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Q&A > ウ・サギ回答のQ&A
Q.採血の痛みを思い出すことってありますか?
この記事の担当 所長室

Q.以前に「採血が怖いって子供っぽい?」という質問を送った者です。一か月ほど前に採血された腕が時折痛むことあります。痛みに敏感なのは自分でもわかっていますが、思い出すとやっぱり怖いです。採血の痛みを思い出すことってありますか?

A.ウ・サギは痛みは思い出さないですが、時間がたっても感覚を生々しく思い出すことはあります。小説での描写を読むだけで現実に見たように浮かんできて、不快や不安を抱くこともあります。
ちなみに、周りに比べると痛みにもとても弱くて、頭がちょっとだけしめつけられる気がする程度の頭痛でも、この前は元気が全然なくなりました。

*やみーペンから*
え!そんな痛みを思い出すなら注射はなお嫌かも!!やみーペンは痛い〜は思い出すの苦手なタイプだけど、猫を見ただけで鼻の奥が痒い感じはするよ!!

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update 2025/9/11
Q.人間なのに自分を人間だと思えないです。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間なのに自分を人間だと思えないです。

A.なるほど…この文章だけでは、そのことで困っているのか、これはどういうことなのだろう?と気になっているのか、ちょっとそのあたりがわからないので変な回答になったらすみません。でも、「人間だと思えない」ということは、こういうのが人間だという像があなたの中にあるのか(=だからそうじゃない自分は人間じゃないという考え)、何か感覚的に・具体的に自分を人間じゃない何かだ(例えば、宇宙人だとか)と感じるのか、何かしら思考や感覚があるのだろうとは想像しています。
とはいえ考えてみると、誰も望んで人間になったわけではないですし、自分が人間だと思えないことはある意味自然なことなのかも…?ともちょっと感じました。

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update 2025/9/7
Q.持病があってお酒が飲めないのに、親がお酒勧めてくる。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.肝臓に持病があって、体質ではアルコール分解できるのに、お酒飲めません。20歳とっくに過ぎているのに飲む必要も感じてないし、一回も飲んだことありません。なのに、親がお酒勧めてきます。

A.親は持病のこともわかっているし、飲む必要も感じていないことをわかった上で、お酒を勧めてくるという話でしょうか。もしそうだとしたら・・・なんというか、なぜ勧めてくるんだ?と単純に困惑しました。
ウ・サギはいろいろ考えた上で話すタイプですが、世の中には適当に自分の言いたいことを言う会話というのも結構ある気もしているので、そういうものなのでしょうか。ウ・サギはとくにお酒を飲む必要があるとも思わないですし、他の誰がどんな飲酒生活をしても構いませんが、酔っぱらっている人と酔っていない人が同じ空間にいると、酔ってない人がちょっと損をすることが多いように感じるのだけは、ちょっと納得できないものを感じるときはあります。

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update 2025/9/7
Q.ネッ友を裏切った人に悪口を言ってしまった。早く自分という存在を消したい。
この記事の担当 ウ・サギ

Q.ネッ友がとある人に裏切られ、傷ついていて、その人に悪口を言ってしまった。早く自分と言う存在を消したい。生きている意味がない。

A.補足から、結果的にネッ友にも迷惑をかけてしまった、ネットを荒らす一員になってしまった、というあたりが自分を消したいポイントだと受け取っています。ウ・サギも、自分が周囲に迷惑をかける類の失敗したと思うとわあああって感じで消えたくなるので、気持ちとしてはとても共感しつつ、冷静に考えるならそれほど気にしなくても大丈夫だと思うよ、とも感じています。
正義感と怒りが混ざって感情的な行動に出て、結果的に周りに迷惑をかけてしまうのは、ほとんどの人がやっているのではないでしょうか。しかも、それに気づかない人や、気づいてもあまり気にしない人もいます。だからあなたのやってしまったことの質や中身よりは、それで「生きている意味がない」まで急激にいくエネルギーの動きが、ウ・サギは気になりました。周りに迷惑をかけないように、大切にしたいものを大切にできるように、というところをすごく自分に厳しく求めているのでしょうかね……。

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update 2025/9/3
Q.親に対して屈辱感を感じているが、他に聞いたことないので私だけなのかな?と気になっている
この記事の担当 ウ・サギ

Q.親に対して屈辱感を感じています。親に対しての罪悪感なら聞いたことがあるし、私も感じることがありますが屈辱感は聞いたことがなく私だけなのかな?と気になっています。

