロ」セクシュアル(異性愛者)のこと。今の社会ではセクシュアルマジョリティとも呼べる。
当事者の声が社会を変えるというけれど、実際には当事者だけでどうにかならないことが沢山ある。傷ついてきた当事者が声を上げることは簡単ではないし、そもそも、当事者は自分のことで手一杯で社会にまで手が回らない。社会を変えるには、当事者以外の人の力も絶対必要だ。

そんな想いとは裏腹に、僕は今、生きづらい人に向けた居場所事業をやっている。居場所ってそもそもなんだろう、生きづらい人で集まって、内輪だけでわかり合って何になる?という気持ちも正直ある。しかし実際にやってみると、自分と同じ思いをしている人と共通言語がある、いちいち説明しなくても分かり合えるということは、思っていた以上に心地よく安心感があるとわかった。僕はそれをよく「長く海外を旅していて、たまたま出逢った初対面の日本人と久しぶりに日本語でしゃべる感覚」と表現している。それに、居場所事業は突然の診断に戸惑っている人にとっては、貴重な情報共有の場にもなる。
根本的な解決ではないかもしれないけれど、似た仲間ができるから癒されることもあるし、それは決して悪いことではない。そうしてみんな一日一日を誤魔化すように、「やっぱりもう一日生きてみようかな、死ぬのはいつでも出来るんだし」と思って生きているのではないかと思う。

僕はずっと普通になりたかった。
支援者はよく、理解のある言葉として「普通って何?」と聞く。「普通なんてないよ」と言う。でも僕は普通ってあると思う。「普通って何?」なんて、庭付一軒家住み正社員固定給有給ボーナスつきの人に言われたって、なんの説得力もない。
でも、その気持ちから分析していくと、僕が求めていたのは「毎月給料日に給料が入ってくる」ただ1点だったかもしれないと今は感じている。だから、僕の言う「普通」も、他のサバイバーが言う「普通」も、それぞれに安心・安全を求めて出てきている言葉なのかもしれない。
これまで、「とにかく普通になりたい」気持ちに随分と振り回されてきたけど、今はあまり普通じゃない働き方をして、あまり普通じゃない生活をして、支援などの力も借りながら経済的に普通に自立している。そんな自分をようやく少しずつ受け止められるようになった。

たとえどんなに支援があって、屋根があって、暖かい布団で眠れてお金が十分にあったとしても、人が人として回復していくためには、人とのつながり、諦めずに関わり続けてくれる人、が必要なのだと思う。