No.7
白玉
- 理念
- タフさ
- フットワーク
- 温かさ
- 好奇心
- タイプ
- ちょっと生きづらい 現実知ってしまった
- 特長
- 人の気持ちや自分の考え方を「決めつけない」ように自己点検するオトナ
- メッセージ
- 世の中の大半のことは「都合」で出来ているから、大して重要じゃないし、何よりそれであなたの価値は決まらない、と私は思うよ。
- 生息地
- 冬はアウターで全て覆われ、全然ファッションが楽しめない北国
- 食性
- 白い米とおかずをお腹いっぱい食べるのが好き ※白玉は別腹
- 習性
- 自己分析と言語化の鬼(考えすぎて疲れることもあるけど、考えないのも怖い)
- 天敵
- 誤字脱字が多かったり、「てにをは」がしっくりこない文章
タイプ詳細
ちょっと生きづらい
ラッキーなことに、周りの人や環境(学校、職場)ですごく責められたり、どうにもならないくらい困ってしまったことはなかったです。でも自分の中では、「もっと上手く出来なきゃだめだ」「自分の努力が足りないからだ」と自分で自分を責めて悲しくなり、「普通と同じようになんでもできる自分」で居られるように工夫してきた部分がいろいろあります。
また、世の中のオトナたちを見て、「どうしてもっと相手の気持ちを考えないんだろう?」と怒っていることもあり、そんな社会やオトナを少しでも変えたい!とも思っています。
また、世の中のオトナたちを見て、「どうしてもっと相手の気持ちを考えないんだろう?」と怒っていることもあり、そんな社会やオトナを少しでも変えたい!とも思っています。
現実知ってしまった
私自身は元々、世の中で起きている大変なニュースや、誰かが傷つけられてしまった事件を見て、悲しい・悔しい気持ちになることが多かったのですが、それは人によって違うんだ、という「現実」を知ったのは、東日本大震災のときでした。
私は発災から5年後に現地へ行ったのですが、帰ってきてみると、他人事として心無い反応をする人や、大災害の存在自体を忘れている人がいて、自分が受けた衝撃とのギャップを感じました。そして、人は「自分に関係ない」と感じた人・物事に対して、冷たくなれる、忘れてしまう生き物なんだとショックを受けました(今思えば悪気があって忘れているわけではないと分かるのですが、当時の私はとても残酷なことのように思いました)。
そのショックから、私自身は、自分が体験したことのない辛さや・大変さについて、見ないふりをする・知らずに誰かを傷つけるような人にはなりたくないな、と強く思いました。
私は発災から5年後に現地へ行ったのですが、帰ってきてみると、他人事として心無い反応をする人や、大災害の存在自体を忘れている人がいて、自分が受けた衝撃とのギャップを感じました。そして、人は「自分に関係ない」と感じた人・物事に対して、冷たくなれる、忘れてしまう生き物なんだとショックを受けました(今思えば悪気があって忘れているわけではないと分かるのですが、当時の私はとても残酷なことのように思いました)。
そのショックから、私自身は、自分が体験したことのない辛さや・大変さについて、見ないふりをする・知らずに誰かを傷つけるような人にはなりたくないな、と強く思いました。
今何をしているか
いろんな人から相談をしてもらって、今困っていることは何か、解決できそうなことは無いか、どんなふうになったら今よりも平和に暮らせそうかなど、「少しでも穏やかに」あるいは「明日の食べ物を確保して」など、とにかく幅広く『自分がなりたい状態を目指して生きていくための方法』について一緒に考える仕事をしています。
また、こころやからだ、気持ちや生まれつきの得意・不得意といった特性を持っている人をサポートする仕事があるのですが、そのサポーターさんを育てたり、繋いだりする仕事もお手伝いさせてもらっています。
また、こころやからだ、気持ちや生まれつきの得意・不得意といった特性を持っている人をサポートする仕事があるのですが、そのサポーターさんを育てたり、繋いだりする仕事もお手伝いさせてもらっています。
わたしのオトナストーリー
私の原点は家庭環境にあると思っています。私は基本的に「何不自由なく」育ってきました。ご飯や安心できる家があって、自分の「したいこと」をさせてもらえて、「やりたくはないけど、やらなければいけないこと」をあまり考えなくていい家で育ちました。