A.なるほど・・・屈辱感ですか。AIに聞いてみたところ「他者によって大いに恥ずかしい思いをさせられ、面目を失ったと感じる感情のことです。相手に屈服させられるなどして自尊心が傷つき、恥ずかしさや悔しさ、無念さを伴います。」と説明されました。
ウ・サギは感じたことがあるだろうか?と振り返ってみたのですが、わりとありました……!相手が親だろうが誰だろうが、相手の言動と、自分自身の個性とのマッチングで、屈辱感を抱くことはありそうな気がします。
相手に「屈服させられる」や「悔しさ」の部分がポイントな気がしていて、それらの感情は、自立心が強いタイプだと湧きやすくて、自立心がそこまで旺盛じゃないタイプだとあまり感じないかもしれないと思いました。相手の言動については、バカにしてくる態度をされたら屈辱は感じやすいとは思いましたが、そこに屈辱ではなく、怒りや憎しみという名前をつける人もいそうだとも感じます。あと屈辱は「恥ずかしい」という感覚が鮮烈かと思うので、屈辱感を抱いていたとしても、それを表明せずに隠す人も多いのかもしれません。

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update 2025/9/3
Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い
この記事の担当 ウ・サギ

Q.おばあちゃんがお父さんに向かって強い口調で言うのが辛い

A.家庭の中で、おばあちゃんからお父さんへの関わりだけ、見ていてわかるくらいに態度が強いのですね。補足に書いていた「これって差別?」には、辞書の定義でいくなら差別とは違うのですが(差別というのは、例えば性別や人種や病気などの、何か特定の”属性”があるからという理由で攻撃するものを言います)、おばあちゃんの態度に質問者さんとしては不当なものを感じているのだろうとウ・サギは想像しています。
なんでお父さんにだけ態度が違うのか?そうしてしまうような理由もわからないし、やめてほしい・・・そういった気持ちがあるのかなと思いました。そもそもどんな理由があろうと、子どもの前で、不当な扱いや攻撃的な言動を見せないでほしいとウ・サギは思います。
家庭内で大人間の喧嘩を見ているだけで、自分が攻撃されていなくても心に傷を受けるという話はされていますし、喧嘩までいかなくても同じように傷つくことがあると感じます。直接やめてほしいとは言えないかもしれないですが、辛いという話を言えそうな人がいたらなるべく相談してほしいとウ・サギは思いました。

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update 2025/9/2
Q.「本来のその人」って一体何?よくない性質だけ個性を切り離すなんてできるの?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.「本来のその人」って一体何でしょうか?
よくない性質だけ個性とは切り離すなんて、都合のいいことが本当にできるのでしょうか。
所長たちが普段言っている、「よくない行動でも無理にやめさせず背景を分析すべき」という考えとも矛盾する気がします。

A.(補足)所長たちの質問回答配信第22回の質問1「精神疾患や発達障害の治療では、主に『考え方や行動の矯正』を行うと聞きました。じゃあ正しい考え方ってどういうもので、誰の基準で決まるのか疑問です。これを考えるほどに、ニューロダイバーシティという理念も胡散臭く思えてきます。」を見ての質問とのことです

質問と補足を読んでウ・サギが気づいたのは、質問者さんの言っている「認知行動療法」と、ウ・サギ(たち)のイメージしている「認知行動療法」には、何かしらの違いやズレが生じていそうだな、ということです。
これはウ・サギの印象なので間違っていたら申し訳ないですが、質問者さんの言っているもの(実際に経験したものでもあるのかなと想像しています)は医学モデルでの話で、ウ・サギは社会モデル・対話モデルでの運用をされるのは勝手に大前提とした上で話している気がします。
何がよくないものなのかを医療を提供する側が定義し、患者が努力や工夫をしてそれを変えていきましょう、というスタンスで行われるなら、どんな療法だろうとウ・サギは大反対です(残念なことに、実態としてはそういった場合があるのでしょうね……)。ただ、それは認知行動療法という技法の問題ではなく、医療というもの自体や支援者のあり方の問題だと捉えているので、認知行動療法を対象にしたネガティブな気持ちはあまりないです。何がよくないもの・変えたいものかを(そもそもそこに正解もないですが)対話の中で本人が決めて、本人と周囲と双方で歩み寄りや折り合いを探っていくために使う枠組みとして、認知行動を意識して考えてみるのは悪くないよね、と思っています。
ただ、合う人合わない人はいるかと思いますし、ウ・サギ自身が認知行動療法を受けるということだけで考えると、きっと合わないだろうと感じます。社会の常識といわれるものからの圧や合わなさでの傷つきが大きい場合や、もともと思考が発達している場合は、あまり合わず、腹立たしい思いさえする。社会の風潮というよりは特定の誰かとの関係での傷つきが大きい場合や、感覚や感情が優位で思考を伸ばした方が生きやすい場合は、わりと有効・・・?という印象はあります。これはあくまで主観バリバリの仮説ですが。

補足にあった「いつか生きづLABOでこのような問題を話しあえたら、社会の課題を一つ明らかにできそうだと思うのですが」という意見には賛成です!どうしたら安全な話し合いの場になるか、参加したい人たちが参加しやすいツールや運営方法は何か、ああ先に研究員制度を始めるための利用規約を整備しなくては(研究員にならなくても話し合う場はあっていいのですが、まずは前から言ってることをやらなくてはという筋)、そんなうちにやろうやろうと口だけのウ・サギになってしまう・・・と頭も心も忙しくなってきました。
当事者の違和感を出発点に対話を深めていくことは、社会の課題を明らかにしていくための超有効なアプローチだと思っています。

