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Q&A > 生きかたカエル回答のQ&A
Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.学校を休んでもいいラインってどこですか?

A.休んでいいラインというものはないとカエルは考えています。どちらかというと、「学校に行くライン」の方があって、ラインを超えない場合は行かなくてもいいと思うぐらいです。
いずれの場合でも、基準は自分の気持ちや感覚です。行きたい、行った方がいいと感じる/考える要素が、行きたくない、休みたい、つらいという要素を上回る場合は行けばよいし、逆に行きたくない、休みたい、つらいが上回るのなら、それは休んでいいというより、行かなくてもいいとカエルは考えています。
ただし、学校に行かない、休む=学ぶことを辞めるということではないので、学校以外の学びの場が保障される必要があります。また、それ以前に学校がどんな子どもにとっても行きたい、行った方がいいところになること、せめて行きたくないところ、つらいところにならないような工夫が必要だろうと考えます。どちらにしても、子どもというより大人の問題だと思います。どんな学校なら行きたいと思えるか、一緒に考えてみたいです。

update 2025/4/16
Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.クラス発表されました。2クラスしかないんだけど、仲良い人ほんとにみんな違う方行っちゃった。10人中10人。毎年クラス替えあるって分かってるけど辛い。

A.物事は変化して好転することもあれば、変化により安定や安全が崩れることもあります。また、人によって変化を好む人、変化に強い人もいれば、ちょっとした変化がとても苦手な人もいたり、長い時間をかけないと慣れることができない人もいます。
そう考えると、学校のクラス替えはあまり合理的ではない仕組みのような気がしてきました。基本のクラスは決めるとしても、もう少し柔軟にいろいろな人たちと集団を組んだり、多様な組み合わせがあってもいいのにと思います。
同じ学年だけでクラスを固定するのではなく、学年横断的なグループがあってもいいし。そして、個人差も考慮してくれたり、子どもが集団を自分で決めることがあってもいいのにと思います。なぜなら、たくさんの人がいれば、全員にとってハッピーな完璧なクラスはないと思うからです。誰かにとっていいクラスも、他の人にとっては最悪な場合もあります。
例えば、希望者を募って、2カ月に一回は希望者だけクラス替えするとか、いっそのことクラスは決めないで好きな教室に行っちゃうとか…あなたなら、どんなクラスの仕組みがいいと思いますか?とカエルはアイディア募集したいですね。

update 2025/4/16
Q.マイノリティに対する差別を多く見てきたので、マイノリティだとカミングアウトするのが怖い。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.マイノリティに対する差別を多く見てきたので、自分がマイノリティだと自認すること。自分がマイノリティであることをカミングアウトする事が怖い。でもこの感情が差別からくるものだと思うと、自分も差別する側なんだと思い苦しくなる。

A.身近なところで差別を見てきたことで、自らのマイノリティ性を自認することそして、カミングアウトが怖いと感じるのはとても自然なことだとカエルは思いました。ただ、その感情が差別からくるという理論は補足説明が必要ですね。
つまり、自認やカミングアウトへの怖さは世の中のマジョリティが抱く差別を無意識に内在化してしまったものが、引き起こすもので、イコール自分の中に差別があるということではないと考えます。言い換えると、植え付けられた差別が悪さをしているイメージです。
それは、あなたが差別をする側なのではなく、あなたの中に世の中にある差別や偏見が攻め込んできて、マイノリティのあなたらしさが負けそうになっているのだろうというサインなのだろうと思いました。だから、自分を差別する側と同じだと苦しむ必要はありません。ただ、誰もが無自覚に場合によっては差別や偏見をもちうる存在であることを自覚することはとても大切だと思っています。

update 2025/4/14
Q.共感してほしいです。共感してほしいと思うのは悪いことなのでしょうか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.共感してほしいです。だから、分かってもらえるように、できるだけ細かく話したり例え話を使ったりして説明するのですが、「だから何?その話いらないでしょ」「で、どうしたいの?」と怒られます。共感してほしいと思うのは悪いことなのでしょうか。

