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No.2

流さレンジャー グリーン

理念
タフさ
フットワーク
温かさ
好奇心
タイプ
ちょっと生きづらい 近くに生きづらい人
特長
「けんり」を何よりも大切にするオトナ
メッセージ
流さレンジャーは世の中の「常識」と戦う「脱常識戦隊」だよ。まだ、グリーンしかいないので隊員を募集中!
生息地
北の大地 人ごみにはめったに出没しない
食性
美味しいものを食べること、作ることが大好き
習性
リラックスが得意で、どこでもすぐに眠ることができる
天敵
着ぐるみが天敵(某ネズミのキャラも苦手)

タイプ詳細

ちょっと生きづらい
小学校の頃からいわゆる優等性で、大人にほめられることが多かったです。ただ、それで嬉しさを感じることはなく、むしろできることだけを評価されることに違和感があり、「自分が何もできなくなったらどうなるのか?」と考えていました。

高校時代は受験戦争の雰囲気が嫌で、卒業文集に「文部大臣になって教育改革をする」と書きました。大学進学後には、母校でますます受験対策が強化されることを知って、会ったことのない校長先生に「教育方針を考え直してほしい」と手紙を出して、周囲にドン引きされたことがあります。

褒められることも注目されることも、心の底から嫌いです。それなのに役割として目立ったり、褒められたりしてしまうため、本当の自分を理解されない違和感がずっとあります。そういった部分ではなく、自分と素で付き合ってくれる当事者と対話や協働することが、自分を保つことにつながっています。
近くに生きづらい人
長女が重度の障がいを持って生まれ、次女も発達の凸凹と過敏さをもつ個性派でした。長女が2歳の時から毎日母子通園施設に通ったり、離婚で母子家庭にもなり、働くことができずに、手当てで収入を得たりと、福祉や支援のお世話になることが多かったです。

子育てしていると、この世は平均的、標準的であることが生きやすいようにできているようで、重度の障がいがあると幼稚園や学校に行けず、施設や養護学校に行くしかなかったり、発達の凸凹はできるだけ隠して無理をして学校に適応しなければいけなかったりと、個性的であることが幸せにはつながらず、理不尽につながってしまうことを実感しました。

親の会活動から地域づくりのNPOを立ち上げ、それをきっかけに若者支援などいろいろな活動をしていくほどに、様々な生きづらさを抱えた人に出会っていくばかりで、気づいたら今はほぼ周囲は生きづらい人だけという状況になっています。どちらかというと、生きやすい人たちがあまり得意ではないだけなのかもしれませんが…苦笑

今何をしているか

子どもや障がい者、生きづらさを抱えた若者たちが、権利と尊厳を守られて暮らしていけるように、一緒に暮らしたり、遊んだり、勉強したり、生活できるところを増やしたり、手伝ってくれる人たちを育成したりしています。また、そうした事業を運営する会社を経営して、必要なことにお金が使えるようにお金を調達したり、いろんな人たちと協力し合ったりしています。

どんな家庭で生まれても、どんな個性があっても、どんなできないことがあっても、どこに住んでいても、自分らしくのびのびと生きていく権利を持っていると思っているので、住むところ、生活、仕事、社会参加が保障されるように、できそうなことは何でもやっています。こうした「権利を守る活動」は、仕事というよりは自分のライフワーク(生活の一部)で、大人として当然のことだと考えています。もっと仲間を増やしたいと思っているのですが、「常識」がいつも邪魔をします。だから、「脱常識戦隊」として、「そもそも、大切なことって何か?」と考え、権利が大切にされる世の中にしていきたいです。

わたしのオトナストーリー

自分が子どもの頃から何となく抱いていた社会への違和感がありましたが、それは何かわかりませんでした。でも、個性派&少数派の子どもたちを育てていく中で、この世は「個性があると損をする」「普通じゃないと排除される」「正しい生き方や理想的なことが決められている」ことを知ってしまい、それが自分が抱いてきた違和感の正体だったと気付きました。

親の会から地域づくりのNPOの活動をする中で、その違和感は社会の大きな課題だと感じて行きました。そして決定的だったのは、9年間のスクールソーシャルワークの経験でした。相談を通して出会う子どもたちは何の責任もないのに、当たり前のことを保障されず、うまくいかないことは自分せいだと思わされるような、明らかに理不尽な状況にありました。それを知ってしまったのです。

私は、自分や自分の周りの人だけが幸せになれば満足とは思いません。いつ自分に何が起こるかは分からないのだから、その理不尽さを放置することは、自分や自分の子どもたちも切り捨てることになると感じます。だから社会の理不尽の泥沼の中でもがき続けて、抜けられなくなっています。

オトナとして大切にしていること

子どもの権利条約では「生きる権利」「育つ権利」「守られる権利」「参加する権利」の4つの権利があるとされています。それを何よりも大切にしたいです。
権利のもとは一人ひとりが感じていること、考えていることをお互いに大切にしあうことだと思っています。感じていることや考えていることを安心して出し合える関係や環境があるとそこには「権利の芽」が出ます。でも、感じていることや考えていることが否定され、強制されると「権利の芽」は出ず「排除の芽」があちこちに出てきます。「排除の芽」が増えると「権利の芽」が出るところがなくなり、どんどん「排除の芽」が増えていく悪循環になっています。

子どもが感じていることすべてが「権利の種」です。好きなことも嫌いなことも、やりたいこともやりたくないことも、できることもできないことも、一人ひとりが感じていることを出し合うことが権利のはじまりなのです。勝手に大人がこれがいいとか、悪いとか、好きになれとか好きになるなとか、これをやれあれをやるなとか子どもたちを変えようとしたり、枠にはめようとせず、一人ひとりの種が芽を出し、育っていく環境をみんなで考え、つくっていくことが何よりも大切だと思います。