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update 2025/9/2
Q.邪魔者の自分が死ぬべきだと思うし、社会の仕組みを変えようと思えない。ごめんなさい。
この記事の担当 所長室

Q.社会なんて変えられないから、邪魔者の自分が死ぬべきだって思います。社会の仕組みを変えようと思えないです。ごめんなさい。

A.そ、そんな、全然謝ることじゃないですよ…!と恐縮のウ・サギです。
ウ・サギの中にも「自分が死んだら自分の中では解決じゃん」と思う自分がいるので、感覚的にも全然わかると感じます。論に賛成するかは別として、当事者の感覚、感情としては自然な反応のひとつだと思います。
質問でごめんなさいと伝えてくれたということは、社会の仕組みを変えようというメッセージがすごく賛同を求めているように見えてしまったのか、どこかで賛同したい気持ちや責任感を抱いているから出てきた言葉なのか・・・ちょっとそのあたりの想像も巡らせてしまいました。
カエルさんにも話を聞いてみましょう。

*生きかたカエルから*
変えようと思えなくても全然いいと思いますよ。あなた自身が変えようと思えなくても、生きづLABOが変えようとすることを応援してもらえるのなら嬉しいです。もしも、応援もしたくない!というのであれば、それもありだと思います。
こうして、「そう思えない、ごめんなさい」と思って、質問箱に送ってくれているのですから、少なくとも社会の仕組みを変えることに対して興味や関心がありそう…関心を寄せてくれるだけで、ちょっと嬉しくなるカエルでした。

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update 2025/9/2
Q.人間は病気も治せて食べ物も供給できるのに、なぜ野生動物より悩み窮屈そうなのか?
この記事の担当 ウ・サギ

Q.人間は病気でも治療して治せる
食べ物はちゃんと供給できる
野生動物に襲われる確率はかなり低いのに
野生動物よりなぜくよくよ悩み窮屈そうに見えるんでしょうか?

A.それは、くよくよ悩むということ自体が、生存のためにリソースを全部使う必要がない(つまり、端的に言うと暇がある)から発生する現象というのがまずあるのかなと思いました。あとはそもそも動物と人間の大きな違いとして、人間は概念というものを獲得していて、今目の前のこと以外も考えることができちゃうというのもあると思います。過去を思い出すのも、将来を不安に思うのも、アイデンティティというものに揺らぐのも、比較するのも、概念があって初めて生まれるもので、動物には(現状の仮説としては)ないとされています。
そして困ったことに、一方で面白いことに、人間の考えや生き方に正解は存在しないのですよね・・・。この世界が何なのかを自分で感じ、必要があれば感覚を理論で補強し、自分の欲求と周りの欲求や現実との間で折り合いを探り続け、絶望や閉塞を感じてもどうにか今を生きるための支えを見つけ・・・死ねない間は、揺らぐ自我を抱えてどうにかやっていかないといけません。そのバランスを自分で見つけて取り続けていくことの難しさは、ここまで宗教というものが必要とされてきたことや、時に信じられないような虐殺が起こってしまうことなど、歴史が証明しているとウ・サギは思います。
くよくよ悩むのは(その権利を使いたいかは別として)人間として生まれた特権のようなものだし、全然いいと思いますが、窮屈というのは行き過ぎると怖いようにウ・サギは感じます。だからくよくよをシェアできる、窮屈になりすぎない社会をつくりたいと思っているところです。

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update 2025/9/2
Q.死にたいと思うとまた生きたいと思っての繰り返しでワケわかんなくなる
この記事の担当 ウ・サギ

Q.死にたいと思うとまだ生きたいと思って、まだ頑張ろうって粘るけど辛くなって死にたいと思うの繰り返しでもうワケわかんなくなります。

A.真逆(に見える)気持ちがどちらもあって、自分の気持ち・自分のことのはずなのに、もうワケわかんないよ…!とパンクしそうな感じを想像しました。振れ幅や波が大きく、心も体も消耗していくのではないかとも思いました。
ウ・サギは「死にたい」は、「生きたい」とある種セットのように感じています。生きたい気持ちがなければ、「別に生きていきたくもないけど死にたいってほどでもないなあ、まあくたばるまで生きておくか」くらいの淡々としたメンタルになるのではないか?と思うからです。そういう思いで生きているよという話も実際に聞いたことがあるので、死にたいという強いエネルギーや気持ちを抱くのは、生きたいというエネルギーが逆に向いたときに起こる現象というのか・・・。話がよくわからなかったらすみません。
それと同じように、辛くなるのも、頑張ろうとするからなのかなとウ・サギは思います。だから一見反対の気持ちに見えても、実はセットなものって意外と多いのかもしれません。頑張らないをできたらちょっと楽になれそう?とも思いつつ、頑張らないを簡単にできたら苦労しないよなあと、悩ましく思うウ・サギです。

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update 2025/9/2