A.共感してほしいと思うのは、全然悪いことではないとカエルは思います。ただ、そう願っても共感するのは自分とは異なる相手なので、願いは、かなわないこともあります。
つまり、共感してほしい際には(それに限らず何かを期待する場合はどんなことでも)相手を選ぶ必要があります。今回は、あまりにもふさわしくない相手を選んでしまった様子が漂ってきました。
どうやって相手に伝えるか努力するよりも、相手を選ぶ方が意外と大切なことがあります。何はともあれ、共感してほしいというあなたの願いをカエルは何よりも尊重したい気持ちです。

update 2025/4/14
Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見をどう思う?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.HSPやXジェンダーと自称する人の多くがASDで、その概念により支援から遠ざかっているという意見についてどう思いますか?安心感を得られる側面がある一方で、ASDならば受けられる支援にアクセスできないのはどうなのかなと思ってしまいます。

A.そんな意見があるのですね。カエルはよく知りませんでした。
しかし、この意見には日本における発達障がい理解、診断の基準というのか通例が影響しているように思いました。日本では発達障がいとしてASDとADHDがとても有名になり、診断ではどっちなのか?両方なのか?どれなのか?という具合に分類しようとします。しかし、実際にはスペクトラムとして連続性のある症状なので、最近では神経発達症群という表現で、幅広く神経の発達が多くの人たちよりも特徴的なグループとして理解されることもあるようです。
そもそも、支援は診断名によって決まるのではなく、どんなことでどれくらい困っているのかという点でアクセスしやすく、必要な人に届くという仕組みが必要だろうと思っています。そして、支援よりも理解や配慮の方がむしろ大切だったりするので、理解、配慮、支援のすみわけやあり方にも整理が必要そうです。
ただ、「概念によって、支援から遠ざかっている」とい側面は今回指摘の内容にとどまらず、鋭い論点のような気がします。人々の概念が、私たちの社会のありようを左右します。だから、概念が変われば世の中も大きく変わる可能性があるということですね。カエルはそこに期待をしています。

update 2025/4/14
Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしてもいいなどの風潮が社会に強くあるように感じて苦痛
この記事の担当 生きかたカエル

Q.無職なら馬鹿にしても否定しても悪扱いしても見捨てても何かを強要してもいいという風潮が社会に強くあるように感じて苦痛です。無職のまま過ごしたい方「も」心身ともに安心安全に暮らせる仕組みと風潮の社会の方が人間皆生きやすいのではないかと感じます。

A.カエルとしては、無職だろうが有職だろうが、誰だろうが馬鹿にしたり否定したり、悪者扱いしたり、見捨てたり、何かを強要していいというはありませんので、まずもってそうした扱いや風潮があるとしたら、そのものに異議を唱えます。
そして、誰でも心身ともに安心安全に暮らせる仕組みが必要だと思っています。そこには職があるかないかは全然関係ないことかなと思います。無職のまま過ごしたい方がどういった方かわかりませんが、仕事として給料をもらってやるかは別として、我々は協働的な社会で暮らしているので、どんな人でも何かしらの役割を果たすことは大切だろうと思っています。具体的にはこうして質問箱に質問することも立派な役割だと考えています。

update 2025/4/13
Q.物事と距離をとるのが苦手で依存的になってしまう。どうすれば適切な距離感でやっていけますか。
この記事の担当 生きかたカエル

Q.物事と距離をとるのが苦手です。依存的になってしまって、危ないと感じたら一気に距離をとる(手放す)、というのを繰り返しています。多分依存体質なのですが、どうすれば適切な距離感でやっていけますか。

A.なるほど、現状の把握は的確であるように感じました。
距離感の課題は距離感の問題としてどうにかしようとするよりも、背景にアプローチすることが大切だとカエルは思っています。他のやめたくてもやめられない依存症の問題も同じで、「やめるのにはどうしたらいいか」と対策して、うまくいかないことがあります。背景に「安心安全」の感覚が脅かされている、不安のようなものがあると推測します。まずは、「物事との距離感が苦手」であることを自覚していることだけで、OKだと思って、そこから自分の距離感分析をしていけたら、少しずつ変化があるとカエルは感じました。
あとは、同じようなことで悩む人と意見交換できる機会があると効果的かもしれません。

update 2025/4/13
Q.幸せ→お金(裕福)は違うけど、お金→幸せは間接的に、部分的に合っていると思う
この記事の担当 生きかたカエル

Q.幸せ→お金(裕福)
これは、違うけど、
お金→幸せ
これは間接的に、部分的に合ってると思いました。
語彙力がないけど、幸せってお金じゃ買えないと思うかもだけど、美味しいものや面白いもの、サービスを買えるから間接的に、幸せになるのかなって。
でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。