でも、気持ちの面ではずっと「誰にも(主に親)気持ちをわかってもらえない」という気持ちや、自分に興味を持ってもらえていないような感覚を持っていました。たとえば小さい頃、私が「習い事に行きたくない」と言った時、「どうして?」と聞いてほしいのに「いいから行きなさい」と言われたりしたことがありました。その時の私は、私がどんなふうに辛いのかを聞こうとしてくれない・つまり私の本当の気持ちなんて誰にも伝わらないのだ、と感じていたのだと思います。
また、私は、毎日勉強すること・持ち物を忘れないこと・集中して頑張ること、のような「周りのみんなができている(ように見えていた)こと」をやるには、必死にたくさん考えて、自分なりのやり方を見つけないといけませんでした。それが出来ないことを怒られたりはしなかったですが、でもやっぱり、「やらなきゃいけないことを、きちんとできるのが普通(できないのが悪い)なんだ」と感じて、自分のことをとてもダメで迷惑な奴だと思ってきましたし、今でも中々その気持ちはなくなりません。
だから私は、せめて他人のことを傷つけない人になりたいと思いました。自分以外の人がどんなことで辛いのか、どんなふうに考えているのか、それを決めつけたり、否定しないオトナでいたいと思って、ボランティアや仕事という形で、社会に居るいろんな人の気持ちを勉強し続けています。
でも、気持ちの面ではずっと「誰にも(主に親)気持ちをわかってもらえない」という気持ちや、自分に興味を持ってもらえていないような感覚を持っていました。たとえば小さい頃、私が「習い事に行きたくない」と言った時、「どうして?」と聞いてほしいのに「いいから行きなさい」と言われたりしたことがありました。その時の私は、私がどんなふうに辛いのかを聞こうとしてくれない・つまり私の本当の気持ちなんて誰にも伝わらないのだ、と感じていたのだと思います。
また、私は、毎日勉強すること・持ち物を忘れないこと・集中して頑張ること、のような「周りのみんなができている(ように見えていた)こと」をやるには、必死にたくさん考えて、自分なりのやり方を見つけないといけませんでした。それが出来ないことを怒られたりはしなかったですが、でもやっぱり、「やらなきゃいけないことを、きちんとできるのが普通(できないのが悪い)なんだ」と感じて、自分のことをとてもダメで迷惑な奴だと思ってきましたし、今でも中々その気持ちはなくなりません。
だから私は、せめて他人のことを傷つけない人になりたいと思いました。自分以外の人がどんなことで辛いのか、どんなふうに考えているのか、それを決めつけたり、否定しないオトナでいたいと思って、ボランティアや仕事という形で、社会に居るいろんな人の気持ちを勉強し続けています。
オトナとして大切にしていること
自分が知らないことや、とっさに嫌だなって感じたことでも、頭ごなしに否定しないで、「あらゆる可能性を考え続けられる」オトナでいたいと思っています。
日々の暮らしや仕事の中でいつも思うのは、自分の中にある「当たり前」を疑う事の大切さです。「自分が思っていることは必ず当たっている」と無意識のうちに信じ込んでしまうのが人間です(私も含め)。だからこそ、自分の当たり前が誰かを傷つけることもあるし、誰かの当たり前に傷つくこともあります。
(これを読んでいるあなたも、何かを押し付けられ、決めつけられている人かもしれません)
だからせめて、自分の中に当たり前はあってもいいけれど、それを「誰かに押し付けていないか?」「他にも別の可能性があるんじゃないか?」ということをいつでも考えて、自己点検できるオトナでいたいな、と思っています。人と自分は違うし、自分の信じていることも正解なわけじゃないから、考え続けられる人でいたいです。
日々の暮らしや仕事の中でいつも思うのは、自分の中にある「当たり前」を疑う事の大切さです。「自分が思っていることは必ず当たっている」と無意識のうちに信じ込んでしまうのが人間です(私も含め)。だからこそ、自分の当たり前が誰かを傷つけることもあるし、誰かの当たり前に傷つくこともあります。
(これを読んでいるあなたも、何かを押し付けられ、決めつけられている人かもしれません)
だからせめて、自分の中に当たり前はあってもいいけれど、それを「誰かに押し付けていないか?」「他にも別の可能性があるんじゃないか?」ということをいつでも考えて、自己点検できるオトナでいたいな、と思っています。人と自分は違うし、自分の信じていることも正解なわけじゃないから、考え続けられる人でいたいです。