A.おそらく前のこのQ&Aを読んでの質問ですかね。
とてもいい指摘、論点だと思います。カエルが前に書こうかなと思って長くなりそうだと思って控えたところを突っ込んでくれて、ありがとうございます。
幸せを決めるのは「自由」だとカエルは考えています。そして、自由を得るために現代でとても効力を発揮している存在が「お金」ということだという理解です。
だから、お金→幸せ が間接的、部分的にあっているというのは全面的に同意します。「でも、お金では得ることのできない幸せ(例えば、友人とか、家族とか)もあるので、お金がすべてじゃないなと思いました。」というのもその通りだと思います。
自由(幸せ)はお金で買えるものと、買えないものがありますが、今はお金で買えるもの、お金がないと買えない物事が多すぎやしないかい?と思うのでした。
カエルは自由を得るための手段があまりにもお金に頼りすぎてしまい、知らないうちにお金を得るために幸せを放棄してしまう逆転現象が起こっていることを危惧しています。なんとか「生きかたを変えなければ…」とカエルをやっているわけです。

update 2025/4/10
Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?
この記事の担当 生きかたカエル

Q.大人ってみんな自分の間違いや失敗を認めないよね。しかもそれで人に迷惑をかけても謝らない!なんで?

A.カエルもオタマジャクシのころ、同じことを考えていました。これは推測ですが、知らないうちに「間違ったり、失敗することはよくないことだ、あってはならない」という呪いをかけられているからではないでしょうか。呪いのせいなので、そんな大人は自分のおかしさに気づくことができず、ひたすら自己正当化に走るのです。そして、質問者のような子どもたちに見抜かれる…悲しい現実です。
子どももやがて大人になります。呪いにかかることのないよう、子どものうちから「あ、間違ってた」「失敗しちゃった」「ごめんなさい」と素直に思える自分の心を大切にしましょう。
また、間違いや失敗はそもそも、見方を変えると「間違い」ではなく「違ったやり方、違った結果」かもしれないですし、「失敗」ではなく「学びの機会」「想定外だった」だけかもしれませんよ。

update 2025/4/7
Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた
この記事の担当 生きかたカエル

Q.親に学校行きたくないって言ったら、学校は必ず行くところって怒られた。なら不登校の子はどうなの?同じ理由で来てない子もいると思うんだけど?

A.親はわかってませんね…おそらく、義務教育の意味をはき違えているか、正しく理解したうえで、親の強権を濫用しているのかもしれません。どちらにしても、学校は行ってもいいし、行かなくてもいいところです。
義務教育は「子どもに学ぶための権利を保障する義務が大人にある」という意味の義務教育で、小中学校は「どんな子どもにも学びを保障するためにあるところ」といえます。ただし、日本の学校はいろいろな課題があり、学校に行くことが学びの保障にならず逆に子どもの権利が侵害されてしまう実態もあります。また、長い間、画一的、管理的な側面があったことから、一人ひとりの学びのニーズに応えることが難しく、学校に行っても学ぶことができない子どもたちもけっこういます。だから、学校が学ぶ場としてふさわしくない、勉強どころではなくつらい状況があるのであれば、無理をして学校に行くのは本末転倒なのです。
そして、明確な理由がなくても、「行きたくない」という気持ちは大切な気持ちで、その気持ちを受け止めたり、理解することなく、大人が力を行使して「行くものだ」と圧力をかけることは子どものことをわかってない…という判定をカエルは下します。
学校がもう少し子どもにとって安心安全で、多様な学びが可能なところになってもらいたい+学校以外の豊かな学びの場を子どもたちに用意する世の中にしたいと思います。

update 2025/4/7